サマレン#21

 メインヒロイン、満を持して復活の巻。あーやっぱり…みたいな。ただ、今回は妹ちゃんへの告白、妹ちゃんの告白と手順を踏んで、主人公のメインヒロインへの想いとやらを高めていたから、構成的にクライマックスでのカタルシスは得られたというか、でもそれでいいの?って感じはある。人の死は避けられないし、復活はないから貴重なのであって、だからその対価として誰かを助けるという自己犠牲だとかが尊いのであって、「実は死んでませんでしたー」とかうーん、うーん。この物語がループ構造なだけに、何度も死んではやり直しを繰り返してるから、結局のところ「大変だ大変だ人が死んだぞ」「なにそれは大変だ」→「実は死んでませんでしたー」のオオカミ少年なので、費用逓減効果そのもの。そのなかで、今回の復活をそれなりに感動的に演出できているのは大したもんだという話ではあるんだけど、そんなことに一生懸命手を尽くしてていいの?と個人的には思っちゃうんだけどな。
 個人的には妹ちゃん推しなんだけど、なんつーか、活発な感じではあるのに姉に比べて決断力がなく、せめてわからんところでも主人公に尽くすって要素があればまたそこで姉か妹か選択を迫るって構図にもできるんだけど、結局想いを秘めて遠くから見てるだけポジションなので、そりゃ姉に勝てるはずがないでしょ…というか、おそらく作者は最初っから姉と妹にそういう意味での格差をつけていて逆転不可にしてる。
 あと、今回気になったのは平行世界理論。分岐が起これば元の世界が自然消滅とか、あんま他の作品でも見ない設定だったのにちょっと驚いた。元の世界が消えるんならそれ平行でも何でもないジャンということなのだけども、主人公だけでなくメインキャラに過去の記憶が蓄積されるんだから、元の世界が消えるってのも案外間違ってるとも言えないかなとは思ってる。ただ、他の例で人格をコピーしてそれをネットの世界に移植するとか、人口脳に移植した場合、コピー元の人間と、コピー先の人間の関係性はどうなんだ?というと、コピーして移植が完成した時点でもう二人の人格がその時に同時に存在するんじゃないかと自分は思ってるので、コピー元の人間が死ぬかと言われるとそれは違うと思うし、やはり平行世界も消滅しない設定の方がSF上それっぽい感じがする。まぁ人格がコピーできるかどうかがそもそもファンタジーなので無意味な議論だとは思うが。
 うーん、不思議な感じ。なんつーか、ストーリーテリングの手法としてループ構造以外に間違ってることをしてるとも思わないし、視聴していてループ構造でがっかりはあっても、イライラさせられるって感じではないんだよね。前半部分はループ構造でも結構物語にのめり込んでたし、後半に入ったらループ構造が物語に没頭するのを邪魔することが多くてあまり楽しめないってのはあるんだけど、これ、呪術廻戦でも思ったんだけど、前半は勢いがあるけど後半に入る頃にはエクスキューズが多くて楽しめないってのはなんかジャンプ原作に共通する性質なのかなと思わなくもない。ダメ…というより、惜しい…って感じなのよね。それも作品本体ではなく原作者に対してそう思ってしまうというか。

かのかり#23

 桃髪ロングの担当回。もうラス前なので主人公争奪戦にほぼ見込みがない状態でなにやるんだろ?、消化試合なのかなと思っていたのだが、案外見どころがあったというか。なんか待ち合わせ場所で渾身の振り返り動画とかやけに気合が入ってんな…とも思ったし、その他でも結構ここベストシーンですよみたいなカットがいくつもあって、なんか優遇されてんのなと思ったのだが、後でggってみたらどうやらこの娘を取り出したスピンオフ漫画があるようで、商業的にはそれに対する動線づくりなのだとは思うのだけども、まぁそれだけではなかったというか。
 一つ思い浮かんだのは、言語コミュニケーションがすべてではないですよという提示。自分が前に視聴した作品でいうと阿波連さんのようなアレ。阿波連さんは阿波連さんで、声が小さいのはむしろ脇役で、一度ロックオンした相手にはベッタリという距離感のつかめなさがテーマだったのだけども、この桃髪ロングでいうと、直球で言語コミュニケーションが苦手というのがテーマになってる。で、結論としては、別に言語コミュニケーションが苦手でもオッケーじゃんという話。まぁこういうケースだと、障害者のように自分はハンデを負っているのだから他人が気遣うのがアタリマエと、他人が助けてくれるのを待っているのではなく、フツーの「女の子」としてふるまえばそれでいいんじゃねという話。そりゃしゃべくりでないと許容できない相手だとそれは無理という話ではあるのだけども、現代だと別に無言でもスーパーで買い物もできるし、日常生活には困らないわけで、ただ、つがいになる場合にはいろいろ気遣わなきゃならないことはあるんだろうけども、一番大事なのは相手のためにどれだけのことができるかという話なのであって、言語コミュニケーションの優先順位は決して高くないという。まぁ今でもそういうのはあると思うが、昔は男の方こそ余計なことはしゃべらないというのが美徳であったし、無口な職人気質というスタイルが当然であるかのような時代があって、女の方がしゃべくりで、男は度胸、女は愛嬌と言われたものである。
 で、クライマックスは主人公がメインヒロインのことで思い悩んでるということを友人の話ということにして桃髪ロングに相談するエピソードにはいるわけだが、サブヒロインの共感能力が高く、余計なことをいわないでも寄り添っているだけで相手が癒されるというのは、むしろ言語コミュニケーションを駆使してべらべらしゃべくり倒して慰めるより正解であるという話。これ、女が愚痴をこぼすのは喋ってスッキリしたいだけで、相手に解決方法を求めてるわけではなく、むしろ解決方法なんて提示されたら興醒めってアレにもつながる。今ドキはコミュ力とか言われていかにもトークのうまさが出世のカギだとか、よりよい人間関係の潤滑油などと持て囃されてるわけだが、長所は短所、短所は長所であって、本当にベラベラ喋ることが正解なの?という疑義を呈した回のようにも思えたというそういう話。こんだけサブヒロインにいわゆるコミュ力にハンデを負わせて、でも今回の話で彼女凄く素敵じゃなかったですか?という反語なんだろうと思うのだがどうか。