マッハGoGoGo 第48話 ポンコツカー・グランプリ

自動車の組み立てから始める「ポンコツカー・グランプリ」に、ミチは剛と一緒に参加する。

 GyaOのタイトル下に表示されるあらすじだが、これ読んだだけでもうわくわくするよね。って、ミッチー、17歳だったのかよ。振舞われるシャンパンが水だと言っていたが、公共放送だから未成年に配慮したわけね。
 レースを開催した大臣(男爵位をもつ)の娘が孤児院所属で、商品目当てにレースに参加、大臣の子供と判明して親子の再会、大臣もノブレスオブリージュを果たしてメデタシの複合話。いつも通り、レースを妨害する悪者が居て…という構成。
 もうちょっと親子判明の段階に一ひねりあったら文句なかったんだけど、盛りだくさんながら色々練りこまれており、前回より段違いに楽しめた。アイデア勝負ってところもあるんだろう。コース上に悪者の要塞があるってのもヘンな話で、正直アラは結構あるんだけど、そんなのを吹き飛ばすぐらい快活な話だった。
 しかし、この時代、確かに孤児院とかに寄付とか美談として語られていたような気がする。今はそういうのが事務手続き化して見えにくくなっているだけかもしんないのだが、あんまり聞かないねぇ。福祉予算を削るという話は良く報道されるけど。で、道路特定財源にしがみつき、キックバック目当てのインド洋無料ガソリンスタンド法案にしがみつき、事務所費はごまかし、自民党の政治資金は増大と、弱者向けの金を削って私服を肥やすための活動資金拡大とか、もう泥棒としかいいようがないんだけどな。
 しかも、両親が健在なのに孤児院に預けるという例もあるそうで、福祉を受けるほうも受けるほうだったりする。先ほどの話にもあったが、放映当時は終戦から22年経っているわけで、あの子達は、日本人だとしても、終戦後に生まれたわけで、戦争の傷跡が戦後も連綿と残っていたんだろうなというのを想像させる。親を探すといっていたわけで、戦災孤児ってわけでも無いんだろう。世の中救いようが無い部分は昔からあったということかね。いや、今より貧しかったわけで、大変なのはわかっているのだが、美談というほど美談でも無いというか。