機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 第21話「革新の扉」

 こりゃまた消化試合って雰囲気だな。
 とりあえず、終わりに向かってキャラを処理。敵討ちを果たしても失ったものは取り戻せないってのは古典的だが、どうなんだろうね?。退場した二人は本人達も言っていたが、人をモノのように扱っているわけで、その報いを受けましたってところでは、視聴者にとって別に退場には異存はないわけだ。敵討ちの相手にも理があり、仲間がいて、憎しみの連鎖が周囲だけでなく本人も不幸に陥っていくという構造ではないため、状況は悲しむべきだがまぁよかったねといったところ。これでルイスはアロウズにいるだけの理由がなくなったわけね。
 ブシドーとの戦いは強引そのもの。量子化というものが共感というものと関連付けられていると思うんだけど、真剣な戦いが変革をもたらすというのはなんか強引じゃね?。マリナの歌が広まっていくというのも理屈付けは確かに出来はするんだけど、それはその他大勢が今の世の中に対してかなり自覚的に状況悪化の原因を無意識にでも認識しており、そのブレがかなり少なく、歌に表されていることにかなり納得がいくって説明がないとしんどいよね。マイスター達が個人的理由をひねり出し、具体的な苦しみ悲しみを背負っているという描写の横で、「人類は歌で繋がりあえる、理由は各自で考えるように」では、あまりにも投げっぱじゃないかという気がするのだが。
 それなら、初めっから歌で何とかしてろよと。あるいはマクロスみたいに理屈ぬきで「エロ本見たらおっ立つんだから、理屈を考えてもしかたねぇよ」とばかりに何か知らないが凄いものにはかなわないよね扱いしてれば、ネタアニメとして通用すると思うんだが。でもそれって宗教だよね。かなり実体の無い。
 念仏唱えてりゃすべて解決するのなら、誰もこんな苦労はしていないと思うんだが。念仏が支持されていた時代は庶民にそれしか手段が無かったわけで、ある程度仕方が無いと思うんだが、今やどんな貧乏人でも教育が施され、贅沢言わなきゃ食ってもいけるこの時代に、キレイ事だけ言ってればすべて解決ってタダの甘えだろ。いや、実際そんな恵まれた環境でも医師や教師に逆切れして、バカなまゝでいいって層が増えているのだから恐ろしい。で、ガンダムのこのシリーズは、そういうバカを啓蒙するって気概が少なくとも前期からあったよねと。世界紛争の有様を初期に大分描いていたのはそうだったんじゃないのか?。
 ただ、刹那本人はそれなりに理解の上行動しているっぽいので、なんともな。別に刹那の変革の過程なり理屈付けを視聴者にわかりやすく示すとは思われないんだけど…というか、わかりやすく示すことはストーリーとしてしてはいけないことだと思うんだが…、そういうのは一定層の視聴者にはまず伝わらないだろうしな。