さて

 風呂に入って一息ついたわけですが、入浴中考えたのはスタッフはガラ艦を打ち切るに当たってみどころをどこに絞ってきたのだろうか?ということでした。黒十字という困難をキャラクター達はどう乗り越えていくのか?というところは最大のポイントで、それは最終話の第24話をおとなしく待てということでしょうからそうするとして、スタッフにそういう意図があるのかどうかとは多分ずれると思うのですけれども、キャラクター的な注目度からするとそれはレイチェルなのではないかと思いました。
 まず、ヴェッティとの出会いから結婚までで、彼女は必ずしも彼の愛とやらを信じてはおらず、自分の値を吊り上げるような態度だったと思います。今回ヴェッティが自分のことを道具と思っていたことにたいして驚いておりますが、結婚前はむしろそのことにたいして自覚的だったのではないか?と思えます。結婚直前でラルフはレイチェルと恋の鞘当てをするのですが、そのことがレイチェルにヴェッティを見直す要素となったのではないか?ということは以前も述べました。結婚直後からヴェッティはあからさまにレイチェルを道具の一つとしてむしろそれまでよりよりモノ(というよりは仕事=ルーチンワーク)の一つとして扱うようになるわけで、レイチェルはあくまで可能性の一つであった結果が現実になることで自信を喪失します。レイチェルはヴェッティの「愛」を獲得しようとなりふり構わない姿勢を見せるのですが、ラルフはヴェッティの体の不調時に立ち会ったり、それを取り除くべく努力する姿を見せているのに対し、レイチェルにはそういう描写を用意しておりませんから、あくまでヴェッティとの共感を基盤とした「愛」でもなければ、レイチェル自身の自己犠牲を伴う無償の「愛」ではないことが視聴者に示されておりました。
 たしかにヴェッティとの関わりにおいては利己的な欲望を示してはいるのですが、ミシェルと会った時には必ずしも利権誘導的な態度ではなく宗教家というよりは博愛の精神を持ち合わせているのではないか?という面も見せております。だから幼いときからゴルナ法王の後継者として万人のためを思うやさしい側面と、父親に大事に育てられて自尊心が強く魅力的な男性に対しては女として認められたいという側面の二面性を持った女性として描かれていたのが今までの描写だったのではないでしょうか。
 今回銀髪になったヴェッティの前に現れて行った会話では、人民を救うべきはずの銀河統一がヴェッティ只一人の命のためであることが彼から明かされ、「たったそれだけ」のために「道具であった」ことに失望します。ヴェッティを真に愛しているのだったらそれでも喜びもしましょうが(実際ラルフはそうしたであろうと思われる)、しなかったところを見るとヴェッティに道具と見られたことが許せないほど個人的なプライドが高く、それでいて人民のことはやっぱり心から救いたいと思っているのであろうことが示されております。ゴルナ法王と密会する場面では、世俗的な欲望を告げる父に対して、蛾の行動になぞらえて心境の変化を伝えております。つまり、自尊心を傷つけた皇帝や欲にまみれた法王側から逃げたいという(外に出たがっている)それまでの状況から、法王になって人民を救う(私も飛びます)という変化なわけですが、残念なことにあまりに急すぎております。そしてヴェッティを刺すようにと父から授けられた剣で父を刺し、ヴェッティが十字聖教の力を手に入れようとレイチェルに近づいたのと同様に、レイチェルも皇帝の力を手に入れようとヴェッティに近づいていくという構成になっております。幽閉されていた父親と密会した時点で気持ちが切り替わり、父を刺して血糊がついた剣を示してヴェッティに会いに行った時点で彼と対等…というよりはむしろ彼を上回ったという流れがなかなかに見せ所と思うのです。利己的な部分を捨て去り、かといって目的のためには手段を選ばないという冷酷さを身に付け、父を殺すことで自立するというのは劇的なんですが、次回彼女がどう行動するかがお楽しみになっているあたり、皇帝側(ゴルナ法王なきあとの教会側)の見せ所なんじゃないかと。
 レイチェルの声を当てているのがうたわれるものらじおで大ブレイク中のエルルゥ@柚木涼香なんですが、どうもラジオでのはっちゃけぶりが印象的なのか落ち着きすぎの感じがしてなりません。萌え要素うたわれるもののほうが多く、ラジオでも臆面もなくキャピキャピしているのを聴くと年甲斐もなく…とも思ってしまうのですが、なんつーか仕事で仕方なくやっているようにも思われず、さすがプロだからいろいろ我慢して演技しているわと断言するのをためらうほど心から楽しんでいるように感じます。なんつーか、既婚で一児の母ってのをみんな忘れてないか?。しかしいわゆるアイドル街道を進んできた人でもなく、芸能界入りしてからやっとメインヒロインの役が転がってくるようになって、全くないわけではないのだろうけど照れもなく、変な気負いがあるわけでもなく、状況を楽しみながら仕事をやっているように感じる。そりゃ仕事だから割り切りもやっているんでしょうけど、今のところこういう仕事の取り組み方が出来るってのをうらやましく感じてしまう。歳は私より若いんですけどね。こういう境地に達してみたいというか。そんな彼女がこの作品では何を感じながらどんなことに気をつけて声を当てているのか注意深く聴いていきたいと思ってはいます。もう終わるけど。