ヴィヴィ#12

 EDの歌のお披露目は次回に持ち越しの巻。うーん、おそらくスタッフによる社会批判としての結論(BE)は今回示して、次回最終回は物語としての体裁を整えるため(HE)のボーナストラックといったところだろう。ヴィヴィには歌えなかったと言わせてるが、そうではなく、アーカイブからの問いかけを受けて悩んだ末の結論で、あれは「歌わなかった」と解釈するのが自然。彼女が人類を救うことを本義と考えているなら、そもそもあそこで悩む必要性がない。他の作品だったら、結構時間をかけて考えて結論に達するところが、もうあの時点でそういうことなのねと分かったから、あんまりミスリードという形だとも思わない感じかな。
 いやまぁ救われなかった世界を示して、やりなおしの次の話で世界が救われないはずはないのだから、正直次は見なくてもそれなりの結論が示されるんだろうなとは思うが、こうやって終わってみると、垣谷が結構なキーマンだったなという感じ。少年時に音楽AIに心を寄せ、事故の際そのAIに助けられた直後にそのAIを失い、なぜそのようにAIに愛着を感じていたはずの彼がトアクという反AI組織に身を投じたのかという疑問、まぁそれなりに想像はつくのだが、ただ、やはりトアクに所属した後も、何度もヴィヴィというAIに命を救われて、その彼が本当にAIに反感を持っていたという風にはどう考えても思われないワケで、そしてその彼の遺志を彼の孫が受け継ぎ、松本博士が彼女こそ救えと言ってるのは、今回の一緒に歩ける存在というセリフにもある通り、共存するための一番AIに近い存在だからなのであって、これも誤読はしようがないんじゃなかろうか。
 まぁそのへんの構造でオモロイのが反AI組織であるトアクがAIを憎むがゆえにAIを人間と対等の存在とみなしており、ではこの社会の大多数の、反AI組織に所属していない一般人はAIのことはどう考えているのかというと、それはよくいじめ問題なんかでもいわれている「無関心」。アーロン収容所で会田雄次が、イギリス人が日本兵捕虜をどのように扱ったのか、下世話な話をすると女性将校が日本人の捕虜の前で裸になるのも構わず着替えてたのはなぜか?みたいな感じで、この作品での一般人のAIへの無関心というのは対等の存在とみなしてないという、トアクとの比較において非常に差別的なのだが、まぁこの作品のオモロイところで、そういう人間をわざと描かずにいる*1から、気にしないと人間はそもそもAIをどう扱っているのかに気づけないような作りになってる。描いてないものは無いと主張するのも出てくるとは思うんだが、いろいろ補助線を引けば割と見つけやすいので、あーわかる人にはかなり見える風景が違ってしまうように作ってるのも、えげつないというか、いやよーできとるわって感じ。

*1:いやまぁAIに心を持たせるよう設計しときながら、実験に失敗したからといってリズを廃棄処分にしたり、グレイスを夫から切り離して人柱にしたりしてるんで、別にこれ見よがしに描いてはいるのではあるが