いつ海#4

 先の作戦での所属艦隊が解隊され、次の作戦のために再編成を受けるの巻。全8話だというからてっきり年末特番を避けるために、年末を待たずに早々に最終回をやるのかと思ってたから、まさか変則的分割2/3(1/3、休み、1/3)クールとは思わんかった。
 しかし個人的にはセリフを極力抑えてBGMも切っての、この構成は好きなんだけどなー。バトルシーンで冷や水を浴びせられたので、なんかもったいない感じ。ただ、脚本担当が担当なので、会話のキャッチボールだとか行間に込めるだけの実力が無いから雰囲気で誤魔化してんのかなと思わなくもない。セリフ間の空白に込めた内容が、こう手慣れた人だと、いちおう軸としての方向性は有りながらそこから派生して連想されるものがその軸を邪魔せずにちゃんと脇役の座を占めてる…って感じになるんだけど、どうもイマイチ荒れてる感じがしないでもない。自分の場合だと詳細はともかく、史実がぼんやり頭にあるから補完できる要素もあって、そこがしっとりと感じられるのでイイ!ってなるんだけど、なんの前知識もない人だとキャラの意図が雲をつかむような感じでしんどいかもしれんねぇ。
 扶桑山城が、任を解くのセリフ時には敬礼だけど、最後のお別れ時にはもう任を解かれて軍人ではないからお辞儀…というのもなるほどやし、そもそも負傷して能力を失ったから除隊というのも、その後の主人公の悲しみを見る限り、本当は戦死しているんだけども、あのようなお別れをして気持ちにケリをつけるという形にしてるんだろうなとか、ディテールも悪くないんだよなー。
 再編成された部隊は史実だといわゆる大和を旗艦とする沖縄特攻の編成だから、あーってなるんだけど、そういや時雨って作戦に参加してたっけ?と思ったら、そういや故障かなんかで修理の必要性があったかなんかで、編成はされたけど参加自体はしてなかったような。ただ、坊ノ岬は1945年なので、タイトルにあった1944とはちょっとズレるんだけど、そのへんどういう考えで1944という数字をつけてしまったのかよくわからんな。
 しかしなんだな、やっぱり大きな物語として何を言わんとしてるのかよくわからんところ。今回史実で沈んでる艦はほぼ除隊させてるけど、沈んだはずの最上を残した理由とか、敵の待ち受けてる中、負けるとわかってるのに作戦を続行して部隊が全滅した海戦を二つも並べる理由とか。今、自民盗政権が国民を攻撃して日本経済がズタズタになってるのと、先の大戦で合衆国が日本を返り討ちにして絶望的な戦況でなおも戦い続けるのと同じ構図かと言われたら、そういうのとは全然関係ないような気がするんだよな。先の大戦では別に交戦などしなくても、もう勝てっこないのはわかっているのだから早めに降伏すれば、早い話北方領土問題などなかったはずだし、沖縄が占領されることもなかったわけで、じゃぁ国民を攻撃してくる自民盗に庶民はどう対処したら被害を抑えられるのかといわれたら、これはもう絶望的なのであって、そのへん太平洋戦争と現状の日本とを重ね合わせることに意味があるとも思われない。
 で、主人公は軍人なのだから、基本的に言われたことを実行するのみ…って態度なのはこれはもう十分なんだけども、いみじくも彼女は最前線にいて戦況が圧倒的に不利なのはわかり過ぎるほど理解してるはずだし、戦いによって仲間が脱落していくんだから、そのへんはまぁフツーの感覚として、こんな戦いを続けることに何の意味があるのか…だとか、ある種の諦観だとか絶望があってもよいし、これはそういうタイプのドラマではないのだけども、逆境に耐えてなおも闘志を失わないとかでもいいんだけども、そういうのが垣間見える…みたいな感じでもなさそう*1なんだよな。旅館でみせた涙もちょっとそういうのとは縁遠い感じがしたし。なので、現代の日本とリンクさせないのならさせないでもいいんだけど、では何がテーマなの?というところ。別に今それが描かれないからダメだっていうつもりは毛頭ないんだけども、そうなると最終回(そこまでに見せてくれるかどうかは別にしても)待ちかねぇ。

