ロケットガール 第3話「ランチパッド -launch pad-」

 おばちゃん@一城みゆ希
 アレの燃焼実験は感動的ですらあったのだが、コレのはギャグ仕立て。まぁツッコみどころは満載でした。燃料供給を止めるシステムがまるでダメってのは何の冗談か?。勝手に触媒ってどんな保管管理をやってるのやら。まぁロケット工学はまるでわからないのだが、化学屋的には連鎖反応をコントロールするのは非常に困難で、やれることは燃料供給ぐらいしかないわけですよ。偏向ノズルでもないだろうし。燃えるってだけでは推力は得られないし、推力を得るためには爆発反応をさせなきゃなんない。機器全体が爆発するちょっと手前での寸止めが難しい。しかしデータを取るつもりもなかったっぽいし、閉塞状況打破の提案のためだけに触媒を混ぜるってなんだかなぁ。燃料タンクがあんなに近くにあるのも不自然。コスト管理が全くできてないわな。
 体重管理もザルかなぁ。なんか目的の体重のためにそれまでの履歴を全く無視しての食事管理も日本的。今まで摂取していた量からいきなり減らしたように思われるんだが、初めはある程度の体重超過になるのを見越して、ゆかりがストレスを感じないで継続的に少量の食事摂取で済むよう配慮するもんだと思うが。昔南方戦線で必要な補給物資を護衛もつけずに送り出して案の定敵国の軍艦にすべて撃沈、現地に全然物資が届いていないのに、中央はとにかく送る作業はしたのだからあとは現地で何とかしろとか言った軍隊がありましたね。とにかく搭乗員にやたら飢餓感を強いる食事プログラムを押し付けて、無理が生じたからと反動で大量の食事を与えるって、絶対やったらダメな方法だわな。昔補給なしで無理な行軍をさせて、いざ敵の捕虜になって収容所でいきなり大量の食事にありついて満腹を感じるまで食べ、ショックでバタバタ死んだ例を思い出す。どこの軍隊だっけ?。実際には食べても身体が受け付けてくれなくて、腹は減っているのにげーげー吐いて死ぬには至らなかった例もたくさんあるらしいが。まぁ世の中の減量プログラムでもリバウンドという語句で有名だわな。
 まぁ宇宙に行くためには重量軽減が責務ではあるので、必死になるのはわかる。宇宙に持っていく余分な重量を1gでも減らせれば、その分燃料を減らせる。単純に比例関係ではなくて、宇宙船にとっては燃料もまた荷物であるので、相乗効果で燃料の量を減らせるのだ。宇宙に持っていく燃料を減らせるのであれば当然燃料タンクの容量も減らせる、つまり燃料タンクの重量もまた減らせて、重量が減れば強度確保のための構造材も節約できて…と、ロケットのすべての部分で軽量化を図れたりする。実際には冗長性を持たせる必要があるので、gを切り詰めるまでのカツカツの設計なんてしないとは思うんだが、地上でいうところのトラックに積む荷物が減れば、ガソリンの量が減ってよいとかいう悠長な話でないのは事実ではある。まぁゆかりに責任感がある娘というちょっとご都合主義的なところは気になるが、普通宇宙飛行士になるのはキョーレツなモチベーションを持った人たちでしかない現実はあるので、彼らにとって体重管理なんて切実な問題ではないのが普通で、そこらへん打ち上げスタッフがゆかりの一般人的な感覚*1にまで考えが及ばないのは、たしかに設定上、理には適っている。
 うーん、コレだけツッコんでおいてなんだが、実は上記は視聴上ほとんど問題にはしていなかった。今回の話でマズいと思ったのはむしろ木下のポエムでゆかりにヤル気が出たことかな。ゆかりにとっては父親が見つかって目的は果たしたわけで、あとはやっつけ仕事気分なわけですよ。宇宙に行くというのは彼女の内面から湧き出たものでもないのに、他人の夢を背負うことは煩わしいだけと思っても不思議は無いんだよな。責任感が強いという逃げをうってはいるのだが、彼女が彼らに悪いと思う材料にはちょっと弱いと思うし、他人の夢に同調するほどインパクトがあったとも思えない。私自身こんな考えはいやではあるのだが、正直「あ〜ぁ、仕方が無い、ちょっくら付き合ってみるか」ぐらいのほうがリアリティがあるのでは?とは思った。
