情けは人の為ならず

 ということわざがあります。一昔に流行った“意味が誤読されていることわざ”として有名ですが、何通りか考えられます。

  1. 一つは「他人に親切にすると周りまわって自分に還ってくる」という本来(?)の意味です。
  2. もう一つは「情けを人にかけると甘えてしまって結局そいつ自身のためにならない」です。
  3. 最後は「情けというものは人にしてやるというものではなく、あくまで自己満足でするものである」というもの。

 何通りにも解釈が可能なことわざはある意味奥が深いとも取れるのですが、ことわざというものが行動の指針を示して社会をよりよく保つものだとすると1.の意味しかないと考えるべきでしょう。しかし私自身がそうとったように、2.や3.の意味が浸透してきているようです。
 実は1.の意味だろうと思って実践してみたところ、親切にした人は礼こそ言うものの、礼さえ言えば自分がコストを払わなくても他人がいろいろ便宜を図ってくれるから、いつまでたっても自己変革しようとしないというのが2.のパターンだろうと考えられます。また同じように1.の意味だろうと思って実践してみたところ、恩を仇で返されるような真似をされ、これならやるんじゃなかった、しかし人に親切にすること自体はいいことなんだから、自分で自分を評価するしかないというのが3.のパターンだと考えられます。変な話ですが、昔は1.だけの意味で人口に膾炙していたものが、近年の社会の変化で、1.の意味をほとんど感じることができないという状況なのだと思います。個々には“情け”というものが親切の押し売りに過ぎないものかも知れないという問題もありますが、それだけ社会がギスギスしていることの証左なのでしょう。
 水と安全は金で買えるという話にしてもそうでしたが、実は大変なコスト(貨幣価値的なものだけでなく、手間などもふくむ)が掛かっていながら受益者が意識していないために非常にいろいろな事柄が軽んじられているという現状があります。モノが豊富にあるために大事に使うという意識が薄れて無駄遣いや使い捨てがはびこる、人にいろいろ気を遣われるのがあたりまえになってくるとぞんざいな態度になるのもそうでしょう。なんか人に親切にすると親切にされた側は感謝せずにさらなる便宜を要求するという構造のようです。かえってやらないほうがマシかも。だからヴォランティアなどもよっぽどやり方に気をつけないと害のほうが多くなってしまうわけです。
 正直者が親切(ヴォランティアも含む)にする→フリーライダーが増える→場が荒れる→だれも親切にしなくなる→世の中何とかしなくてはならないと為政者・マスコミがヴォランティアを推奨→はじめに戻る…という正直者がバカを見るというスパイラルが完成しているような。もちろんそのスパイラルの中で、如何に人の親切を自分に引き寄せたかによって自分の立場が有利になるわけで、がつがつしたものが勝ち組になるのでしょう。号令をかける側が人に親切にせずにいいとこ取りだけしているんだから良くなりようが無いわな。安く(ただで)仕入れて高く売りつけるのが原則の資本主義の帰結だよね。“情けは人の為ならず”ということわざが本来の意味を失ってしまっているのもわかる気がします。