ていぼう#12

 キス釣りのリベンジと部員を馴染みあわせてEND。なんか今までに言い切ってるような気がしないでもないが、丁寧な描写で条件さえ整えば自分でも釣りがしたくなるような作りで満足度は高かった。魚種と料理の仕方でそれなりに話は進められるんだけど、メジャーな魚に限定したらある時からループしなきゃならないだろうしで永遠に続けることは難しいだろう。堤防限定なのは、船釣りの面白さを捨てていてそれはそれでもったいない感じはするが、個人でボートを維持するためにはちょっと気合がいるし、乗合船だとちょっと高校生の小遣い程度ではなんともならないので、順当ではある。
 とはいえ、個人的にはもっと眺めていたかった作品であることは間違いない。クォリティが絵も話も最初っから最後まで安定してたのは素晴らしい。

うまよん#12

 最終回ということなのか、レースシーンで〆。ネタ自体に新鮮味はないが、テンポが小気味よくて楽しい気分のまま駆け抜けたのはいかにも本作らしい出来。
 個人的にはイマイチなエピソードもあったが、総じてショートアニメならこんなもんでしょってな感じ。多くを期待せず頭を空っぽにして楽しむのに最適だと思う。本編が気に入っていたなら尚更。

かのかり#1~#11

 これも一気見。とはいえ、実は#1だけは視聴してた。実はかなり混乱してるのだが、この作品、なんつーか、普通のドラマとは一風変わってる印象を受けた。とにかく詰め込まれてる要素が多いという。特に顕著なのが、性教育に関しての啓蒙要素が強いってこと。公共波ではできるだけ避けられているであろう忌み語を選んでセリフにしてる。まぁ原作が週刊マガジン連載らしくまだ継続中らしい。未読だがおそらく原作からしてこういうテイストなのだろう。で、視聴後Wikipediaを確認して、ありがたいことに概略しか書いていなかったので以降のネタバレもなかったわけだが、どうも原作者、このレンタル彼女というサービスを実際に体験もして、その様子を反映させてるらしい。ストーリーを追うと、リアリティとか投げ捨てて、そもそもそんな展開ありえんだろとしか思えない強引さなのだが、それというのもテーマを掘り下げるためには導入部でトロトロしてるわけにもいかないんだろう。なので、物語性はあんまり重視してないと思われ、なので、啓蒙小説だとか教育番組っぽいように感じたのだと思う。
 アニメ本体というより、おそらく原作からしてこういうテイストの作品なんだろうが…と思ったのだが、それに対する一つの示唆として思い出したのが、ちょっと前にNHK第一ラジオのゴールデンタイムで若者性のお悩み相談室的な番組をやってたなというもの。その番組は、どちらかというとジェンダー問題全般を扱っていてLGBTの問題なんかもやっていたのだが、ほんの数日間、LGBTではない性の問題について専門家の概説や若者リスナーの電話相談を受けてた。最近の問題として、とにかく性の問題について学習する機会が少ないらしく、例えば自家発電のやり方を知らない層が結構いるらしい。SNSあたりで無責任な情報が氾濫しているせいか間違った知識で事に及び、困ったことになってることも多いらしい。まぁいつの時代でもなかなか自分の欲しい情報にたどり着けない層は一定数いるわけだから、何を大げさな…と思わなくもないのだが、先の間違った知識で自家発電の例にしてみても、おそらくその困って病院に駆け込む若者が前に比べて多くなっているという実感が現場の医師で共有されたからこそ、それが社会問題として犬HKに持ち込まれて企画が実現したのであろうし、なんとなくわかるような気はする。
 こう、ラジオなんか聞いていてもよくよく考えてみたらオカシイことが多くなってきてるわけで、例えば、小学生が学校の授業についていけないから塾が必要だとか、自分の頃はそんなことを聞いたことがなかったのに、やれ小4の壁だとか、時代が下ると小1の壁、果てはそれぞれの学年に壁があるとか、小学校の勉強なんてたかが暗記程度で乗り切れるぐらいのものなのにとにかくたまげることが多い。自分は長じるにつれてそれなりに成績が上がっていったが、それでも小学生の低学年の頃はカタカナが覚えられなくて困ってたぐらいで、成績も低位だったわけで、そういう自分が高学年になって親に塾に通わされたのではあるが、それまでは時々というかかなりサボりながらでも学校の宿題をやる程度で授業についていけていたし、それは周囲もそうだったわけなので、なんでこんな酷いことにという感はある。
 例えば、足し算なんて、1+1が2であり、2+1は3なのであって、そういうのを自分で敷衍していって一桁の数字を覚え、またかつ簡単な足し算ができるようになるのであって、そこに塾の介在が必要って理屈がわかんない。新しい概念は暗記するしかないし、小学校程度で頭を使うことはそういう基本を積み上げて拡張していく程度で理解できるものであって、論理の飛躍だとかが必要なものではない。だから、授業をこつこつ理解していけば小4の壁にぶち当たるってのはそうそうない話であって、そこに壁ができた…というのは要するに学習の蓄積がなされてない、つまり学習習慣が昔に比べて著しく損なわれているってことに他ならない。しかもそれが小1にまで及ぶのであり、いや、いくらそこでつまづくバカであっても意思の疎通が困難であるほど日本語が通じないってこともないわけなので、変な話、学習態度の問題であろうというわけだ。
