ラピス#12

 大方自分の予想通り。しかしエネルギー充填率wとか笑って見てたわけだが、こう現場が実際に身を挺して戦ってるのに対して、オルケストラなるものが民衆の魔力という名の経済力を搾取しているという構造に見えてしまうのもう本当にアレやなという感じ。結局これって3S政策そのものであって、3S のそれぞれがアイドル・ダンス・ステージに対応していてテキストスタッフ明らかに意識してそういう構造にしてるとしか思えない。じゃぁ彼女たちが戦ってる魔獣ってなによ?ってな感じだが、これは徹底的にぼかされていて、とにかく倒されるべき敵という要素しか持たされてないっぽい。そのへんは視聴者が勝手に当てはめてくれって感じだろう。民衆の姿も、これは最初三話程度視聴して思ったように、おそらく現在の疲弊した状態ではなくて、まだそれほど疲弊してない地方都市だとか中間層だとかだろうし、そのへん政権批判とか現代の社会問題に具体的に切れ込むものではないだろう。アニメはおそらくゲームの導入でしかなくって本体はゲームのほうだからこれは判断として正しいとは思う。実際、キャラのすべての名前を覚えられたわけではないが、ユニットの性格付けや誰が誰とユニットを組んでるかは自分ですらぼんやりと意識づけられたし。ただ、その程度ならそれなりにクォリティを維持できていてもシナリオとしてわざわざこの作品を視聴しなきゃらないってほどでもないのが惜しいところ。
 ステージ映像はおそらくすべてモーションだと思うが、正面絵は割と不自然さが目立たなかった。自分あんまりアイドルものを追っかけてないから、この作品がステージ映像の最先端を行ってるのかどうかわかんないが、ぼちぼちチェックしてるアイドルものの推移からすると、少しずつでも違和感がないようにクォリティはよくなってるんだろうなとは思う。が、トラッキングショットで例えば被写体の正面から側面に絵が変化するときはさすがにお人形さん映像だなとは思ってしまう。推し武道あたりは、モーションと手描きセルとをうまくミックスさせてたが、個人的にはやはり手描きのほうに魅力を感じる。理屈で考えると、モーションは人間の関節にセンサーを取り付けて、それを取り込んで映像の動きに反映させてるから実際の人間の動作に近いはずなんだけど、実写のダンス映像と比べても、どうにも動きにキレが感じられない。手描きセルアニメのほうが誇張表現であり、リアリティはモーションに比べると無いはずなんだけど、アタマで何らかの補完が働くのか、モーションはいくら画角を工夫してダイナミックな表現を意図しても、箱庭って感じがする。どうせCGで軌道を計算しても絵に落とし込むときは2Dになるんで、生成される一枚絵の切り取り方を工夫したらなんとかなるんじゃないの?と思うが、素人が考えるほど簡単ではないのだろう。本当に人間が踊っているかのようなリアリティを表現したいのなら、それこそディズニーの白雪姫(1937)のように、実写で撮影してそれをトレースすれば良いって話にもなるわけで、手描きのコスト削減のためにCG使ってるのにさすがにコスト的にそれはやれんでしょという話ではある。
 個人的にいろいろ物足りない点はあるけど、それでも退屈せずに見終われたからそう悪い印象はない。頑張れば報われるってメッセージを文字通り受け取れる年齢でもないし、ゲームの販促だと考えると、ターゲット以外の視聴者にも楽しめるようにテキストもそれなりに作られてるっぽいから、自分が満足しなかったところを欠点としてあげつらったところで的外れになるだけ。ティアラたちも退学であって放校ではないから取得した単位はそのままで復学はありうると思うが、まぁさすがに続編はないでしょ。

