カワイスギ#3

 追加の工作員もやられてしまう&ハムスターとハリネズミの巻。てっきり主人公と猫の関係性をメインに話が組み立てられているのかと思っていたのだが、ペット全般の話っぽいな。かといって、OP映像みたところ、これで打ち止めっぽいみたいだし、今後どういう展開にするのか気になる。地球侵略のミッションは初めの段階で即堕ち二コマでどうにかなってしまったので、こういう先行きどうなるかわからんのも一つの手段なのかも。
 ふと気づいたのだが、昔はペットに耽溺するのはNGという雰囲気だったし、ともすればこういう物語においてもペットとの別れを描いたものが多かったものだが、そういう作品がすっかり無くなってしまってるのが気になる。一つのパターンとしてペットを拾ってそのペットとの心のつながりができるのだが、身体がとんでもなく大きくなるなどのクライシスを経て飼うのに手が負えなくなって自然に返すというもの。こういう物語の方がむしろ価値観の多様化した現在の方がしっくりくる、つまり人間には人間の、動物には動物の本来いるべき場所があって互いに干渉すべきでない、動物を人間の支配下に置くことは人間の傲慢さであって、それは動物本来のありかたを犯すものであるというメッセージが込められてたと思うのだが、人間にとって都合の良い動物だけを選別して支配下に置き、特にブリーディングの段階で人間にとって都合のよくない動物は排除する*1という構造の上に、人間に選別された動物のみが人間にとって家族とでも言える存在なのであるという傲慢さが見え隠れする。しかもホントにうんざりするのが、こういう構造が人間社会でも現に起こってる*2こと。この作品がそこまで見据えてるとは思わないんだけども、今回の話でも自分が溺愛してるペットを他人が見てドン引きするぐらい優遇する姿を描いているが、自分が気に入らないものは、ペットであれば無視すればいいけど、では気に入らないのが人間だったらどーしてると思う?という話。「貧困の再生産など起きない。彼らは子供さえ持てないからいずれ消え去るだろう」なんだから、アベトモでない人間は意図的に搾取して貧困に追いやれば子供さえ持てないから消え去るわけで、子育て支援というのは小梨から搾取して消え去るように仕向け、子持ち層が肥え太るという仕組み。公園を中年男性が利用しても、子持ちの母親が不審者といって警察に通報する時代。ハリネズミやハムスターを人間に置き換えれば、一般的に役に立たない、人に害をも与えそうと思われてる人間であってもそれを愛する人間もいるというメッセージととらえることもできるけど、むしろ現実社会の方が人間に対して厳しいという…。極端に言えば、ある種の人間に都合がよければカワイイペットのほうが、貧困に追いやられた人間より優遇される状況は個人的には常軌を逸してると思うんだけど、社会というものはここまで変わってしまうもんなんだなという驚きにも似た感情が沸き起こって仕方がない。

一撃姉#3

 魔族の幹部再登場の巻。うーん、よくわからんな。ブラコン姉の魅力が描けてるのかと言われると、それに魅力を感じてる層がそうだというのはともかく、自分のようなそもそもブラコン姉に対して嗜好がない人間には伝わってないのでは?という気がするし、強い女に庇護されたいというシチュエーションが描けてるというワケでもないかな。今のところ主人公を見る限り、自分の力で人生をぐいぐい切り開いている(強い)男の姿を描こうとしてるのではなく、せいぜい自立したいけど実力が全然伴ってないヘタレを描いてるわけで、ではそういう男が厳しい世の中で生きていくには、強い身内がいるなら頼るしかないというテーマで話を進めているように思われるし、それはむしろ現代的なテーマだと思うからハハーンなるほどなとも思う。
 ただ、そうなるとこういう物語だと兄姉というより親のほうが昔からの定番で、萌え作品だから男はあり得*3ず、だからこそ母親に絞られると思うのだけども、そこはやはりパートナーに疑似的な恋人という要素を付加すると、母親を据えてしまうと洒落にならんので姉に落ち着いた…ということなんだろうという気はする。いやまぁ一姫二太郎が、まず女を生んでおいて、それ以降の子守の担当をさせるという時代もあったから、別に姉を母親の代替物とする考え方がなかったわけでもないんだけど…。
 とまぁ、設定に気持ち悪いものを感じつつも、もう現代社会には共同体としての機能が大幅に低下してるんで、厳しい世の中を生きていくためにはせめて血縁で助け合うしかないというテーマには現代性が感じられるし、内容がキャラの馴れ合いってものであっても今から見切るつもりはないんだけど、これ、いつ面白くなるの?と思うとあんまり期待できる作品でもなさそうだなというのが現段階での評価。まぁアニメ化されるぐらいなんだからもしかするとこの先面白くなる展開が待ってるのかもしれんが…。

