考えることがたくさん

 ぺとぺとさんのことを掘り下げてメモしておこうと考えたのですが、他のアニメを見たら見たでそれなりに考えさせられることもあり。しかし今日は早めに帰宅でき、車中のんHKラジオ第一でまたカッとなってしまいました。どうやら今週のお題はヴォランティアのようです。ちなみに私をよく憤慨させる五時台の番組名は“いきいきホットライン”というらしい。何度か聞いているはずなのに覚えていないのは腹立たしい話題が多いせいか?。むしろ6時から始まるラジオ夕刊のトピック▽中国反日運動と一人っ子世代を聞いてみたかったというのが、サイトで番組表を確認したときのくやしさでしょうか。
 災害時における緊急作業の人手という話ではなく、日常的な介護が話題の中心だったように思います。無報酬で人の役に立つと言えば聞こえがいいのですが、結局助けが欲しい側としてはただで自分の世話をして欲しいということではないかと。引っかかったのは、やって欲しいことを遠慮せずに伝えなさい、自分のプライバシーを守るために近くの人ではなく離れたところの人に来てもらいなさい、やって欲しいことがあったら地域の小中学生をフル活用しなさい…などといったことです。わがままだと思われやしないかと心配だろうが遠慮しなくても構いませんよとか言ってましたが、ラジオの聴取者層にとって必要な情報だからといって、これはあまりに酷いだろうとか思ってしまいました。
 好意的に考えてみて、ヴォランティアをする側も相手が何を求めているのかわかったほうが適切な作業ができるでしょうし、受ける側も自分の意に添わないことを我慢するぐらいなら一人の方がいいぐらいでしょうし。聴取者層のことを考えるとヴォランティアをする側に対してのメッセージを省いたのでしょうけど、これではあまりに奉仕させてやっているという感が拭えません。ヴォランティアをやろうという意欲のある人はそれだからこそ手伝いなどを厭わないとは思うのですが、これは両者の気の遣い合いがあってこそだと思うのです。そこには双方のコミュニケーションが存在しているはずで、ヴォランティアが気を遣うのはあたりまえ、してもらう方はいろいろ主張することはいわば権利なんですよとも受け取れる話の流れが私にとってはとても鼻につきました。
 ヴォランティアをする側を神聖視するのも場合によっては危険です。ヴォランティアをすることで、人の役に立っている自分を確認して満足するだけの人もいるでしょうし。好意の押し売りであることに気がつかない人もいるでしょう。自分が劣悪な環境にいて、ヴォランティアをしている間はそこから逃げられるという場合もあるかもしれません。かといってこれらが責められるべきかといえば、そうでない場合もあるわけです。要するに双方が活動を通じてお互いの問題を消化できればいいという話ではあるのです。
 ただラジオで、というよりは公共の場でこれだけヴォランティアという言葉が溢れているかというと、地域社会や家族のあり方などに大きな変化があらわれているからと考えてます。そのとらえかえし無しで、ただで人の好意を当てにできるからヴォランティアを宣伝するというのは短絡ではないかと思うのです。ヴォランティアを濫用するようなことがあれば却って問題を悪化させるような気もしております。長くなりましたので社会の変化について今は触れませんが、あまりに安直にヴォランティアを考えているような番組作りだと思いました。