魔法遣いに大切なこと〜夏のソラ〜 ちょっと一言二言三言…多分きりがない。

 キーワードを含む日記巡りをしてみたが、感想が少ないですな。第1話では割と背景の描写で気を惹きつけ、ある程度の評価を受けたものゝ、この第3話での善意の押し付けに拒絶反応を示し、視聴を打ち切った人も多いのではなかろうかと。前作もかなり拒否反応を示した人が多かったような気がする(なにせ2003年放映なので、その頃は自分も感想を書いていなかった。カレイドスターステルヴィアとかの放映年だから、たしかアニメにはまりだした頃だ)。友人と面白い作品はないかという話をした時に、この作品を酷評していた覚えがある。友人のその評があったからこそ視聴しなかったし、後でGyaOでネタとして視聴してみて、実は自分的評価の高かった作品だ。
 しかし、そもそもこのシリーズは割とナイーヴな層がターゲットで、突飛に見えるいろいろな所作や仕掛けはかなり記号化されたものだ。魔法というものがそもそもファンタジーで、「物事を現実化させる実在の権力や技術などを記号化したもの」である。前作のキャラが大金をほいと出したり、東京タワーを曲げたりしたのは、視聴者の度肝を抜くためにわざと大げさに描写したものであり、あれをリアリティがないと非難するのは大人げない。
 そもそも大きなお兄ちゃんに大人気の魔法少女モノにしたって、主人公の女の子が魔法を使うにせよ、それは現実には実現不可能であることが多い。で、それによってもたらされるものは、例えば自分の世代でいうとミンキーモモだったり、クリーミーマミでだったりするのだが、基本「大人になること」だけだったりする。実際には主人公が世のため人のために汗水たらして努力する姿が描かれる。もちろん魔法で物理的に大きな力を得ることもあるが、それは多分に大人の社会では準備・根回しや下地作り、年季の入った熟練などで実現される、きわめて分かりにくい処理を子供向けに視覚的に分かりやすくしてあるだけのことだ。しかし、そこで述べられるのは現実に負けてやる気を失っている大人がうまく処理できていない問題を、主人公が大人と同じ力を持った時に前向きな感情でそれを乗り越えるという描写が多かったりする。すべてとは言わないが、ほとんどが何かの言い換え、メタファーである。
 だから、脚本による抽象化・デフォルメをうまく見抜けず、目に映った情報だけで評価するのは危ないのではないかという気はする。本来人間というものは矛盾した感情が同居していたりするものだが、わざとステレオタイプに描くことによって役割分担をさせ、視聴者にわかりやすく問題を提示するという手法も取られる。この作品の場合、その傾向が著しい気はする。作品が送り手と受け手とのコミュニケーションであるということを考えると、送り手の表現を唯一正しいものとして、受け手が理解できないのはバカだというつもりもないが、受け手のほうが送り手の意図を斟酌すべきところも多々あるのではないかと思う。まぁ見なきゃいいとまで言うつもりはありませんが。
 さて、現段階でこの作品を振り返ってみると、男と女の役割分担が結構はっきりと分けられているような気がした。これは原作者山田典枝の人間観察の結果なのかな?と思わないでもない。魔法士でいうと、川田や沙織ちゃんは、杓子定規で融通が効かないという性格付けである。原理原則に忠実で、子供に対してもそれからの逸脱を極力許さないという描写である。原や森下はどちらかというとゆるい性格である。原は今回の話でいうとソラの暴走を強引に止めるわけでもなく、結果的に好きにさせていた。豪太に対しても沙織の糾弾を和らげる役割を果たしていた。森下もおちゃらけた描写ではあるが、魔法がうまく使えない豪太に対しても自分から気安く話し掛けて必要以上に落ち込むのを防いでいる。基本女は厳しく融通が効かない描写で、男は優しく人に無理強いをしない描写である。今のところ包容力があるのは男側である。