アタックNo.1 第103話 宿敵 ソ連との対決

 いや、半回転スパイクは、ジャンプしたら軌道変更が効かないだろうからブロックできると思うのだが。
 うーん、バランスはきちんと取れてはいるのだが、やっぱこずえ・シェレーニナ視点で、他のメムバーは添え物扱いっぽいな。スポ根マンガに良くある、「試合途中でも著しく成長する」ってウソ臭くは無いのだが、次回第二の竜巻落としとやらが成功するのか?。成功しない技を試したところで、相手に一点を進呈するだけだと思うのだが、試合を実験場に出来るほど勝負って甘いものなのかな?。
 というリアリティを追求すると始まらないわけで、まぁ以前から言っているとおり国力が充実していなかった日本が世界を相手に商売するためには新機軸で勝負するしかないってことのメタファーとして見ればなかなか緊迫感は伝わってくる。1970年代ですら、特に前半なんかは日本の工業製品の信頼性はなかったわけだ。アイデアが浮かべばすぐ実装。工夫するところがあればすぐ実現。いわゆるトヨタカンバン方式ってやつだわな。最初に全体の枠組みを設計して、その範疇でおさめるのではなく、よさそうな改良点があったら屋台屋を重ねることも厭わない。で、全体のバランスが崩れてしまって、機能はたくさん盛り込まれていはするが、著しく不安定な代物の出来上がり。昔の日本では今の中国韓国真っ青のパクリ国家だったわけで、まぁ要するにバッタもんだわな。見た目の奇抜さで半ば騙されて買う層もいるだろうが、信頼性を重視する層にはまったく売れないって商品を作っていた頃の日本の努力だよ。
 例えば、真空管だのの保守部品なんかは、欧米だと品質保障期間が来たら壊れていようといまいと強制的に取り替えるわけなんだが、過去の日本だと使える部品は壊れるまで使うからよくシステムがダウンしたりすることがあったらしい。余力からして圧倒的な差が付いているわけなんだが、じゃぁ力勝負しようにもまったく無理なわけで、それでも勝負するには個人の努力や工夫に頼るしかない。10の力がある人間が8の力を発揮してくるのに対し、5の力しかない人間が7の力を出すように無理をし、それでも差があるから工夫や効率に頼る。やっぱ現場はしんどいだろ。先の大戦なんて国力差が10倍もあったわけで、負けないほうがおかしい。
 というわけで、そういう切羽詰った状況の中、やるべきことはすべてやり、使える手はすべて使ってようやっと手に入れた決勝のチケット。もはや実力差に絶望することも無く、外野の騒音すら聞こえてこない中、泥にまみれながら戦う姿は、フィクションとしては確かに美しいものがある。やはり欧米に追いつけ追い越せの機運が国内に漂っていた当時だからこそ理屈ぬきで支持されたんだろうと思う。
 まぁそれに比べて現在のこのザマはなんだろうね?。当時の人が稚拙でありながら技術を磨いてきたその蓄積を忘れてマネーゲームに狂奔し、その技術をないがしろにしているくせに過去の技術立国であった頃にノスタルジーを感じたり、ペテンに騙されたり。維持すら出来てないんじゃないかと思ってしまう。
 さて、次回はそれでも危機感たっぷり。みどりや高校の友人も置き去りではないらしい。とうとう最終回ですよ。