うーん。

 本当は2007-03-10さんトコで、春の新番組の検討時期になっていることに今更ながら気付いたので、いろいろ見てたんですが、ロケガの南洋諸島のおおらかさについて書いていたら、どうもふつふつとよからぬことが湧き起こり…。それこそ本当に今日(というか昨日)のいきいきホットラインについてもスルーしようと思っていたのだが…。
 ゆかり&マツリの父であるが、まぁなんで南洋諸島に…?。ということを考えた。やっぱ都会の生活に疲れたんじゃない?見たいな想像をしてしまったのだ。いきいきホットラインでも、都会に人が集中しているからこそストレスを感じもし、それで自然にもどれば自分を取り戻せるなんてことを言っておりましたよ。どうせあちこちに話が跳んで何が言いたいの?ということになろうから、初めに結論を述べておくのだが、「もう逃げるのやめようよ」ということなのだ。
 今、「学校では習わない江戸時代」、「八百長経済大国の最期」を読み終わり、「円の支配者」を読み始めているのだが、結構面白い。よくよく考えてみれば検討の余地はあるのだが、どれも一次資料にあたって自分の足で情報を集めているのでなかなかに説得力がある。江戸云々はともかく、八百長経済と円の支配者は、悪人の悪意であることがはっきりと書かれてい(るよう)た。善人の善意ほどたちの悪いものは無いというエントリーを最近目にして、実はそういう現場に何度も居合わせたことがあるので非常に同意はするのだが、解決方法として「最初から相手にしない」がとり得るので、まだ対処の可能性があるという意味で救われるのだ。しかし、悪人の悪意、しかも息をするように悪行の限りを尽くされる…おまけに作業能力が高いとホント対処の仕様が無いのだ。「相手にしない」とか「無視する」というのはどうも解決方法から遠ざかる、いわゆる「不作為の罪」にあたるらしく、文句も言ってこないと舐められてしまうと、要求がエスカレートするのだ。まぁ政治屋とか経営層は労働者の金を盗み取る「ゆすり・たかり」なわけで、要求を呑めば呑むほど状況が悪化するのは当然のことと言えよう。ちなみに、後ろ二冊は言っている結論がどちらとも同じ「終身雇用制は悪、成果主義万歳」なので、結論が間違ってます。…というか、対策の目的が経済成長であるという時点で既に前提が間違ってますって言うほうが正しいかな。もちろん会社にぶら下がるためだけの者のための終身雇用制度は否定されるべきだとは思うし、さすがに損害を与えてばっかりという組織の構成員にたいして、人を犠牲にしないで業績をあげたりする構成員と同じ処遇があたえられるのもおかしいとは思う。しかしよっぽどの天才でもない限り、もしくはよっぽどバカでもない限り、同じ作業をして挙げられる成果というのは、人によってそんなに違うとも思わないんだよな。
 なんかボーナスで役員が50億ももらうってのは、人の何万倍もの作業量をこなしたわけでは絶対無いし、いくら有能だからといっても、与えられた環境や条件・得られる情報の質が全然違うわけだから、人として何万倍も偉いわけではないだろう。むしろ立場を利用して他人を蹴落としたり足を引っ張ったりしてポジション確保をした結果と見るべきで、50億も貰うからには決して許されない犯罪をやって儲けたんだろうと考えるのが社会的な人間として正常だと思う。日本を基準にするのもおかしな話だが、生涯賃金が2億5千万ぐらいらしいから、一度のボーナスで50億稼いだということは、50億÷(2.5/17.5:ボーナスが年収に占める割合)×38年÷2.5億=5325人となる。まぁ若いときの給料とか定年まで38年か?とか毎回ボーナスに50億もらえるわけでもないだろうとかあるが、まぁ千人単位の人間に換算できることは間違いない。少なくとも50億稼いだそいつは日本のサラリーマンレベルの人間を5000人殺して得た金と見積もって間違いない。アフリカあたりの貧しい小国なら、その国の国民全員虐殺したと同じぐらいの犯罪を犯しているわけだ。まぁそういう話を聞いてもうらやましいと感じてしまう自分もまたいるわけなんだが。
 いきなり話が逸れたが、そうそう、自然に回帰したら人間が救われるというのは結構危ない思想ではある。もちろん前提あってのことだが、やはり日本の都市部のストレスを考えると、自然回帰はむしろ権力側につけこませるだけになりはしないか?ということなのだ。ホワイトカラーエグゼンプションもそうだが、そもそも長時間労働を強いられて、しかもそうすることがあたりまえとなってしまっている。その状態をしかたがないとあきらめてしまっている層が多ければ、長時間労働をしてその結果生成される財は社会的に認知されてもいいはずなのに、感謝すらされない。もっと安くしろ、もっと便利にしろという圧力は高まるばかり。自分の組織の管理職が人間性を失っていて、それは明らかな敵だからあきらめもしようが、提供した消費者もまた敵であるというならば、仕事に何の魅力があるのだろうか?。そりゃストレス以外の何者でもないだろう?と思うのだ。そしてそこからの逃避で一時的な精神的安定を得られたところでなんになるというのだ?。安定感は一時的なのであって、職場に復帰した時にはそりゃ回復した分だけ仕事もはかどりもしようが、職場の状況が変わらない限りまたストレスは溜まるのだ。
 自然に帰ればストレスから解放されるのを経験してしまっているだけに、仕事に集中するよりも自然回帰欲求のほうが高まり、ストレスが溜まるサイクルが早くなる可能性がある。麻薬の味を覚えてしまうと、より麻薬を求めるってアレだ。しかも最初に得られた満足度は2度目以降下がるばかりになる可能性もある。そして職場の状況は変わらない。休暇から帰ると仕事能率がアップすることに目をつけられてしまうと、抑圧的管理職に仕事を加算される可能性だってあるだろう。しかもリフレッシュのコストは自分持ち。労働者は長時間ストレスにさらされるのがあたりまえで、しかも健康管理は自己責任・自己負担ってのがあたりまえになる、しかもその報酬が限りなくカットされていく社会がそんなにいいとは思えない。
 倒れるまで働くことが正しいわけではないから、そりゃ自然に触れることが悪いとは言わないが、やはりそこは仕事をうまくやる自分を如何に確立するかということだけに目をとられないで総合的に自分をとらえる必要があるのでは?ということなのだ。状況を変えないとこき使われるだけというのであれば、戦うという手段をとるも良し、別にガチに勝負しなくても、職場を変えるという方法で避けるのも良し。水曜日のゲストの言がよいと思ったのはまさにそこで、安易な自然回帰は状況を悪化させるだけかもしれないのだ。
 野党は反対するだけで有効な対案をもっていないという批判もあり、今までは私もそう思っていた部分はあるのだが、郵政民営化がもたらしたもの、実際の効果だけでなく、政権担当者が国民をどう思って、どういう手段で騙していたのか、国民のためのことを思ってのことなのか、私腹を肥やすためだけに主張したのかどうかはもうはっきりしている。たぶん今から出てくる法案は全部そうだと思う。金なり権力なりをより自分に引き寄せるためなのか、少しでも日本を良くするためなのかははっきりしていると思うのだ。自分に利益の無いことは提案しないだろうし、人に負担を押し付けるためにはどんなことでもしてくるだろう。少しばかり、いや大いに耳障りの良いことには決して騙されず、自民党が主張してくるすべてのことに神経を尖らせて真意を見抜いていかなければ、自分たちの得るべきものがどんどん彼らに掠め取られていってしまうと思うよ。岸信介が労働運動を潰すために統一教会を日本に引き込んだことを知ってびっくり。外患誘致罪なんでねぇの?。