ラストエグザイル-銀翼のファム- 第6話

 あまりファムたちを心配しない空賊たち。
 いやぁ、なんかハマっちゃったよ。こゝ一週間ほどジゼルのあり方だとか、なんでファムを女にしたのかずっと考えていて、いや、その考えること自体がすごく楽しい。前作は主人公がクラウスという名の少年で、今回もきっとスタッフでは主人公を男にするのか女にするのか決めかねていたと思うんだよ。というか、多分前作は主人公の性別を男にしたことでマーケティングに失敗したという反省がきっとあって、選択肢として同じ過ちをするということはありえなかったんだろうけど、多分なんとか少年主人公にできないかあらゆる手を考えていたとしか思えないんだよ。いやだって、コレ、どう考えたっておとぎ話ジャン。それもとびきりワクワクするという。絶対少年主人公じゃないと格好つかないじゃんか。もちろん主人公が少女のおとぎ話だってあるんだけど、それは機転を利かすとか賢さで勝負するものでしかないんだよな。で、本作ではジゼルがその役を担ってるんだよ。この作品を見てジゼルのようになりたいと思う男の子はいないだろうし、ファムになりたいと思う女の子はいない…というより、そうならないようなおとぎ話作りをしているんだと思うよ。
 うーん、こゝで三百代言尽くしてもグダグダになるのを承知で続けるのだが、ジゼルはファムを支える役柄でありながら、じゃぁ彼女が輝いていないか?と言われゝばそれは違うと思うんだよ。近代になって男女平等が声高らかに叫ばれてきたんだが、最近の露骨なアファーマティブアクションと言わないまでもそれに近いことが延々続けられてきて、じゃぁ世の中改善方向に向かったのか?と言われたら、それも違うといわざるを得ない。もちろん社会的地位の高いところを男が独占してきて、やはり男が勘違いして女をないがしろにしてきた部分は必ずあって、それに対する女側の不満も相当にあったと思うんだが、じゃぁ男が担ってきた部分を女がやってうまくいったか?というと、それも違う。女の側でも男に虐げられてきた分、今度は女が主導権を握るべきと思ってやってみたら案外うまくいかなくて、困ってるんじゃないかな?。むしろ勘違い女を女自身が持て余していたりするんじゃなかろうか?。そういう反省があって、理想的な男女の役割分担みたいなのがファムとジゼルの関係において描かれていて、それが絶対正しいというわけでもなく、いろいろな男女の形があっていゝという提示の仕方なんだろうけど、いや、男の自分が見ても「ジゼルのような女をこそ得め」と思っちゃうもんな。アリスティアの助言からすると、きっと今後の展開でファムが自身を見失ってジゼルがそれをたしなめるとか一時的に別れるという流れになったりするんだろうなという予感がするのだけども、それでも二人は一心同体であって、やはりスタッフは彼女達に理想の男女のあり方を見出して欲しいという形にしてるんだろうなと考えざるを得ない。
 いやぁ、このおとぎ話の面白いところは敵が悪役ではないことなんだよね。サーラがそうか?と言われると、それも(今のところ)ちょっと違うと思うんだが、敵がちゃんと大人*1の態をなしていて勧善懲悪のスタイルにはなっていないんだよ。今回登場の女男爵もそう。彼女は支援者であって敵ではないんだが、もちろん悪役でもない。ファムたちを試す役柄で、試練を乗り越えた末にご褒美が与えられる。
 今話は尺も短めで間も十分に取れていなかった(おまけに作画が微妙な場面も見受けられたが)が、それでも最初から最后までワクワクがとまらなかったよ。そんな無茶な!とかそんなキレイ事現実に通るかよ!と理屈ではわかっていても、そんなのが吹き飛んでしまうぐらいに集中してしまう。いやいや自分も若いんだろうか?。アニメなんてのをまだ見てるってだけで枯れてはいないなとは思うんだが。

*1:ルスキニアは銀英伝でいうところの、オーベルシュタインだとかロイエンタール的役柄なんだが、彼らより万能ってところだろう