若者を喰い物に…途中経過

 若者を喰い物にし続ける社会 (新書y)なんだが、なにやら様子がおかしい。今、P120ぐらいまで読み進めているのだが、とにかく老人層が若者を食い物にしているという認識は一貫として変わらない。しかし、公務員バッシングと、地方公共団体の担っている公益事業をとにかく民間にという論調なのだ。

 3年ほど前に発表された「社会投資ファンド」の創設は東大と一橋大の教授の発案であり、新聞も報じた。私から見れば、公共事業など政府の仕事を半ば株式化し、上場させて、金融商品に変える画期的な考え方だ。日本経済の構造改革政策のなかでも、「究極の構造改革案」である。
 この仰天理論を考案したのは…(中略。太字は引用者による。)

 簡単に言うと、「社会投資ファンド」とは、不動産投資信託のように、資金を募ってビルや公共施設など社会資本を購入し、それをリースしてリース料を投資家に還元する。実にシンプルな仕組みである。森林を購入し、水資源涵養を行う資源ファンドといったようなものや、街づくりファンドなど公共的な利益に反映されるものも考えられる。要するに、お役所の仕事を効率の良い民間に丸投げするシステムだ。
 もし「国土交通省ファンド」をつくってしまえば、役人や巨額の補助金がいらなくなり、不要なダムや道路、橋、トンネルがもうつくれなくなるだろう。だから、陳情政治、いや土建国家そのものの息の音を止められるパワーを秘めている。

 3年ほど前といえば、小鼠改革の真っ最中。東大もゴマ摺ってるわけだし、一橋といえばケケ中の出身校。二匹目のどじょうというか、甘い汁を吸おうと一生懸命なのが窺えて泣ける。
 もちろん私も自民党強化のためのバラマキ政治による、要らぬ公共事業は無駄と考えているが、社会的インフラはもともと採算が合わないもので、利益を考えるのであれば利用料金を取らねばならず、利用者が少ないからといってバカ高い使用料なんて取った日にゃ閑古鳥が鳴く始末になる。どの民間ファンドが水資源涵養のために森林を購入したりするんだろう?。もしかして森林を捨て値で買い叩くとか、水道料金をバカ高くして投資資金の回収をやんのか?。
 自分が小学生のころは渇水期に取水制限がしょっちゅうあって、浴槽に母が水を溜めていたりするのをよく見たものだが、高校生ぐらいからトンと見なくなったのはダムのおかげだし、必要なインフラ整備というものは今は少なくなっているとは思うがあることにはあるだろう。今、日本にとって悲劇なのは国家デザインができる人が全くいないことで、それこそ日本改造論からの進歩が見られないのだろう。一度は国家デザインを行い、メインフレームの見直しをすることなく修正しつづけて破綻してから、国家建設のための法案なり予算生成システムを政治家や政治家のタイコもち官僚が私腹を肥やすために使い続けてきたってのがこの30年ほどの流れなんだと思う。
 よく勘違いしがちであると思うんだが、高度経済成長期に本当に経済が成長していたのか?というのは考え直さなければならない。所得倍増計画によって仮に所得が倍になったとしても、当時はインフレであり、物価が同じように上がっていては庶民にとっては別に所得が増えても生活が豊かになるわけではない。
 1971年までUSD1=JPY360であったし、大多数の日本人にとっては舶来品は高嶺の花だったわけで、しかも自分の父親がホンダ車を購入していたが、故障続きでとても現在のように品質の高さゆえで売れている日本車のイメージは無かった。ソニーのラジオやカシオの計算機など、高度経済成長初期から日本の屋台骨を支える輸出商品だったのかねぇ?。自分が日本の輸出商品として思い浮かべるのは造船業だったりするのだが、あれにしたって基本は戦前あたりの技術の継続だしなぁ。戦前は日本に資源がなく粗悪品だったのが、戦後になり軍部や財閥による不効率な面を改善して品質が良くなったんでねぇの?。戦前などはメードインジャパンは一昔前のメードインチャイナと同様、粗悪品を示す用語だったらしいし、日本製品がその品質の良さで売れ始めるのは、高度経済成長が終わってからのようなイメージが強い。大学の検査機器も舶来をありがたがって購入してたしな。機械化による日本製品の高精度化が本格化するのは1990年代に入ってからでねぇの?。
 話が逸れたが、高度経済成長期ってのはとにかく日銀が札を刷りまくったというだけで、よく考えてみると貨幣によらない基準でいうとどれだけ成長したのか判断に困る。とにかく金を刷れば市場に円が溢れる以上給料は上がるわけで、馬の鼻先に吊るされたニンジンに向かって働かされていただけなんじゃないかとも勘繰ってしまう。
 合計特殊出生率は実は高度経済成長の初期である1956〜7年ごろにはすでに2ぐらいになっている。団塊の世代は4を越えており、これまたどこの後進国?とも思うんだが、これが十数年で半分に叩き落されるってのもすごいといえばすごいわな。ほんで、実はこの段階からすでに高齢化社会になるってのは見えていたんじゃないかと思う。(出生率が2だと、人口はほぼ増減しないわけで、そうなると団塊の世代以前が生き残れば、この世代が高齢化率を引き上げる瘤になるわけだ。)
 厚生労働省の今いる最高齢の高官ですら入省の段階で既に年金は破綻することを知っていたわけだ。まぁやらせだわな。日本は国土が狭い上に、平地が国土の3割とこれまた人間が増えるには辛い環境で、高度経済成長期の段階から日本の人口を減らすことは考えても、増やすことはそもそも考えていなかったのではないか?。高度経済成長期ですら、農業をはじめとする自営業を潰して工場労働者・企業の雇われ人とすることに必死だったし、残業をさせていた以上、マクロでもミクロでも、国民の家庭で過ごす時間を奪うことに邁進していたとしか思えない。百姓は生かさぬよう殺さぬようという徳川時代の権力者のおことばがあるが、まぁ自民党も匙加減をまちがえて、国民を絞りすぎて殺す方向に舵を切りすぎたんだと思う。自殺者も多いしな。
 まぁどうやればこの地獄の状況を改善していくのか?もっと読んでみなくちゃわかんないかな?