六道#3

 ロリを更生させるために一肌脱ぐ話。やられた。なるほど、主人公は社会…というより日本のリーダー像として描かれてるわけね。この作品の悪女というのは、語義通りの悪女ではなくて、何らかの事情でドロップアウトせざるを得なかった女であって、彼女たちが厳しい世の中を生きていくためには自身が攻撃的にならざるを得なかったという話のような気がする。彼女たちをドロップアウトさせたのが他者でもあり、また彼女たちを見殺しにしてきたのも他者なんだから、悪女と言われた彼女たちが他者に対して躊躇なく攻撃的になれるのもまた納得で、そういう攻撃的にならざるを得ないから攻撃もされるし、そのことでまた自身もさらに攻撃的にならざるを得ないというスパイラルから主人公は救い出してくれたから惚れこむのであって、今回巻物の術が、一旦主人公のことを好きになるという段階がある一定より深くなったら、一度その術が解ける…という可能性が示されたわけだが、仮にそうだとしても主人公が依然惚れられ続けるのは、深い業の連鎖から救い出してくれた主人公がそれっきり放置するんではなく、ちゃんとメンテナンスをし続けてくれるからなんだというのもまぁ納得だよな。
 彼が強い女を利用するというのも、最初は違和感があって、まぁファンタジーなんだからなろう小説のように不思議な設定によって彼自身が人を救えば救うほど強くなるような仕組みでどんどんインフレさせても構わないのだけども、そうではなくって、人一人の力は有限である、適切な力の使い方とは何か?という点でもよく考えられてると思う。ヤクザを使うにしても、自分に都合の悪い安保反対闘争デモをしてた一般人をヤクザを使って殺してた岸信介、オトモダチ内閣と言われてた仮病で政権を一度放り投げる前のアベが自分に都合の悪い動きをする一般人をヤクザを使ってバンバン暗殺してたことを思うと、花の観察日記をヤクザを使って脅して従わせるってのも、一見陳腐に思えるのだけども、花の観察日記→作物の観察日記→農業生産性向上のための研究→産業の振興というふうに結局社会をよくするための方法のメタファーなんだと考えると、これもあーなるほどでしかなかったり。

トニカワ2#3

 ネズミーランドで結婚にまで至るカップルありの巻。前回の猫の件を引っ張るのだと思ってたから拍子抜け。てっきりあれは二人の子供の代替物と思ってたので、子育てのメタファーとしていろいろ描写をしてくるのだと…。とはいえ、やはりアレは二人が子供を作らないことのエクスキューズであり、現在友人の好意に甘えて小さいながらも一軒家を間借りしてる状況で、いくら旦那のほうにそこそこフリーでも稼ぎがあるという状況であっても、この作品自体が貧困層向けの結婚ファンタジーなのだし、そうであれば、もう子供は贅沢品であるという日本の現状だと、子供を作ったはいいが、子育てに振り回されず相変わらずイチャイチャ過ごす描写はいかにもリアリティからかけ離れるし、かといって子育てのお陰で振り回されてギスギスしてる状況を読者揉みたいはずはないので、猫を飼うのは子供の代替物としてはそこまで的を外してる話ではない。しかし構造的には子育てと何ら変わりがないのだから、もしこの作品がアレを「夫婦が子供を持たないエクスキューズ」として示しはするが、しかし今後の話にはほとんど関わらせないという判断をしたのなら、それなら正しいという感じかな。
 しかしいきなり結婚までもっていきますかね…。ヘンな話、自分ですら時代の変化に引きずられてるという感じで、昔は見極めの時間は必要だが誰と結婚するかの意思判断は早かったから、そういう意味では納得できたという。年功序列終身雇用寿退職がアタリマエの時代の会社組織は疑似共同体だったわけで、そういうところでは働きながら自分に合った異性を見出す場として機能してた。高度成長期には首都圏でもなければそうそうデートの機会もないし、働けば働くほど給料が上がり会社も大きくなってその会社に属すれば会社が安定すれば社員の将来の生活も安定する時代だったので、遊びに行くよりモーレツ社員であったほうが甲斐性があるとされたわけで。前近代においても若者宿や娘宿に若者は属し、共同作業を通じて異性はお目当てのパートナーを探してたわけで、鄙びた農村に遊びに行くようなオモシロオカシナところがあったわけでもなく、大抵なるようになってた。
 結局ほとんど面識のない二人が、相手の見た目だとか即自的な理由で誰が結婚相手として適当なのかの見当をつけ、関係性を深めるためにデートなど、日常生活とは別に二人の時間をわざわざ捻出する*4ことがアタリマエになりはじめたのは、よーく考えてみたらバブル時期ぐらいからなのであって、そのへん恋愛資本主義の果たした役割はホント業が深いよな…。