SAOアリス大戦#23

 物語自体は前回で終わっていて、今回はいろいろ整えたっぽい作り。キリトの父親が出てきて大人の役割を果たしていたりへぇ~と思う反面、アリスの妹と再会させる流れはおあずけで、なんかいきなり宇宙戦争モノみたいな流れで〆なのが唐突。で、それが次期へのつながりを示すものかと思えば、どうもアニメ次期はアインクラッド編の焼き直しらしい。いちおうキリトハーレムにアリスが加わった次回作は「ユナイタル・リング」という副題で続編が刊行されてるみたいだが、そっちにはまだ進まないということらしい。ただ、SAOシリーズを振り返ってみると、近未来社会を描くものとして、VRと現実との関わりを問題提起ってことなら、AIまで踏み込んで、更に一歩はちょっと難しいのだろう。人工AIに人権を認めるってことで、それ自体が一大イシューで現実社会からするとその段階ですら未踏であり、どう転ぶかわかんないのにそれをパスしてさらに近未来の社会性は問えないだろうなというのはわかる。なら以降はファンサービスに特化するしか無いというのは仕方がないのだが、実体化した人工AIとしてのアリスを登場させたのだから、ある程度の失敗覚悟でいろいろ思考実験をしてもよさそうなのだが、仮定の仮定だから人を選ぶだろう。実在の人間の人格を電子的にコピーしたというイシューも結構興味あるので、焼き直しよりアリシゼーションの続編のほうが興味津々だが、そっち方面の客は少なそうなのは自分でも想像がつくので仕方がないというか。
 しかし、人工AIに恋愛感情をどのように付加してるのかとか、今回の話で言えば、ハグすることで人工AIにどういう効果をプログラムしてるんだろ?とか、結構気になった。肉体的な限界を考えずに済むのに、寿命を設定してるみたいだし、そうなると生物としての自己複製はともかく、自己維持に関して有利不利で恋愛感情を規定してるんかな?とか、まぁどっちにしろ個体としての人工AIの組み立てもさることながら、複数の人工AIに社会性を付与するために、個体の人工AIにどういうプログラムを仕込むのかとかも結構難しそうではある。人間の知能が進化したというのも、別にそうなりたいという意思の結実というよりも淘汰の結果だし、そうそう人間が人間を理解することすらままならないのに、人間や人間社会を模して人工AIを、現実の人間性に近づけるようそう都合よくプログラムできるんかな?という疑問もある。そのへん、フィクションだからそのへんの技術的問題はすっ飛ばして、仮に人間性を人工AIに再現できるとしたら…という限定で話を進めてるから限界があるのはわかるんだよね。だから、近未来とはいえ、どちらかというとこの作品の人工AIは、現実に開発されてるAI技術というより、概念的にはむしろ人間の複製に近いのだろう。だからこそ前回は人間と人工AIの関係を現実社会に存在する人種差別の別バージョンという形をとったのであろうし。ただ、そうだとしても思考実験としては面白い視点であって、それこそがこの作品を視聴する価値なのだとは思ってる。
 しかし、振り返ってみたら、無印アリシゼーションの段階で十分で、アンダーワールド大戦の部分はまるまる要らなかったんじゃね?と思ってしまう。オカルト処理であぼーんされたガブたんはともかく、木にされたヴァサゴは後々登場するのだろうが、それも遠い先のことだろうし。が、間もたせで巻数稼いでの商売だろうし、こういうRPG的バトルシーンが好みの層もいるだろうしで、そのへん自分がやきもきしても仕方のない話ではある。

エグゼロス#11

 主人公の女体化と、組織としての危機。なんか次回最終回とも思われないほど淡々とシナリオは進んでいくんだけど、シリーズとしてはなんか地に足がしっかりついた印象のBパートといった感じ。主人公が、自分の仕事に対して、個人的な動機と社会的意義のすり合わせを行って、自覚していくことの言語化はちょっと感心してしまった。たしかに対決の構図としては全然クライマックス感はないんだけど、変な話これが今期一番言いたかったことなのかなという気はした。人の恋路云々という言葉通りのことではなくて、社会と自分とのつながりの再確認をするって行為的な意味ね。自分がラピスの結論として一番期待していたのがこの部分なので、扱ってる素材の不謹慎さに比して、こっちの作品のテキストのほうが全然志が高い。
 スーツも開発されてお色気をエスカレートするという方向とは反対だし、原作の人気の推移がどうなってるのかさっぱりわかんないが、よくこんな方向性を編集が許したよな…とちょっと意外な感じ。
 そういや物語上のミッションがなんなのか、自分が読めてないだけかもしれんが、どう転ぶかわかんないのも不思議な感じがする。原作者が読者をどこへ連れて行こうとしてるのかも含めて、結構楽しみになってきたので、次回で最終回で、おそらく続編も作られないだろうというのはちょっと残念。まぁそんなに興味があるなら原作読めってことなんだろうけど。

