プリマドール#6

 主人公のいる黒猫亭がステージショーをやるために新装開店する話。なんかメインキャラ達の関係性がある程度構築されてその集大成って感じの話だった。まぁこの物語が戦後であるというのも、現在の日本が世界的な経済戦争に敗戦(せっかく高度成長期に技術力や生産力を高めたのに、バブル後の失われた30年の自民盗政権で自らその社会構造を壊す自滅戦争をしてたため)し、その戦後処理中であるというリンクもさることながら、そういう表面上のハートフルストーリーとは別に、やはり組織論的要素が込められててなんか侮れんなという感じ。
 なんかうっかりすると聞き逃しそうになるが、客が二人しか来ない閑古鳥状態を何とかしようとする様子は、業績不振の企業をどうやって立て直すか?という視点が込められており、その時に経営層が現場の労働者に裁量を与え、余計な制約を加えたりしてない様子がオーナーとの会話で示されてる。そこには書類上の不備で企画をやり直せとは言わないし、根回しがないからと拗ねる重役もいないし、上役のメンツを立てないからとやはり拗ねる管理職もいない。
 で、主人公を中心に人形たちが協力し合う姿が描かれてるわけだが、昨今の企業だと成果主義で互いが競争し合う社員はそこにはいない。企業の同期と争う場合、大抵その企業には、優秀な社員はもっと条件の良い企業に入っているだろうし、そんなに能力の差があるわけではないから、他人を出し抜いて成果を上げる方法としてすごく簡単で、よく実際使われているのが「他人の業績を横取り」&「他人の足を引っ張る」という社内政治。まぁそれで社内が互いが互いを略奪し合う環境になってしまい、ギスギスしてうまくいくはずがないんだけども、成果主義を煽り、成果を出せないものは容赦なく報酬を下げたり切り捨てたりしてるとそうなるのは当然の摂理。
 ところが、この物語だと、主人公は仕事ができない…という風に描かれていても、彼女をほかのドールたちは慕ってる。というのも、彼女は仕事ができないから、では他人の成果を横取りしてるか?というとしてないし、他人の足を引っ張ってるかというと、そうではない。というより、他のドールたちが困っていれば助けてるし、他のドールたちの担当回で、主人公を絡ませて彼女たちが救われただの本懐を遂げることができただのを描いてきて、他者のために働いているのが明らかで、彼女は略奪ではなく贈与の主体になっている。で、オーナーはドールたちに成果を出せとは言ってないし、成果を出せないからダメだとも言わないし、まぁ実際問題それでアレが本当の企業だったらそれでやってけるのかというと…ではあるんだけど、気長にドールたちの奮闘を見守る立場から逸脱しない。
 そんなわけで、やっぱり表面上の萌え要素に気を取られてちゃいかんなという感じ。