ヒロイック・エイジ 第8話「閃光のノドス」

 メヒタカがアルゴノート以外を敵設定していないために、ニルバールは命拾い。
 本当はニルバールのうちてしやまむは否定されるべきなんだが、レイテの栗田艦隊よりはましかな。守るべきものがない軍隊は、その構成員を守るべきではないのか?と思ってしまうのだが。お察しくださいということなんでしょうけど、ニルバール達にアルゴノートを生き延びさせるための大義が描かれてないので無謀と思ってしまった。ノドスと人類の兵器が相対して勝てるわけないじゃん。メヒタカは戦いたくないために、あえて敵の攻撃で動けなくなったフリをしているかもしれないのに。
 ベルクロスが最強なのだったら、他のノドスが分散してあたるのは戦力の逐次投入という一番やってはいけない戦術なのでは?。そりゃアニメだからキャラ同士の対決を見せるためにも一対一という構図は崩せないんだろうけど。
 ディアネイラ様がかっこよかったねぇ。先導する彼女はいにしえの帆船の前部に取り付けられた女神像のようでね。銀の種族を退けたのもまさに守護神って感じで、様式美にはあふれていた。今回はアネーシャもメイルテイル*1も色気担当の仕事をしてくれなかったので、ディアネイラ様孤軍奮闘。
 しかし、エイジ、ディアネイラ麾下のアルゴノートクルー、銀の種族、青銅の種族、銀の種族側のノドス達あたり、現実の誰か(集団)に当てはまるような気がするんだけど、まだまだ見えない。なんつーか、やっぱり考え方としてやれ現代日本の政治家や経営層と、それに対立する善良な国民みたいなものの見方を私がしてしまうのは、我ながら飽きてきているんですよ。
 かといって、アニメに限らずドラマ作品なんかはやっぱり視聴者が置かれている現実ってものを踏まえていないと感情移入しにくいし、現に国民が正対している問題から逃げいていては浸透力も弱いハズ。かといってファンタジーの中で溜飲を下げて、ガス抜きしゅーりょーでもアホらしい。私自身が勝ち組・負け組視点の呪縛に囚われているだけなんだろうけど、もう少し見続けたら脚本が想定しているかもしれない新しい視点が見えてくるんかいな?。

*1:こう書くと昭和のいるこいるみたいですな