棄民でググると…。

 字義通りだと棄民は、国家が国民を海外へ捨てることらしい。
 http://mediajam.info/topic/248029
 http://joumon-juku.jp/jiji_syouron/35.html
 まぁ酷いのが次。一部引用もしておきます。
 津久井進の弁護士ノート - FC2 BLOG パスワード認証

 8月14日はサンテレビのニュースシグナルの担当日でしたが、自分の担当箇所よりも、隣で見ていた、この日の特集の方がずっと心に残りました。

 元日本兵だった方が、国(政府)から棄てられた、という問題です。
 いわゆる「中国残留日本兵」の問題です。

 あまり知られていないようで、私自身も、全く知りませんでした。

 1年前の8月15日の神戸新聞の記事です。
訴え続ける悲劇 引き揚げ後「逃亡」扱い 残留元日本兵

 太平洋戦争の終戦後、軍の特命を受け中国北部の山西省に残った元日本兵がいた。
 中国の内戦で戦い、抑留、そして捕虜生活。ようやく帰国した彼らを、国は「逃亡兵」とみなした。
 元兵士らは恩給を求めて国を提訴、現在、最高裁で訴えを続ける。「中国残留の真相が認められない限り、私たちに『戦後』は来ない」
(横田良平)



          

 元陸軍独立歩兵第14旅団第244大隊の石原純孝さん(80)=兵庫県美方郡香美町村岡区。1944年に入隊、衛生兵として終戦を迎えた。復員命令を待ったが、「在留邦人の帰国を促進する」との命令を受け、残留部隊「特務団」に入団した。

 「残留に抵抗はなかった。組織の命令に従うのは当然と思っていた」

 終戦後も共産党軍との戦闘が続いた。48年、共産党軍に捕まる。
 53年7月、ようやく帰国。
 恩給手続きを進める中で、自分が46年3月に「現地除隊」になっていたことを知った。

 「ポツダム宣言は、外地の日本兵の引き揚げを指示していた。中国に兵がとどまっていたとなると、日本政府として都合が悪い。だから『志願して残った』とされた」

 2001年、国に残留期間中の恩給を求め、旧特務団員12人とともに東京地裁に提訴。
 国側の証人として出廷した当時の司令部幹部は「彼らは軍命に逆らって残留した。この問題については解決済みだ」と主張した。

 04年4月、訴えは棄却。石原さんらはすぐに東京高裁に控訴した。

 高裁で原告側の証人として証言した百々(どど)和(かず)さん(86)=神戸市東灘区御影山手三。
 大隊本部付見習士官で兵士を管理する立場にあった。
 特務団の一員として抑留生活を体験。56年に帰国した。高裁では「大隊長や参謀から命令があった」と訴えた。

 当時の命令文書などを証拠書類として提出したが、高裁も原告の訴えを退けた。
 「軍人は、命令なしに行動できなかった。政府の矛盾を訴え続けたい」と百々さん。

 今年5月、最高裁に上告。この間、原告は病死などで5人に減った。年内に審理開始が予定されている。

 元特務団員らが集う「全国山西省在留者団体協議会」。裁判の支援を続ける会長の藤田博さん(80)=芦屋市親王塚町=は復員後、兵庫県庁に勤務。定年退職時に現地で除隊となっていたことを知った。

 「軍司令部と、山西省の国民党軍の間で密約があった。『部下を残し国民党に従軍してくれれば、幹部の戦争責任は問わない』と。最後の奉公を誓った私たちは幹部にいいように利用され、国に裏切られた」と話す。

 兵庫県美方郡浜坂町。山西省残留中に死亡した日本兵の慰霊碑が立つ。8月、石原さんは慰霊碑を訪れ、手を合わせた。

 「私たちは確かに『軍命で』残った。復員を夢見て死んでいった戦友のために、訴え続けることが残された者の使命だ」

 山西省残留兵 終戦時、中国の日本兵蒋介石の命で国民党の山西軍(閻錫山(えんしゃくさん)軍)に降伏、武装解除を受けた。当時、山西省共産党軍の勢力下で、閻錫山軍に降伏した旧日本軍約5万9000人のうち、約2600人が特務団として残留、共産党軍と戦った。約1100人が戦死または行方不明とされる。

 こんな形で、国から棄てられている方々もいたのかと、絶句しました。

 なお、この後、最高裁でも請求は認められず、昨年12月に敗訴が確定しました。

 しかし、裁判は、証拠によって勝敗を決める仕組みです。
 したがって、裁判で勝訴したからそれが真実である、ということにはなりません。
 逆に、裁判で敗訴したとしても、厳然と存在する事実は、やはり歴史上の事実にほかなりません。

 裁判での国側の証人の発言を聞いていると、
    広義の「強制」はともかく、
    狭義の「強制」は無かった!
と主張している、従軍慰安婦問題に関する安倍首相らの姿勢と瓜二つです。

 こういう「理屈」(≒屁理屈)で、歴史的事実が損なわれることは本当に残念なことです。

 中国残留孤児については、一つの典型的な棄民政策だったのですが、 残留邦人を、助けるために現地に残った兵士も、同じように棄民されていたのかと思うと、
 当時の政府に強い憤りを感じ、また、現在の政府に対しても同様の思いを感じます。

 政府が国民を文字通り「売る」政策。しかも政府は自分の責任や罪を棚に上げて補償しようとすらしない。やっぱ戦前からの戦争指導者が自民党として堂々と生き残り、保身のために日本を牛耳ってきたのが不味いのだ。本来自民党世襲議員、それも戦前からの戦争指導層、内務省を中心とする旧帝国官僚の利権を受け継いで特権階級に居座っている連中は、敗戦と同時に処刑されなければならなかったのだ。彼ら欲の皮が突っ張った層が日本支配のためにアメリカに生き残らされたために(むしろB・C級戦犯にこそ責任のない人が多かったと聞く。A級戦犯で処刑されたのはたしか10本の指でもあまる人数じゃなかったっけ?)、モラルが崩壊しているのだろう。ぜひ戦争責任者の懐から出費して彼らに十分な補償がなされることを願う。
 終戦記念日なんて、結局やりたい放題やった層が、犠牲者にはやく補償問題を忘れてくれないかな?という思いがこもった責任逃れの行為だろう。