 そこで塾の問題が持ち上がる。端的に言って、わざわざ低強度の学習ですら教えてしまうからかえってダメにしてしまうのだと思う。自分で考えればわかるようなことを「教える」ことによって最初っから答えを与えてしまうから、自分で考えないようになってしまうわけだ。簡単な問題であっても外部から与えられる答えが存在し、自分の直感と答えとの往復しか存在しないことになると、そこに思考過程というものが外される。簡単な問題ですら自分で考えることなく答えを引き当てるかどうかだけになってしまうわけだから、ちょっとした応用なんて途方に暮れるしかない。要するに教えることによって自分で考える能力を奪ってしまってるわけだ。人間がものを考えるということは、目標に向かって試行錯誤を繰り返し、壁なり障害にぶち当たればそこで軌道修正をかけて自分なりの結論に辿り着いていく過程そのものだと思うのだが、もう結果との比較で正誤を判断するだけだから、そのいちばん大切な過程がすっぽ抜ける。
 学校のお勉強なんて、誰が解いても答えは一つしかないものが大半だと思うのだが、外部から与えられる答えにあってるかどうかだけの判断しかなく、それすら小学校の段階でダメになってしまってるのに、では相手によって対応も変わるし、当事者にとっても答えなんて一様でない複雑な人間関係なんて処理できるはずがないでしょということになる。しかも勉強ができないのに学校には通わされ、そこで精神の安定を保つにはクラス内でのトモダチ関係が最重要だということになると、そりゃ同調圧力から逃れることは出来ないでしょ。で、知識の習得度によって学校での立ち位置が決まるのではなく、そういう人間関係の強弱で安定度が決まるような底辺校だとスクールカーストやいじめに絡め取られるわけで、もう学習なんて二の次三の次になってしまう。で、まだトモダチ関係なら相手との距離を保てばなんとかなることも多いが、恋愛になると必然的に相手との距離を詰めなきゃならないし、詰めれば詰めるほど自我と自我のぶつかり合いに直面することになる。答えが決まってる学校のお勉強ですら外部からの承認が必要なのに、試行錯誤の経験もなく、答えにあってるかどうか程度の判断力で人間関係の処理がそううまくできるはずがない。だから、冒頭の性知識にしても、そもそも人によって正しい性処理のあり方なんて違うし、試行錯誤のやり方が分からなければ、自分で失敗にぶち当たりながらも自分なりの正解にたどり着くという考えもないし、なんか世間で話題になってるからそれが正しいのかもと、面白半分な性知識にふりまわされてしまう。自分なりの正解を見いだすことでなく、他者に笑われない、承認されることが基準になってしまうから、答えのない現実に直面して途方に暮れてしまう。
 なので、本作の主人公が、#11に至ってようやく他人に配慮できるようになってはいるが、それまで見栄張って裏目に出、ひたすらみっともない姿を読者に晒してるわけだ。そこに、人間関係に困難を感じて一歩を踏み出せない読者の共感を呼ぶような作りになっていると見るしかない。
 以上が第一義。この作品、性に関する教育番組的側面が強いのではあるが、もう社会問題全般というか、昨今の人間関係における精神医学的側面みたいなものもふんだんにとりいれられていて、そこらへんのごった煮風味が、作品全体の統一性を損なっていると感じるんだけど、とにかくいろんなイシューをドキュメンタリー臭をなるべく感じさせないよう強引にドラマ仕立てにしてるんだと思う。それこそ茶髪ロングのメインヒロインがレンタル彼女をやってるのだって、それこそずっと前から高騰する学費に格差拡大政策で家庭の経済力が低下して、女子学生がキャバクラで学費の足しにするだとか社会問題になっているし、古くはブルセラ、最近だとパパ活にまで至る流れで、もっと踏み込めば、主婦が生活費稼ぎにデリヘルをやってることにまで繋がる。フェミがサブカル作品を指してやれ女性のモノ化などと言ってるわけだが、もうずっと底辺層は自分で自分を商品化しなければならない現実もあったわけで、それが性行為を伴わないカジュアルな人間関係にまで及ぶという描写はもうアイロニー以外の何物でもない。主人公の元カノの金髪ショートは、今だとサークルクラッシャーあたりの自己承認欲求の強いバケモノだろうし、黒髪ショートは、主人公が口からでまかせという形をとってはいたが、いみじくも虚言癖という単語から連想されるようにメンヘルだろうし、メインヒロインの商売上の後輩である桃髪は見かけどおりコミュ障だろう。主人公とメインヒロインの関係は、恋愛結婚の根幹をなす自由恋愛に対置する形で、イエとイエとのつながりを意識した旧来の男女関係を示しているのだろうし、決して昔のあり方がよかったというつもりもないのだろうが、かといって現実のあり方が決してよいものでもないんだよ、もちろん時代は変わってしまったから、いくら良くないことだと判っていても、個人個人でそのクソな現実に対処していかなくっちゃならないけどね…という主張でもあり、そのための指針的な要素が強いのだと思った。