賢者タイム#11

 スパルタコスとピーターの決闘の結末と次の展開。自分てっきりピーターは無力化されると思っていたから、浅はかだったというか。まぁ冷静に考えたら王女様にとってはピーターを見初めた見識が疑われるってことになるからフツーのことだよな。
 次回最終回だと思うが、シリーズ通じて振り返ると、やはりピグリットが参戦してヒロインズの関係性が固まってから面白くなってきたなという。サブヒロインの嬌態も単なる色ボケではなくて、それぞれの事情に応じたしたたかさが示されてたわけで、むしろピーターは主人公というより狂言回しになってた感じ。続編があったら、まぁ関係性に大きな変化はなくていろんなヒロインとのエピソードを順繰りに回していくだけだろうし続ければ続けるほどマンネリ化するだろうからね。でもショートアニメだし周期的にヒロインズの関係性が大きく揺れることもあって、そこに展開の妙があってもおかしくないので軽く付き合うだろうとは思う。でもまぁフツーに考えて興味があったら原作読めってことなんだろうな。

天晴#10~#12

 ジルが本性を表してクライマックスへの巻。ジルが変にイデオロギーをこじらせてるんじゃなくて権力の誇示にガチ振りしてんのと、それに対抗する主人公側が意地で対抗してるという単純な構図がよろしい。ストーリー展開はもうオーソドックスそのもので、現代風の軽妙さやバランスで視聴者を飽きさせない手法を駆使してるからノリもいいし、アクションシーンも派手で見応えはあるのだが、個人的に何がクライマックスだったのか、際立っていたと感じたのが、ジルの思い上がりを阻止したのは輸血技術というセリフ。
 話は本筋からズレるが、今、日本残酷物語を再読してかつての日本はそれはそれは貧しかったんだなということを再確認してる最中。で、自分が常々思っていることに、社会構造の変化には技術が深く関与してるのに無自覚な人が多いなぁということ。例えば女性解放運動だとか男女平等とかを実現したのは社会運動だということになってるが、アレ、運動家がプロテストを行ったから実現したと考えるのは思い上がりなんじゃね?と思ってる。なんというか、結局の所前段階として、上水道が普及して水汲み労働から解放され、冷蔵庫が普及して毎日の買い物から解放され、洗濯機が普及して手洗いだと時間がかかって仕方がなかったことから楽になり、そういう諸々の便利な製品によって家事労働から解放されたというのが一つ。あと力仕事も古くは水力や畜力もそうだが、近代になって化石燃料を使うことによって大概の仕事は人力によらなくても済むことになって、労働に対する人間の力学的負荷が弱まったからこそ男女とも同じ仕事で構わなくね?ともなったわけであり、そういう技術がなければ、では時間や手間のかかる家事労働は男だろうと女だろうとかなりの負担のまま誰かがやらなくてはならないわけであり、また体力がいる仕事では筋力そのものが物をいうのであって、人によっては物理的に出来ない仕事はそこかしこに存在してることになる。技術の進歩がなければやっぱりおじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行くのが両者とも一番負担の少ない役割分担だという結論に落ち着くんじゃありませんかね?という。
 ところが、そういう便利な道具や仕組みが普及してあたりまえになり、意識すらされなくなってくるとそれには実はそれなりのリソースが費やされていることに考えが及びもせず、とにかく文句を言えばそれがイデオロギー上解決されるのが当然になってしまう。わざと格差社会を企図して搾取を強める上部構造にもうんざりだが、かといって弱者のフリをして単なるイデオロギー闘争をやってるリベラル、それも昨今はフェミあたりにその勘違い甚だしいなと実感してる次第。合理主義も、それを裏打ちする物質的な技術や社会制度の充実あってこそのことで、それを無視した欲望実現のためのバランスを欠いた無理難題が昨今横行してるなという感じ。
 この作品だと、閉鎖的なイエ制度が提示されてたからそういう社会の歪が最初に描かれるのか…と思ったら、天晴の態度はむしろ技術偏重方向であって、最初は狙いがどこにあるのかわからなかったんだけど、各キャラの目的や思惑が明らかにされ、ではそれを実現するために何が必要なのか…というのが一通り揃って満を持してのこのセリフだったから、ここですべてが一つにつながった感じ。思いが強けりゃ夢が叶うんじゃないんですよと、実現するための物理的な条件も整ってないといけないし、社会的合意もタイミングも揃ってないと難しいですよと。中盤まではいろんな立場のキャラを出してきて、キャラ同士のすり合わせをやってるように見えたから、人と人とが繋がり合うことの大切さあたりを主眼に持ってきてるんだろうなと思っていたのだが、そういうのはむしろ皮相的な部分であって、どちらかというと合理的であるってことは一体どういうことか?というのを心情部分まで掘り下げて提示してるのかもな…と思った次第。