近年のエログロ忌避感について

 人の趣味趣向に立ち入るのもなんですが、いろんな感想サイトを見るとSEEDシリーズやエウレカ、今度のBLOOD+で殺人シーンに流血が伴なうのを嫌がる人が多いのですが、どうなんでしょう。嫌いなものは見たくないという感情なんでしょうけど、なんか複雑な気分になります。
 別に近年に始まったことではなく、自分が物心ついた頃から“子供には残酷なシーンは見せるな”キャンペーンは現れては消え現れては消えしておりました。 2000年前後の“17歳の犯罪”世代がクローズアップされるにつれ、ヴァーチャルな体験をした子供が人の痛みもわからずに簡単に人を傷つけることをするというのがマスコミの趣旨だったような気がします。だから血飛沫をあげる映像作品・ゲームなどから子供を遠ざけるべきだとかいうヒステリックな論調があったような気が。
 しかしそういう世論があるとして、それをわかった上でなぜアニメスタッフは敢えてそういう表現をするのか、またヒステリックな論調の片棒を担いでいたはずのマスコミ自身がなぜそういう作品の放映を許可したのかを考えるとなるほどと思う点はあるのです。話は飛びますが、中国に旅行に行くと市場では鶏やアヒル(場合によっては孔雀や犬や猫、勘違いしないように記述しておきますが、値づけは重さ単位です。個体あたりではなく。)を生きたまゝ売っています。当然購買者はそれを買っているはずなんですが、処理をどのようにしているのか考えるとスーパーで発泡スチロールトレイにラップをされている肉を見慣れている我々にはそれはそれはグロい光景が想像されます。まぁ買った人が鶏の首を刎ねた上で血抜き羽むしりなどをして調理するか、もしくは買ったその場でしめてもらうかのどちらかなんですが、これもグロといったらグロなんですがそれはどう思うんでしょうか。もしかして手を汚すのが自分でなければOKとでも言うつもりなのか?。直近で見たのは中国なんですが、そう遠くない日本でもそれはなされていたわけで。
 人間は他の生物の生命を犠牲にすることによって生かされているということをこれ見よがしに主張しなくても、ただ人の生命を奪うことは好ましいことではないという程度でも言えるとは思うのです。そのためには敵を倒して血が出、相手が苦しむ場面を描写して視聴者に嫌悪感を催させることには意味があるとスタッフは思っているのではないでしょうか。SEEDでの人死にの場面が画的には決して美しくはなく、エウレカでは人を殺した主人公が煩悶し、BLOOD+では人殺しの画面がどちらかというと狂気を帯びているように見える。これがヒーローが美的に舞いながらまるで夢の中の出来事のごとく敵を殺すとか、人を殺して血も流さずに相手は倒れるんだけど主人公が壁を乗り越えたことを劇的に描くとかしちゃってはむしろ人殺しを奨励しているとも受け取られかねないのであって。たぶんどんな作品を作ってもヴァーチャルであることを避けられない映像スタッフが社会に対して出来ることは何か?と考えたときの結論が昨今の作品に現れていると思うんです。
 別に映像作品なんて作りものだし、見たいものを見せる作品や見たくないものを無理やり見せる作品が優れているとも限らないんで、それは個人の選択の自由だとは思うんですが、グロ画面で引いてしまって遠ざかるのは、むしろスタッフの設定した試練から逃げていると受け取られても仕方がないのかもと思ってしまいます。つらい現実を直視するのがいいとも思わないけど、臭いものには蓋という方法がそれを上回るとはとても思えないので…。少なくともそれが日本をダメにしたよね…。

 なのはA's第2話視聴済みなんだけど、どの視点から感想を書いたらいいのか未だに迷う。