きょうのいきいきホットラインは

 ゲストが放送大学 宮本みち子。家族社会学の研究者らしい。今日は半分しか聞けなかったのだが、その範囲でまとめると、若者が非正規雇用される→単純労働で使い捨てにされる→再就職しようにも雇用保険に入っていないので職業訓練が受けられない→非正規雇用でも加入できる雇用保険が必要→企業にはもう新入社員を教育する力がない→公的に若者を訓練する場が必要…という流れ。だから放送大学に頼れみたいな下心を感じないわけでもないが、実際の雇用に必要なトレーニングを放送大学でやっているとも思われない。
 問題点というか考える視点は結構あって、申し訳ないがまた文のつながりを無視して気楽に綴っていくのだが、そこはご容赦願いたい。
 引っかかったのは「企業は若者などを安くこき使って空前の利益を挙げているのに、会社の都合で切り捨てるのはむごい」と言っていながら、なぜ企業が担っていた職場教育が、その企業で行われないことに憤らないのかが不思議だった。公的に職業教育を負担すべきとか言っていたが、本来企業が必要とする被雇用者のスキルは、各企業が自由な企業活動をしているということを考えると、自前で教育するのが当然なのではないかと思う。同じ業種の違う会社でも仕事のやり方は個別に違うわけで、汎用性のあるスキルというものは確かにあるんだろうけど、各社のノウハウはやっぱり個別で教え込むなり、むしろ新しいやり方を新人ともども考えていくのが普通だろう。公的機関が日本中すべての企業のやり方にあわせて訓練なんてどうやってするんだ?と思わざるを得ない。初等・中等・高等教育で何とかすべきとは一言も言っていなかったから、最終学歴の次にすべての人間が職業訓練校に入るべきとでも言っているとしか聞こえなかった。つまり、中学なり高校なり大学なりを卒業して、行き先の企業が決まったら、その下準備として職業訓練校を国なりが作って、そこを経由してから就職しろというわけなんだろう。
 うーん、私の受け取り方が間違っているのかもしれないのだが、本当にそういうことを言っているんだったら、昨日の詐欺師と違って本当に頭の中がお花畑なんか?と思ってしまう。新見南吉「おじいさんのランプ」ではないが、ここ最近に至って知識や商売のノウハウがころころ替わる時代に、そういう無駄なクッションをはさむ余裕があんのか?と。一つの会社で覚えた知識が次の会社で使えるかどうかもわからず、結局ある程度の基礎知識を見につけたら、後は自分で自分をカスタマイズするしかないってのはいつの時代でもあったことだと思うんだが。そうそう公的機関で汎用性のあるスキルを教えられるもんだろうか?。
 で、その公的機関を作ったり運用したりするコストは税金を使うの?。税金だって、個人としての国民が負担しているってことなら、それは受益者なりその親なりが元々先払いしていたということで本末転倒だ。不本意に強制加入させられている保険ってだけジャンと。企業が負担しているということなら、それは本来企業がコストを負担して自社でやっていた教育をコストの部分を税金という形に変えて外に丸投げしているって話だから、システムが複雑になっただけ無駄な努力をしているだけである。
 結局企業が自社の社員を自社で教育していないことを前提として認めてしまっている点でそもそもの間違い。この人の頭の中では企業が若者を使い捨てにして空前の利益をあげているということが入っていながら、その利益をどのように社員教育に使うということがあたりまえってことがすっぽりと抜け落ちている。とにかく企業のコストは徹底的に切り詰め、むしろ国が補助するのがあたりまえで、企業の利益はそのまゝ温存するって態度がもう経団連自民党の御用学者って感じがする。
 最後にデンマークの話が出てきていて、かの国では8:30が始業で16:00には終業で全然残業がないらしい。おとといの話だとこれに加えて失業時には就業時の8割の給料が保証され、かつ職業訓練もむしろ強制的にやらされるってことなんで、北欧無条件でバンザイの人なんかもしれない。どう考えても政府が国家を運営するために必要な財の計算をある程度緻密に計算して、企業活動を適正にコントロールし、国民の労働力の振り分けにそれなりに成功しているということに過ぎないんじゃないかと思うのだが。日本の場合は政財界が日本という国家をそもそも把握すらしておらず、特権階級がおのれの欲望に忠実に金を毟り取るために弱いところから最大限搾取しているってのを誰も止められないということだと思うんだが。某巨大掲示板の経済板ニュー速+を生暖かく見守るスレにある、「経済とは金儲けのことではありません、経世済民」と書いてあるのをひしひしと噛み締めている。そういう意味で政権与党の自民党も、まさに経済の名を冠する経団連なり経済同友会も全く経済について徹底的に無知であるというのは現代日本の不幸であるといわざるを得ない。