うーん

 アニメ視聴の準備は整っているんだけど、ローゼン第2期の最終回も迫っていますので…。
 何をトチ狂ったのか、そんなに槍玉に挙げなくてもいいのに舞乙をローゼンより評価する人が多くてついカッとなってしまったわけですが、ここは関係ないように見えて舞-HiMEについて触れておかなくてはなりません。
 無印舞はヒメがお互いの大切なものを賭けてチャイルドを駆使してお互いが殺し(?)合うという、現代の競争社会にも似た、つまり自分の家族なり住宅ローンなり大切なものを守るためには職場の同僚を蹴落としてまで成果主義に傾倒しなければならない蟻地獄をうまく表現した作品だということは以前にも述べました。第一クールで楽しい学園生活を描いているからこそ、その仲間同士が殺しあうのが悲劇的に見えるという演出で、「サンライズ初の萌えアニメ」という言葉にまんまと騙されたのは未だに記憶に残っております。戦いがいけないものであるとわかっていても、その過程で自分の欲望が明らかにされ、そのドロドロしたものに対面したときに各キャラクターのとった行動、逃げたり立ち向かったり開き直ったりという剥き出しの感情がやけにリアリティを感じさせたものです。そして、自分の大切なものを守るために戦っているのに、その戦いに勝っても負けても守りたいものが失われてしまうという悲劇が何度も提起され、こんなに世の中を深く切り込む視点(といってもメロドラマ)があるのか?とびっくりさせられたものです。
 そして感心したのは、世の中を混乱させているのは明確な悪人がいて、すべてそいつが悪いんだ!ということが言いたかったのではどうやら無さそうで、社会を構成している一人一人の欲望の総計がそうさせるのではないか?という視点なのです。わからずに自分のためだけに戦っているのもいれば、わかっていても戦いに巻き込まれざるを得ないとか、現実の対戦相手は他人なんだけど、本当の敵は自分自身の欲望や欲望総体としての社会の不条理であったりとかというのが面白かった訳です。だから最後にみんな復活させて黒曜の君というあからさまな敵を設定した上でみんなでそれをたたくという結末があまりに安直だったわけで。そういう結末だからといっても、みんなが空を飛んで思い思いに黒曜の君一人を嬲り殺しにする陳腐な描写にしたのは、「これはキャラクターに悪印象を生じさせないクレーム対策で、本当はやっぱり大衆の欲望の総体が世の中を混乱させているのだ」という主張なのかもしれません。明確な敵がいて、原因を絶てば良くなるという主張をしたいのだったら、もっとキャラクター同士の欲望なんて表現せず、早い段階から協力させて主悪と戦わせるだろう?と思いますよ。
 そこで、ローゼン第2期ですよ。これはむしろ無印舞にくらべると、世の中を混乱させている原因となっている明確な悪は確かに存在するという主張のような気がします。我々の欲望が世の中を混乱させていても、まぁこれは資本主義の原則から言って納得は出来る訳です。より金…うーん権力をもつものが悪意を持った場合、いくら大衆が自分たちの欲望を我慢して協力して立ち向かっていったとしても、所詮より金を持った側が勝つというのが近代資本主義発祥以来からの結論なのであって…。まぁその明確な悪というのが、現時点ではクリスなり白崎@ラプラスの魔なり、未だに真のお父さまではないんじゃないのと私は思っている槐*1であったりするわけです。そして今期の主人公であるルビンは一度は心ならずもアリスゲームで自分の仲間を傷つけるという負い目を持たせているのが憎いところです。彼女は決して競争社会で一人勝ちすることがいいことだとは思わない。アリスになりたいという欲望は必死に抑制しているんです。彼女自身はアリスゲームをしなくてもお互いが共存しうると信じている、誰かをハジくことは結局自分に降りかかってくるとわかっているし、のっぴきならないこととはいえ実際に加害者として経験して辛い目にあってもいる。そしてメルが復活することによりその辛さから一度は解放されてもいるのです。そして不戦の誓いをしたのです。彼女は自分の考えを押し付けることはしません。現代社会が自分の利益のためだけに声高らかに主張をし、声の大きいものの意見がごり押しされるというのと対照的です。そして共存は可能というよりは共存した方がより良い社会になるんだという主張のために総ギャグ回があってみたり、萌えとも思われる描写が無印ローゼンより多かったりするわけなんです。きわめつけはカナとの勝負を避けるためにあえてカナの主張に静かに耳を傾け、カナのために一肌脱いだりしちゃっている訳です。
 でも、その社会が守られない、明確な悪が登場して戦わざるを得なくなったときには、我慢に我慢の末戦いはするのです。戦わないこと、戦わずして喰い物にされてしまうことがそもそも共存を否定することにつながるからなんです。だから彼女は静かに怒るんですよ。ラピスが自縄自縛で特攻するのは止められない。自分の理想の共存が破られることに心痛むものの、干渉のしようがない*2ので見守るしかない。しかし、自分を慕ってくれもし、共存に賛同してくれた、そして彼女の意思を尊重して最後まで戦わない努力をしてくれた(ベーレ、)ヤーデやカナが戦いを仕掛けられたときには共同して戦うわけです。でないと自分で共存を否定したことになるから。アリスゲームを肯定・否定したという次元じゃないわけです、彼女にとっては。そしてどうしても罪のない誰かの排除を前提とする競争社会・成果主義を肯定するための市場原理主義に抵抗するモノとも読み替えられる彼女をどうしても応援したいんですよ。
 まぁ舞乙と違って終わっていない原作も考慮に入れなければならないだろうし、舞乙の潤沢な枠と金とを比べるとどうしても描写が足りなくなってくるわな。だが全12話でどう詰め込むのよ?オレには製作者は十分練りに練ってあの見せ方を選択したんだと思うぜ!と思ってしまうのです。プロデューサーは「枠はこれこれ、予算はこんだけ」という仕事の分捕り方をするだろうし、監督以下のスタッフはその条件でやりくりしなきゃなんないとおもいますぜ!。どうせルビンがアリスを射止めて彼女の理想どおりローザミスティカは各ドールに返されて復活するんでねぇの?というラインはきっと外さないだろう、確実に言えばルビンがアリスゲームに勝てないって選択肢なんてありようもないでしょうし。そして槐が真のお父様だろうとなかろうとどうでもよくて、でもアリス化したルビンはどのように変身するのか、クリス側の思惑がどう明かされるのか、ジュンはどう物語に関わってくるのか、など伏線の回収だけでも楽しめるし、いままで行ってきた予想が裏切られるようなどんでん返しでも楽しめるし、私にとってはローゼン第2期最終回が楽しみでしょうがないんですよ。

*1:もちろん真のお父さまであるかもしれない。そうなるとこちら側が悪ではないというどんでん返しになりうる訳ですが。

*2:強引に彼女を止めることはひいては強引にアリスゲームに参加させるのと大筋で変わらない、むしろ無理やり止めることはラピスとのアリスゲームを誘引しかねない