しゃちされたい#12

 初詣に行った神社の鬼っ娘神様に目を付けられ、絶えず引っ越しを手紙によって迫られるのだが主人公は相手にせず、そのうち火事になって追い出された末に出会った不動産屋は学生時代の友人で、人生についての意味についてちょこっとふれてEND。なるほど最終回にて一番の主張というか、メッセージだよな。ただ、これもなんと業の深いことというか、もはや仕事に生きがいを感じる時代は終わったのかなという感じ。今までのサラリーマン応援歌的作品だと、それでも生きていくために働かないといけないが、でもその仕事はいちおう概念的には社会を何らかの形で支えるものであって、それによって見ず知らずの他人と社会制度的にはつながっているんですよ…みたいなものが暗黙の了解としてあったと思うんだけど、もうそれすらかなぐり捨ててきたんだな、我々の社会は…って感じ。このクライマックスでの主人公による、仕事に対して意味を感じてない風なセリフを聞いても、個人的には若者の甘えだとか、それでもなんとか我慢して社会を支えるものとしての義務を果たすべきとは全然思わなかったわけで、世の中もいよいよ極まってきたなという感じ。すっごく楽しいというセリフも個人的には全然肯定的にはとらえられなくて、ではその辛い仕事から脱却できたとして、主人公自身は何をやりたいのかさっぱり見えないし、ちみっこ精霊に入れあげるちょっと残念な人ぐらいのイメージを持った。ただ、庶民が自分の夢やその実現のために何か積極的に動くべきとも思わないし、庶民がささやかに暮らしていくためにそんなに意識高い系になるべきとも全然思わないんで、その庶民の代表例として主人公が提示され、それがょぅι゛ょ精霊を日々の辛さから逃げる対象として求めてしまうという構造というのは明らかに社会が病んでるんだろうなという風には思った。まぁ先行して萌え作品なるものがずっと昔からあったわけだが、男対象に、癒しが魅力的な異性であるというそれはもう単純な構造だったのだが、今回主人公が女であるということを女限定と受け取ってよいのか迷うが、癒しとして求められるのは血を分けた家族でもなく、魅力的な異性でもなく、もちろん友人でもなかったわけだが、その代替物としての疑似家族の要素が、「子供のように見える実質ペット」であるというのがなんともまぁという。自分の場合、もう最初っからょぅι゛ょ精霊たちは子供のメタファーであって、しかも子育てのキツイ部分を主人公は負担しなくてもよい都合の良い存在であるということは既に言及済み。化け猫に至っては子育てが要らないどころか、子供の姿をした家政婦なのであって、そのへんはお隣さんのメイドも同じような存在。これがまだ疑似的な子供であるとでもいうのなら話は単純なのだが、別にこのょぅι゛ょ精霊たちを学校に通わせる必要も感じないし、彼女たちが大人になった時に困らないよう自活の手段を教えるだのといった親としての役割を全然果たさなくてよいのだから、これはもう人間の恰好をしたペットというしかない。で、ツイッターを見るとうちの猫がいかにかわいいかという書き込みでが氾濫していて、あー時流に敏感なんだねこの原作者は…といった感じ。昔だったら犬猫は放し飼いがアタリマエで、糞尿や賃貸住宅の損傷を考えたらペットお断りの物件が多かったように思うが、もう時代がペットなしでは済まない精神性の人たちが増加してしまって、ペットのためなら賃料上乗せでいいですよ、で、放し飼いではなくもう家犬家ネコとしてほぼ家の中に監禁状態で、飼い主が在宅中は散歩で外に連れていくことはあるのだろうが、基本屋内でペットを飼うのが基本となってきてる。そういう最近のペット状況と、この作品のょぅι゛ょ精霊たちはほぼ一致していて、そういう状況を形にしたんだろうという感じ。
 というわけで、別に日々の労働に意味を感じられず精神的に追い詰められた雇われ人に癒しの対象を与えるということでは何の文句もないので、それが必要だと思う人はただただこの優しい世界に浸ってくださいというしかないが、ただ、これはどう考えてもいびつな世界観なので、そのへん真剣に考えたら気味が悪いという。なんつーか、ヒロポンモルヒネを何本打ってもそれで自分の辛い状況が改善するわけはないのだけども、でもそれを打ち続けて自分を騙していかないと精神的に保たないって状況はわかる気がするので、そのへんは生暖かく見守るのが吉なんかなーみたいな。