 世代間の負担を悪用して日本を弱体化させた世代が犯人であるなら、本来はその世代が被告席に座り、裁判を受け、判決を受け、刑に従って裁きを受けなければならない。

 とは書いているものの、「本来は」という言葉の使い方をしており、

 しかし、現状では、お年寄りの世代が「犯人」なのに、子どもの世代がつかまり、裁判は孫が受け、刑務所での罪の償いはひ孫が引き受けるといった理不尽な状況に置かれている。

 といった現状認識だけで、どう年寄りに責任を取らすのか本気では考えていない。で、今までの具体的な提言が小鼠改革の「国家破壊」だったりする。「できちゃった婚」も推奨して、そのための支援まで言い出す始末。なんだかなぁ。言っていることは間違いではないんだけど、8割ぐらいのことがウソっぽい。危機をあおって、有り金を全部差し出させる詐欺師のような感じを受ける。まぁ全部読んだら、彼の提言がある範囲内でのシステムとして考えるに値するものかもしれないので、即断は避けておく。著者紹介をみると出身大学が載ってないんだよなぁ。まさか慶応閥だったりするのかねぇ?。マスコミで経済記者って胡散臭いしな。マスコミってどこよ?みたいな。
 若者が搾取されていることには同意だが、その若者にしたって某巨大掲示板ゆとり教育を受けた世代をアルバイトとして目の当たりにして絶句するようなケースがいっぱいあって、小鼠選挙のときのB層狙いの本なんかなぁと思わんでもない。太字のところのように全体が皮肉だとかいうのなら、わからんでもないのだが、それやっちゃダメだろうと思うしな。