 今回はマツリが奮ってましたなぁ。現地語と思われる民謡?を音を外さずに歌う@生天目仁美はよかったねぇ。マツリが韜晦していて、木下の講義でもとぼける描写は、間のとり方も良かったよ。でも彼女も宇宙に行くことにそんなにこだわりがあるようにも思えないな。マツリにとっては新しく目前に現れた姉の存在が気になっているようで、彼女との交流が目的っぽいですわな。そこらへん南洋諸島の社会のあり方に根があるように思う。島といってもとにかく小さくて、調子に乗って子供を作ってしまうとすぐ人口が飽和してしまうわけですよ。面積が小さいからかえって食料用耕作地を作ることができない*2ので、島の自然を維持するためにも極力手を加えないという配慮が必要で、そうなると自然の恵みだけで暮らすという社会になってしまわざるを得ない。当然得られる恵みを全部回収してしまうと自然が疲弊するので、わずかずつしか取れないということは、我々が考える以上に人口が抑制されてしまうわけですよ。救いがあるのは、南洋だから熱帯地域が多く、植物の成長が早いから人口政策さえ間違えなければ食べ物は結構安定して供給されるというぐらいかな。成長経済を目指すバカがあらわれると、それは10年とは言わないまでも20年以降の確実な絶滅に繋がるわけで、当然生まれてくる子孫には人口抑制をキツく言い渡しておかなくてはならない。人口が少ないから島民全員が顔見知りでもあるわけで、しかも共通理解がとれているというおまけつき。
 島と島の間は交流が無かったわけではないのだが、まぁお互いが隔離されているようなもんで、とにかく新しい情報なんて入らないから、退屈なのは間違いないだろう。というか退屈であろうと想像してしまうのは、我々が情報過多の社会・時代に住んでいるからそう感じるのであって、もともと新しい情報なんてない世界に住んでいたらそれがあたりまえになっているんだろう。新しい情報がこないし、自分が失敗をすればそれは漏れなく全島に伝わるであろうし、失敗の影響はすぐ現れるから納得もできる。新しい情報がそもそもこないから、それにすぐ対応する必要がないし、むしろ新しい情報に惑わされて昔からのやり方を無視してしまったら絶滅の危機にさらされる可能性が生まれる。むしろ旧弊を守るほうが正しいことが多いのだろう。だからのんびりとした性格にもなると思われる。顔見知り同士がいつもギスギスしているよりは、お互いが仲良くするほうが精神的にメリットがあるから、そういう性格にもなるだろう。退屈が日常だからといって、じゃぁ変化が全く無いことに平気かといわれればそうではなくて、極力相手を不快にさせない遊びの会話術などもあるかもしれない。それが木下教官とのやりとりだったのでは?とも思う。たぶん、マツリ達の社会ではお約束の会話がいっぱいあるに違いない。
 ただ、この物語に限って言えば、その土着文化にロケット発射研究設備ができる、それにともなって周辺地域が発達してくるなどして文化が変化していっているんだろうと思う。退屈が日常であった彼らに、突然毎日がお祭りという状態が現れたのだ。西洋文明がもたらす(新しい)情報だけでなく、物質も豊富に分け与えられ、土着民にとっては楽しい毎日かもしれないが、生活様式が根底からひっくり返っている段階なんだろうと思う。まぁそこらへんどこまで描かれるか、いやそれはこの作品の本道では全く無いから、描かれないほうが普通ではありますが、ちょっとは楽しみにしたい。

*1:前任者も適性があるってだけで自衛隊から命令で強制的に引っ張ってこられたわけで、モチベーションがちっとも考慮されていないのがこれまた日本的

*2:小さな島だとバッファが小さすぎるので、例えば全島を耕地化してしまうと、水がすぐ枯渇するとか、台風で作物が全滅したりなどちょっとしたイベントの発生で島民全員が死滅してしまう。