アタックNo.1 第80話 苦い決意

 帰ってきたヤクザ映画テイスト。
 視聴していると、当時の若者事情とか世相の変化とかに思いを馳せてしまうんだけど、まぁこの感想がどうなるか。マイティー6のヘンなノリとか、まぁやっぱり手の込んだ招待状だったわなとか、確かにリアリティを考えるとありえないことの連続なんだが、逆になんつーかね、こう、若さのほとばしりとか、血のたぎる様子とか、こっちまでワクワクしてくるんですわ。富士見高校メムバーが危機に面しているとかぜんぜん思わなくって、「そうくるか〜」と笑いながら視聴してました。ホント。
 まず、前回からの流れで言うと、どう考えても血の気が多い石松をわざとターゲットにしたんだろ〜というところかな?。富士見高校メムバーの旅行の予定なんてまず知りようがないから、ありえないことこの上ないのだが、宿坊でマヤが待ち受けていたなど、もうハめる気マンマンだろと思った。
 で、やっぱりマイティー6はちょっと鬱屈した熱血系スポーツマンの集まりだったわな。からかいがいのある石松をノせながら、かといって相手の弱みに付け込んでどんどん要求を押し通すのでは全然無いのがさわやかだ。ちゃんとスジは通しているし、度胸の開陳も決して居丈高ではない。
 対する富士見側も、最初は石松だけが勝負にやる気を見せるも、石松の一人相撲に同情して他のメムバーがやる気を見せてくるのも流れとしては適当ではある。っつーか、次号予告で全員ユニフォームを着ていたわけで、え、今回はバレーを完全に忘れて旅行のはずなのに、なんでユニフォームを持ってきてたりするんだ!というツッコミはさすがに許されるだろう。で、相手の真摯な態度に鮎原は勝負を受けるんだけど、それまでの流れで石松の敵討ちという合意が形成されているので、ちっともキャプテンの独断専行という感じはしない。一人で話をつけてくるといった言動や、メムバーの意志を尊重しているあたり、かなり理想的なリーダー像を示していると思った。
 前回はナカが石松をたしなめたりと成長のあとが窺えると思ったんだけど、やっぱりこずえの子分だった。反面真木村のポジションがおいしい。今回の諌め役も絶対反対といった頑なな態度でなかったし、セッターという役柄も相俟って非常に納得のいくところ。でもまぁ一番の感動のしどころは前回の母親の涙の場面だったわけだけど。
 しかし、やっぱり気になるのはマイティー6の背景である。当時は農村型社会から、都市型社会への急速な変化の時期で、しかもこの'60年代後半はいざなぎ景気ということもあって、高度経済成長の完成期にあたる。もちろんマイティー6がスポーツの入賞者が多くて、ということはいくら当時のアマスポーツのレヴェルが低くても、スポーツにかまけるだけの経済的余裕がある層だったに違いないだろう。一方高校進学をしなかった柏木や一之瀬(故人)は家業を継ぐといった、家族経営体がまだ残っていた時期でもあって、産業の歯車として編入されていく不安とか不満とかあったのかね?と勘ぐってしまう。
 当時は15〜6で自動二輪は限定なしの免許が取れていた時代でもあり、またゴールデンウィークということもあって、決して毎日昼間っから遊びほうけているとも限らず、もしかすると平日には彼らは勤勉な労働者だったりするのかな…と妄想すると、なんかすごい親しみを感じてしまうんだけど。