女神のカフェテラス#3

 デザイナー志望と空手女の紹介をやって満を持しての開店。そこに来た嫌な客とは?と、その客にキレたのは一体?みたいな話。一通りヒロインズの特徴を紹介し終わって、ようやく話が本格的に動くか…という感じかな。お色気要素を客寄せパンダに、大枠は三文芝居なんだけど、正直なところ割と悪い感じはしない。OPの歌詞にも運命共同体という単語が入ってるし、なんか素直にこのドタバタを楽しめそう。

マジデス#3

 抑圧側の本格的な攻撃があったが、相手はオタクの転向者だったという話。いいたいこともよくわからず、相変わらずワケわからん状態だが、これもそう悪い感じでもなさそうな感じがしてきたな。B級なのは間違いないとして、そのB級を楽しんでやろうという感じは受け取れるし、なによりも「オタクってこういうシチュエーションが好きなんだろ?ホラ喜べ豚ども」みたいなものがなさそうなのがいい。
 オタクが勝利しました…リアリティの欠片もない結末にするわけにもいかんし、かといってオタクは迫害されたままでした…とか、オマエに言われんでもわかっとるわでしかないので、物語がどういう帰結になるのかについては意味がないのかもしれんね。めんどくさいけど、それなりの盛り上がりやクライマックスまで待たないといけんかもしれんね。

江戸前エルフ#3

 お取り寄せグルメと継承の儀、そして新キャラ登場。ネタ切れはやっって感じだが、こういう小市民的しみじみが本作の本領でもあるのでそのへんはまぁ。江戸由来の文化でひっぱるのもアリなんだけど、別に東京の今の発展は江戸由来の延長線上にあるのではなく、容赦なく地方からヒトモノカネを奪った結果なので、三代続かないと京都人とは言われへんどすえをやられても鼻につくだけなんだよな。

バディゴル#16

 メイン二人の両親の話。二人に公開されてる情報では腹違いの姉妹と勘違いしてもおかしくないんだけど、視聴者にはそうではないと示されてるのがうまくできてるよなーという感じ。いちおう黒髪の方は金髪と別行動、金髪は古巣に舞い戻って泥仕合という展開みたいやね…。
 日本編とでもいうべきここまでの話はあまりピンとこなかった感じで、ラストの結論が血統主義かよとちょっとうんざりしてしまう要素もあるんだが、ただ、血統主義に帰結するのは仕方がなくて、親の形質が子供に遺伝するのは摂理であるし、逆に親の世代が実力でのし上がった…というのも、よーく考えてみたらそれは競争というよりは自然選別とでもいうべき状況なので、進化論を見出したダーウィン偉大やなという感じ。それを今まで物語上では運命と片付けてきた(もちろん現実にはそうでないことが圧倒的に多いのだが)のもなんかここに至って、よくできた整理法だよなという。
 物語としての面白さがなくなってしまったわけではないんだが、なんか複雑な感じ。貧乏人である自分だと、経済的に恵まれないキャラが血のにじむような努力をしてのし上がっていくストーリーのほうが心躍るんだけど、今だと先天的な能力に恵まれ、効率的なトレーニング方法でしか現実のスポーツは勝ち上がって行きにくいので、競技スポーツの黎明期*5でもない限り、ある程度の血統主義の方が逆にリアリティが増すんだよね。解体屋ゲンさんの作者がいみじくも言った通り、スポーツに専念できる環境にいるってだけで一般人とはいえない…のであり、こうやって作品を振り返ってみても、力で強引にねじ伏せる主人公の力強さも、鍛錬をしてるとは言えども結局親ガチャに勝ったからかぁとちょっと興醒めな気分になるのも仕方がないかも。

*1:表に出ないだけで、ペットショップに出荷されない不細工な個体はフツーに殺処分されてると思うので

*2:自民盗の格差拡大政治や、キチフェミのお気持ちに沿わない人間は排除などなど…

*3:昔から兄弟は競い合う相手、父親は乗り越えるべき対象だったから

*4:見合い相手と交際期間を設けるのは、相手を見極める時間がふんだんにあった前近代の有り方とは違っていたからで、実際交際期間を設けても、結局相手が他の異性とは機能的には大差ないことを確認するだけに終わることが多かった。見合いをすること自体が、結婚することが前提になっているんだから、大局的にはあとは自分が納得するための時間に過ぎない

*5:攻略法が確立してないので