これは実際に仕事をしてみると割とそういう傾向にあるのが実感としてわかる。職種によっても違うだろうし、男でも、出世志向だったり周囲が見えない人がいて、そういうヤツは女と違って割と権力をもっているだけに性質が悪かったりする。昔のドラマだと肝っ玉母ちゃん体質のキャラクターがいたものだが、現在は絶滅に近い。戦時中も国防婦人会などはやたら目を吊り上げて男以上に国家に奉仕することを強制する例に事欠かないので、なるほど社会全体に余裕がないんだな…金だけでなく、もうすべてにおいてという気はする。…話は逸れたが、結局女にも女特有の母性で包容力があって他人にやさしい人もいるだろうし、男だってむしろ力を誇って乱暴な人もいるだろうに、基本女はキツめ、男は控えめという風に分けて描写されている傾向が強い。ソラ>豪太、浅葱>黒田、沙織ちゃん>原、川田>森下と対応するキャラ同士の精神的な力関係はほぼ同傾向である。
 さて、今回の第3話であるが、これは単なる寂しい老人と思い込みの激しい少女の対立と和解の話だろうか?といろいろ考えてみたのだが、なんか埋め込まれている要素がありそうだ。その一つが、魔法遣いは公務員であるということだ。奇しくも現在大分の教員採用不正を皮切りに、警察、地方公共団体職員、消防など、もう全国・全職種にわたってコネが蔓延している…いわばかなりの部分世襲であるということが明らかになってきた。まさかスタッフも放映のタイミングで暴露されるなんて思ってもいなかったであろうが、自分も大学在学中から田舎のコネ就職は友人から話を聞いたりしていたので、そういう部分を原作者も取り入れていたのかもしれない。自分も今までキャリア公務員だってコネだし、マスゴミ職員なども政治屋の子息がウヨウヨしていると書いてきた。
 恐ろしいのは私立大学で裏口入学というのがあたりまえになっているが、国立…それも東大こそが裏口というよりはコネ入学が創立以来あたりまえになっているのでは?ということだ。もちろん日本でのトップの学力を誇るわけで、本当に学力がないものは目立つだけに落とさざるを得ないんだろうが、学力が数値化しやすい理系はゴマカシが効かないが、数的処理能力が皆無でも解釈によっていくらでも評価のつけようがある文系なんかは果たして本当にコネ・裏口なしに全員が選別されてきたのか?を考えると恐ろしい。学費も庶民にとってはとんでもない費用であって、戦前は特にいくら学力があっても大学に入ること自体が困難だった。地方出身者はその上上京してからの高い生活費を払うだけの経済力がなければならず、小学校からの学力の積み重ねが必要であることも含めて、勉強をすること自体が贅沢であったわけだ。もちろん貧乏で学力がある人たちの受け皿が陸士海兵*1だったわけだが、貧乏人が東大どころか旧帝に入る事は困難であった。見方を変えれば、金持ちでありさえすれば、それまでの学校の勉強さえ最低限クリアしていれば大学に容易に入ることができたわけだ。事実文学者の伝記小説などでは結構戦前の大学で遊んだとの描写が多い。あまりガリ勉したというのは見つけにくい。ヤツらは事実半ば遊んでいたわけだ。だから、戦前の大学を卒業したからと言って勉強ができたと鵜呑みにしてはいけない。大学進学率が低かったのは確かだが、それは別に昔の人間の学力が全体的に低かったわけではない*2のだ。勉強したくても金がなくて断念したとか、師範学校にしたとか、そういう話はゴロゴロしている。親が金を持っているかどうかで大学→役人→金持ちのループか、貧乏人のまゝかが決まる。そういう意味において昔のほうが現在よりはるかに格差が酷かった社会であったというのは確かに正しい。
 長くなった。
 そして、この第3話は、本橋が政治家の未亡人であるということがまたミソだ。これは実際に政治家そのものであってもいいわけだが、そうしてしまうとどうしても社会批判的要素が強くなりすぎる。だから政治的な影響力がない立場にした上で、その政治家にコネで仕事を何度も依頼させ、そして公務員はその政治家のわがまゝに従わざるを得ないという構造を描いている。政治家の見栄のために公務員が無駄な仕事をさせられているということでなくても、本橋はクレーマーもしくはモンペであるという風にとらえてもいい。どっちにしろ魔法局の職員はかなり立場が弱いということに変わりはない。