ヒロたる#12

 黒髪眼鏡ロングと和解してステージ動画、そしてマネジャー見習い復活までいってEND。やっぱり気遣い過剰ファンの正体は黒髪ロングだったという。当初は黒髪ロングが主人公をイジメる役まで兼ねてるとは思わなかったからそのへん予想が裏切られて楽しかったんだけど、この最終回の展開は意外性もなく淡々と王道展開で〆。まぁことに及ぶ前に主人公がマネジャーだったと打ち明けていればおそらく黒髪ロングも納得してただろうし、黒髪ロングの不満は、さんざん自分が気遣いして適正な距離を保って自制してるのに、主人公はそのへんのやるべきことをやらずにずかずか踏み込んでズルいだったと思われるので、ホント主人公がスタッフとわかってれば…なのだが、それだとドラマにならないので。いちおう事務所から公言は禁止されてるからというのがエクスキューズにはなってるが、あんなの言われなくても秘密にするもんだろうし、そのへんの互いのすれ違いで事件が起こるのは当然なんです…という仕立てはまぁよく考えてはある。
 というわけで、アイドルもちゃんと物語に過剰に出しゃばらずに適切な距離を取って神輿としての役割を十二分に発揮してたのも好印象だったし、そのへん主人公の細腕繁盛記としてはよくできていた。ただ、これはあくまで若者向けに、青春を謳歌せよ程度のテーマ性であって、あんまり年寄りが見てこの作品から何かを学ぶとかそういう要素は希薄だったように思うから、そのへんはまぁ。ただ、自分が視聴した範囲でしかないが、大量にあふれてるアイドルものよりはよっぽど理念が空回り…ってことがなくてそのへん視聴していて物語に落ち着きがあったように思う。

骸骨騎士#12

 巨大モンスターを倒して強国の思惑が一通り開示されてEND。まぁいろいろ変則的なものがありはしたんだけど、全体的にオーソドックスな勧善懲悪なのでそんなに特筆すべきところがあるってわけでもなく。終盤のセリフを耳にしても、身内にばかり甘い汁を吸わせてそれが罪にも問われず、明らかな犯罪行為だと暴露されても警察検察は全然手を付けてくれない…なんて状況から強さを誇示するってまぁそういうことだよなと。でもこの物語と違って別に悪を罰するのも善を救うのも現在の日本にはいないわけであって、ダメなものはダメだというのはまぁわかるんだけど、これで何度目だよと。悪い事はしてはいけませんという明らかなことを口にしたからといってそれで事態が好転するわけでもなく、むしろ違法行為が日常化してるだけじゃねーかみたいな。悪を懲らしめる正義の味方が出るどころか、後を引き継いだスガもキシダも結局は泥棒仲間なのであって、前任者の償いをするどころか、階層構造を固定化してるだけなんで、時間が経過すればするほど事態は悪化してるから、能天気に勧善懲悪を歌い上げられてもな…という感じ。まぁラノベやアニメに期待する方がオカシイといわれたらそう。
 うーん、個人的には終盤に差し掛かるまではハンコ小説程度ぐらいの認識で、視聴してる分にはそんなにストレスもなかったんだけど、終盤は実現しそうもない理想を聴かされて嫌に説教臭いなとちょっと鼻にはついたかなという感じ。前回も言った通り、主人公が努力して無敵のステータスを得たわけじゃなし、そうだとわかっていれば害もないけど単純に妄想の類だよなと。途中主人公がファンタジー世界のいろんな事物を目の当たりにして単純に喜んでいたから、正義の味方として過剰に世界に干渉するんじゃなくて、ファンタジー世界を観光客気分で楽しむ傍観者の立場ぐらいの方が個人的には楽しめたかもしれん。まぁでもそれだとカタルシスは得られんわな。

