スラ300#8・9

 ハルカラの運命の結末と主人公の偽物の話。ハルカラの粗相をどう始末するのか、まぁ助けられないって展開はないことなんて明らかなんだからそのへんは全く心配してないのだが、結構楽しみにしてたんだけど、なんか延び延びになってた。
 主人公が勝てばという妙な神明裁判もどきなのもちょっと工夫してるなとは思ったんだが、こう主人公がことあるごとに家族を助けるためなら…というのがどうにも引っかかっていて、しばらく考えて腑に落ちた。最初は「人間、守るものがあると強くなれる」って提示かと思っていたのだが、別に主人公は試練に対面して、例えば特訓して成長した末に魔王に勝ちましたという展開ならそうなるんだけど、あいにく主人公は300年生きてLvMax、最強の存在になっているのだからそれはない。なので、これは「力がないと大切なものを守れない」という提示になっていて、これはよーできとるわとちょっと感心した。
 赤ドラと青ドラの和解につながっていくんだけど、これもよーできていて、魔王のやったことは、なるほどフラットルテを主人公に人質として預けるってことが最初っから仕込まれていたんだなと。別にメインキャラに青ドラが加わるのはOP・ED映像からして明らかだったので、そのへんは別に何の違和感もないのだが、こういう流れだったのかと。別に人質っていっても、こう何かあったら人質の安全は保障しないという脅迫を意図してるとかそういうもんではなく、前に竹千代が今川家の人質になっていたのは、あれ、ゆくゆくは今川家の重心として取り立てるために手元で教育を施すといったことがあるが、そういう話。まぁその後豊臣秀吉徳川家康も盛んに養子という形で人質をとっていたわけだが、やはりこれも見込みのあるものはゆくゆく取り立てることを目的に目をかけていたとかそんなの。実際フラットルテは主人公の弟子という形で、ライカとはご学友の関係になっているわけだし、その後ライカとは猪退治のミッションを通じて共同作業を行い、その後の食事で同じ釜の飯を食う間柄になったわけで、この作品、高原の魔女の家がアジールであるというだけでなく、異文化交流だとか、今回の対立する者たちの和解の場にもなっているとか、かなり人と人とをつなげていくってテーマが意識されているとは感じる。
 偽物の話は、うん、まぁ認知欲求の高い今ドキの若者の話だよね。ちやほやされたい、そのためには人に迷惑をかけてしまっても構わない。うんうん。わかるよわかる。刺身をごみ箱に捨てて再利用するとかしないとか、わざわざ公然とネットにUPしたりするもんね~。
 しかし、この作品、ちょっと今回の話で見直したというか、ちょっとラスダンと似た香りがするんで気になってggってみたら、原作者、大学院在学中に賞を取って商業デビューしてる人らしい。なろう作品だからきっと素人か、素人寸前のできることなら商業誌の編集の目に留まって成り上がりたいというそういう立ち位置の人なんかと思ったら真逆の存在で、商業作家がそこそこ作品を出しているのに、わざわざなろうでも作品を公開していたというもの。で、なろうで公開して支持を得たから商業出版されるという、もうどこをどう判断したらよいのかよくわからん。とりあえず最初にアイデアとか書きたいという動機があって、でもこれを編集と相談して最初っから商業出版するのはめんどくさいから、手っ取り早くなろうで公開しちゃえとかそんなのなんだろうか?。公開しても鳴かず飛ばずならそのままで構わないし、支持されたらその時は商業出版すればよいぐらいで、わざわざ編集会議で検討してもらわなくても、トライアンドエラーで結果がてちゃえばそれが説得性を持つとかそんなのだろうか。まぁ別に商業を意識せず、自分のやりたいことを好きに公開しただけみたいなことも考えられるけど、趣味に走りすぎてクォリティの低いものを公開してしまうと、自分の評判にかかわるわけで、以後の商業出版にも影響しかねないから、作家として名が売れ、その名で公開している以上ちょっと考えにくいことではある。

おさまけ#8

 メインヒロイン抜きの沖縄旅行前編の巻。うーん、しっとりしてきてちょっと面白くはなってきたかなという感じ。やっぱり人が他人に見せてるペルソナと内面は一致してるわけでもなく、その複雑性を描写って感じなのかな。でもまぁ末晴はトロフィーハズバンドって構図はそう外れてもなさそう。トロフィーワイフが一般的に女優だとか女子アナだとかというのは、やはり人に見られる職業であり、しかも当人は自分がどう見られているかに自覚的で、TPOに合った振る舞いができるわけで。