惑星のさみだれ~#23

 敵を倒して隠れボスの処理をしたところ。仲間との関係性を積み重ねて失うことが怖くなったヒロインがどうなるかなんてまぁ途中から読めてしまうことなんだけど…。
 というわけで、この作品のメッセージ性とかオリジナリティはともかく、自分が心にこうと決めた人のためにはトコトン味方であることを貫き通すという主人公と、ヒロインの関係性は、これはもう夏目金之助の坊ちゃんと清の関係性と呆れかえるほど一緒なのであって、あーこの作品もかーみたいな。夏目の坊ちゃんはとかく内容の薄っぺらい文学性の高くない作品って評価が下されがちなんだけど、それもそうで、吾輩は猫であるが新聞連載小説であったように、坊ちゃんも娯楽大衆作品として書かれていたわけで、ストーリーの大筋が前半は無鉄砲だった半生を振り返り、後半では社会の荒波に揉まれて逃げ帰るまでの話であって、主人公なのに割とダメ男であるような描かれ方に終始してる。同じダメ男が主人公である津島修治の人間失格も、これも大概が読書感想文の対象になって、それを読んだ中高生に自分はこうはなりたくないなと書かれてしまいがちな作品なんだけど、これ敗戦直後に発表されたのであって、国土だけでなく人心も荒廃しきってた日本で、あの負い目を負ったキャラクターたちに共感をもった読者はそれなりに多かったハズで、それでも主人公はダメ人間と思っちゃう勘違い読者のために太宰は最後で主人公は優しい人なんですよというセリフを付け加えちゃってるわけで…。
 で、本作に限らないのではあるけれど、しかし大抵主人公は超人的な力を持っていて、物語の中でその超絶な能力をふるって敵をなぎ倒し、仲間からの信頼を勝ち得て、なんかしらんがそれでハッピーエンドって物語が多くって、その力はファンタジーなんだから、リアリティの欠片もないでしょという感じではあるんだけども、そもそもこういう作品が想定してるターゲット層がお子ちゃまなんだからそこはまぁ。最近大流行のなろう系での、異世界転生で俺TUEEEEでも顕著なんだけど、こう、ヒトにはかくれた超絶的な力があるのであって、それが場を得れば発揮されるんだよという荒唐無稽な設定に現代人はなんでこうも乗せられ易いんだろといった感じではある。それを踏まえて坊ちゃんや人間失格の構造を振り返ってみると、これらはもう社会的には何の力もない「弱者」が、同じく社会的には何の力もない「弱者」に寄り添ってる物語なのであって、自分も若いころには坊ちゃんも人間失格も、なんでこんな作品が文学作品として称揚されてるのか甚だ不思議だ…と思ってたぐらいなのでアレだが、こうやって歳取って改めて何度も再認識させられているという次第。しかも文学的にはそう高い評価ではないハズの坊ちゃんが、もうこれでもかというぐらい対象の味方になって徹底的に寄り添うという構造がパクられているというのにも夏目が文豪と呼ばれていることの証左というか、深く納得させられてしまうという…。
 というわけで、自分の人生に絶望してたお姫様には、何が何でも自分の存在や意思を肯定してくれる王子様が必要だったし、最初っからお姫様は自分が救われることを望んでた…ってだけの構造であって、このアニメが放映され始めた当初は、原作ファンたちに低評価だったみたいなのだけども、確かに昨今のよくできたアニメに比べて荒っぽい作りだとは思うんだけども、だからこそこの作品の本質があらわになって見えただけなんじゃね?という風に思える。個人的にはそんなに話立てが悪いとも思わないし、かといって特筆すべき点があるというワケでもなく、娯楽作品としてはごくごくフツーという評価だなぁ、現段階では。

*1:一番可能性が高いと考えているのが、「これから自分はどうなっちゃうんだろう」という不安だと思うんで、だからこそ扶桑山城の除隊が実は除隊ではなく戦死のメタファーと考える根拠にもなっていて、そうでなければ涙まで流さんでしょという話