まちカドまぞく2#11

 みかんの転校の様子と、彼女の呪いをシャミ桃がなんとかしようと動き始める話。ギャグの軽妙さはまぁそこそこなんだけどなんかベタベタした関係性で、継続してチェックしてる読者や視聴者はともかく、初見でこれだけ見せられたらダメな萌えアニメと判断されてもおかしくないと思う。どうにも問題が卑小化されてるなと思わなくもないのだけども、これは前にも述べた通り、不特定多数のどこの馬とも知れない他人を無条件で助けてもそれは全然助けられた側にもフックせず社会はよくなるどころか助ける側の負担ばかり増す、ならば縁あってつながりの深い他人のことを日常から気をかけ困ってる時には遠慮なしに助け合う関係になろう、社会全体をよくするってことは結局その延長線上にしかない…という主張のように思うので(だから「まちカド」)、個人的にはその方向性に全振りしてるだけなんだろうなという感じ。


黎明期#11

 魔力を持つものに敵対する勢力から大軍を差し向けられてその対処に追われる話。なんんか最終回を控えて盛り上がってるなという印象。キレイごとのオンパレードではあるんだけど、今までの蓄積でいろんな整理をしてきてるので結論として腑に落ちるところがある。これも前に言った通り、基本的にはテストケースをとにかく読者に投げかけてところどころ作者なりの答えなりをちょこっと示しながら、それに対する読者の反応を期待してるというか、そのへんの送り手と受け手のキャッチボールがそれなりにできてる感じはする。
 あと感心したのはちゃんとのじゃロリが大人の役割を果たしてる*1こと。他の大人とされてる人々は歳こそとっているけど、大人としての役割を見失ってるというか、一人一人が確固とした人となりを持ってるか?といわれると微妙で、それに若者が自分を仮託するためのメインキャラ三人が配置されてるような気はする。
 初期の頃はやっぱり説教臭いしキレイごとの主張が鼻につく感じだったのだが、同じキレイごとであっても理詰めの快楽というか、仮にこうだったらこうするのがよいよね?というあくまで仮定の話であっても、そう考えるのは別に不自然ではないよね…と妙に感心させられる何かがある感じ。その主張が現代社会で通用するかどうかは問わない限りにおいて、それはそれで面白いという形になってるような気はするな。
 タイトルだけど、割とこの物語世界での魔法使いのごくごく初期のエピソードのことを指し示すのか、それとも最初に異名として明らかにされてた、のじゃロリの黎明の魔女の物語という意味なのかずっと考えていたんだけど、必ずどちらかというわけでもないのだろうが、おそらくのじゃロリにアクセントが置かれてるように感じた今日この頃。

おにぱん#11

 鬼娘三人組が桃の付き添いでオーディションに行ったらアイドルとしてデビュー寸前まで行く話。青はともかく赤はオーディションの中でなんで高得点を取ったのかわかるような仕組みにちょっと驚いた。アイドルになりたいと思う時点で、自分が売れたい、ちやほやされたいという欲望から逃げられないものなので、では観客の思いにこたえるために鬼娘たちがなぜ支持されるのかもこれまたわかる仕組み。おもったより理屈付けがしっかりしてるように思われて、ラス前としては見ごたえ十分だった。
 しかしおにパンを穿くシーンが復活してくれたのはうれしいのだが、やっぱり恥ずかしがらないと背徳感が出なくて惜しい感じ。ただ、恥ずかしがらなくなったということに彼女たちの心情の変化が込められてるので、これに文句つけるのは筋違いだワナ。

*1:今回のじゃロリが床に転がってじたばたしてたのが象徴的というか、あれは逆説的で訳知り顔で「やらない理由ばかり述べ立てる大人」と対置してる。