 本橋の行動は視聴者のだれが見ても私的な用事で税金を無駄遣いしているという風にしか見えないように作られている。ちょっとした大人なら、原やその他の魔法士が彼女のわがまゝに付き合うのも仕事だと思ってしまうだろうが、それでもわざわざ人を使ってまで対応しなければならない仕事という描写にはしないわけだ。あくまで理不尽な仕事であって、それに耐えるのが大人だろうという流れに見える。これは10人いたら10人全員がそういう答えにするだろう。原が正論を述べて仕事を断ったら、たぶんほとんどの視聴者が大人げない、クレーマーにも対応するのが仕事だろうと言うだろう。で、それが仕方のない行動であるという人はいるだろうが、正しい行動だとは思う人は誰もいない。
 公務員である限り、仕事を断れない。だから、おかしいことをおかしいと言い、問題の核心を突いて実際に行動できるのが、研修生という立場のソラなのだ。社会人では許されないが、未熟だからこそ突飛な行動が許される。本橋自身も誰かが助けてくれるのを待っていたんだろうけど、なにが本橋をそうさせたかという原因やどのように対処したらいいのか、本当にしなければならないことは何かってことは実はあのお手伝いも原も分かっていて、ただしがらみというものが邪魔をして誰も言い出せなかっただけの話だ。そうでなければ驚きもせず*3涙をひしひしと流す描写にするハズがない。
 困ったチャンがいて、誰もがそれをおかしいと思い、解決方法も誰もがわかっている。でも誰も言い出すことが出来なくて、それができるのが何のしがらみもない、屈託のない少女のみであるってのは物語として理にかなっている。単純に童話「裸の王様」だ。しかも魔法士は公務員であるからこそ、余計逆らえないことになっているわけだ。別に民間のサポセンでもいい。無茶を言ってくる取引先に、下手な対応をせざるを得ない営業マンであってもいい。
 第3話でのエントリーではソラの余命わずか設定があるかも?と書いたが、リンク先では魔法発動時にひまわりが咲くとあった。今までそういう描写はなかったわけで、漫画版とアニメ版では設定が違うのかもしれない。余命が少ないから恋愛も出来ないのかと思っていたが、結論を出すにはまだまだ早いらしい。後からその設定を急に出したほうが衝撃的だろうしな。しかし、その要素だけでもないんだろうけど、いちおうこの作品は「青春ラブストーリー」という触れ込みらしい。脚本も隠していないと思うのだが、どう考えてもソラと豪太のカップリングだろうな。

*1:学がつけば世の中の不条理がわかってしまうわけで、それで戦前は五一五や二二六が起こった。当時の東大生などが軍国主義に反対して実際に行動をしたなんて話は寡聞にして聞かない。戦後貧乏人でも大学にいけるようになると、やはり特権階級が貧乏人を搾取することがどうしても分かってしまうわけで、学生運動が激しくなるわけだ。学生運動が下火になるのは、大学がレジャーランド化してからであって、それは相対的に貧乏人の経済力が向上して世の中の不条理に対して不満をもつことが少なくなったからだ。自分も金持ちになれば当然金持ちが貧乏人を搾取する構造に不満を持ちようがない。そして恐ろしいことに、現在ゆとり教育で大学生の知的レヴェルが下がったことにより、自分は貧乏のまゝで格差が拡大していてもその構造に大学生が気付かない、気付いていても行動できないという状況になっている。

*2:例えば、学力は明らかに低下しているのに、20年前と較べて大学進学率が向上している。進学率は経済力によってのみ決まるといっていい。

*3:誰もが思いつかない解決法だったのなら、まず驚きの描写が入る。