あずまんが大王

 ネットなどでちょこちょこ見掛けていた原作の切れ端から判断して、どうにもアニメは雰囲気がちょっと違うなぁとは思っていたが、そういう先入観がもし最初からなければ、早いうちからアニメの世界にどっぷりとつかることが出来たのではないかと思われる。元ネタが4コマとも思われないほど構成がしっかりしているし、キャラクターの魅力も感じられた。多分原作は文語で、アニメはそれを口語訳していたのだろう。原作のコマ間の微妙な間は読者のペース・感性にあわせることが出来るのに対し、アニメだとどうしても一つに絞らねばならず、それが違和感に繋がったのだと思う。
 原作の連載開始が1999年というからには、翌年の2000年に多発する17歳の犯罪(まぁこれにしたってマスコミの情報操作によるところが多いんだろうが)を考えてみると、都市部ではもう教育の荒廃がある程度完了してしまっていたのだと思う。そして、まだ学校が成果を収めていた頃の'80年代をノスタルジーとして振り返っている(とはいいきれないのだが)のが本作なのかな?と考えると、感慨が深い。'90年代末といえば、ヤマンバギャルとか郊外線では地べたに座って化粧や無駄話を他の乗客の迷惑を顧みずしている高校生なんてのがいたと思うのだが、あずまんが大王の世界の高校生からはどう考えてもそれを想像することは出来ない。ボンクラーズがやたらバカな描写をされてはいるが、物語中彼女達が通っていた学校はバリバリの進学校らしいことがほのめかされていたし、受験前の集中でボンクラーズが志望校に合格しているのを見ると学力が高い人たちのお話なんだろうとは思う。いや大阪がなぞなぞの答えをすらすらと全問正解していたのはまぐれじゃないだろうと。まぁともにしたって大阪にしたって、ついでに言えばゆかりや木村だって、おかしいと思われる行動はまぁ際立ったところをピックアップしたと考えるべきだろう。一般人のありふれた行動を物語にしたって誰も見ないだろうからな。
 たぶんではあるが、この物語は我々おじさんにとっては決して起こり得ない出来事ではなく、際立ってはいるが我々が体験していてもおかしくないだけに(究極超人あ〜るもそう)微妙なノスタルジーを感じられるのだが、現代の高校生が見るとどうなんだろうな?。笑えない話ではある。
 というわけで、非常にレベルの高い作品ではあった。萌え要素はちゃんとラベルがふってあるし、ペース配分がうまく、盛り上がりがラストにかけて少しずつなされているのにも感心した。感情をこれでもかというほどに揺さぶってくるわけではないが、安定した面白さは各話にあったと思う。アニメのレファレンスに適当なんではなかろうか。+をつけたいんだが、ここは辛めにおもろという判断をしておきます。