Fate雑感

 なぜ士郎がアレだけヘタレなのか考えてみる。実はスタッフもあの描写ではあまりに士郎がバカすぎというのはわかってやっているのでは?というのが考えの出発点です。
 士郎の反省というか行動の転換点として象徴的なのは、今まではマスターおよびサーヴァント同士の諍いだったのが、(慎二が)一般人を巻き込むことが明らかになったというのが一つあるかと。士郎の行動原理としては“他者を救う”というのが優先順位が高く、もちろん繰り返して述べられているわけなんですが、マスター&サーヴァント同士の戦いにとどまるのであれば、むしろ一般人に被害が及ばないのであれば士郎自身が犠牲になるのは構わないという考え方であったのかもしれないと思うのです。
 生徒の行方不明者が出て、その原因が慎二&ライダーにあるというほのめかしがアニメオリジナルであるらしいのですが、士郎があくまでそれに気付かない(ふりをしている)のは、友人を信じたかったというところと、仮にそうであったとしても慎二に考え直す猶予を与えたかったと判断するのがアニメスタッフに対する好意的な見方です。ただ、その考えが当たっていたとしても描写不足なのは否めません。
 マスター&サーヴァントだけの戦いだと、あまりにも自己完結過ぎて「当事者だけで勝手にやってろ、俺は関係ない」ということになってしまうので、一般人を巻き込む必要があり、そして士郎がその一般人をも助けたいと願うその一点においてのみFateという作品が社会性を持ちうるというところが難しいところなんでしょうね。だって、一般人を巻き込まず、士郎が超人でヒロインからモテモテなんて、ただの御都合主義的ハーレムアニメになってしまいますからね。
 士郎*1をあれだけヘタレに描くのは、ヲタクが自分の好みのヒロインとの都合の良い世界(社会との接点が全くない世界)を内面に抱えたがる性癖を痛烈に皮肉った描写と受け取れないこともないんだけど、そこまでは考えていないとは思うんですけどねぇ。

*1:視聴者は主人公と自分を同化するものとスタッフが考えてでもいてですよ。