新サクラ#12

 近々東京都知事選で帝都を守れのこのタイミング。カミンスキーの目的が東京の破壊だったのならまだしも、世界征服なんだったらここは捲土重来を期して一旦撤退し、戦力の立て直しを図るべきだと思うんだが、まぁそんなわけにもいかんだろう。なんか隊長が中独英から援軍を連れてきたようだが、今まで顔見せだけだったのが見せ場を作ったということか。まぁそれにしても空中戦艦だから隊長の出身が兵学校だったのかと今更ながらに腑に落ちた。なら帝国華撃団のあのロボットは海軍所属の航空機とかそんな扱いなのかね。
 さて、和なるものをテーマにしてるんだろうから、そのへんメインに視聴を続けてきたのだけども、その要素の1つに日本のアニオタが好きそうなお約束というのがあって、今回は特にその傾向が強かったように思う。おそらくかなりの部分出典を調べたらワラワラ出てきそうではある。まぁいちいち指摘するのも調べる手間がめんどくさいのでやらないが、ベタな展開ということで、ちょっと新サクラシリーズのことをggってみたら、これは一応ゲームが初出で、どうやらステージイベントでファンが騒いで新しい企画としてそのゲームが生まれたらしい。その経緯で自分がオモシロイと思ったのが、藤島康介あかほりさとるをおろして絵と話を一新したということ。
 そもそも自分がサクラ大戦の評判を目にしたのがネットだったのだが、最初の作品がゲームとして世に出たのが1996年、自分がネットをやり始めた頃が2000年頃だったのだが、もうそのときに、あかほりのお話がテンプレを多用したシナリオ構成でかなりバカにされてた記憶がある。まぁなんのオリジナリティもない三文芝居という評判で、それはこのアニメ新サクラでもそうなんだが、ではバカにされていてもアレだけのヒットを飛ばしたのはなぜか?というのを考えるとこれが難しい。Re:creatorsでも述べたのだが、全くの新しいものを観客に示したところで、普通それに戸惑うほうが多かったりするわけで、それは歴史的に見ても数々のアーティストが初演したときは評論家にメタクソに言われたというので実証済み。当然観客がそのジャンルに対してベースとして持っている感覚があって、それを押さえながら作家としてのオリジナリティを込めていくというのが作品が受け入れられていくための手法だったりする。ただ、エンタメとしてはオリジナリティを追求しなくても観客が喜びそうな要素を詰め込むだけでも満足はできるのであって、ではあかほりのやり方が悪かったのか?と言われると微妙なところではある。なぜなら、ベタな展開というのは誰でも知るところなのであって、オリジナリティを追求するより創作コストは圧倒的に安いはず。それにエンタメ作品ってのはどんな手段を使っても売れることが至上命題なのであって、だったら、ベタな展開を使いさえすれば誰でも売れる作品を作ることができるか?…と言われたら、それはそれで難しいのは、それこそサブカル作品が数多く作られてもそのほとんどが売れずにポシャっていることからも明らか。視聴者や読者は全く経験のない新しいものには拒否反応すら示すから、視聴者になれた手法をベースにしなければならないが、ただ、本当にベタな展開ばっかだったら飽きられるから、そこになんらかのプラス要素が必要。そのへん、あかほりはオリジナリティは全く無くても売れたってことは、お約束の選び方や構成に見る目があったと判断するしかなくって、そのへんターゲット層を見誤らず、欲しがっている人たちにその欲しがってるものを適切に届けたというだけの話だろう。それができる作家としてある種の優秀さがあると認めざるをえない。
 で、今回のこのアニメ新サクラ、もうホンっっっとにテンプレ構成。もとのシリーズが宝塚をモデルにしているからそこを外すわけにもいかないんだろうが、シナリオ展開がもうベッタベタ。フツーに考えたら、あかほりを降ろしてまで新しいテキストスタッフに更新したのになんで?と思わざるを得ないが、まぁ結局の所、上記、ファンに切望されてそこに商機があると判断されて企画化されたんだから、そりゃそういうオールドファン向けに作られるのは当然のことで、そしてもとのシリーズもベッタベタのお約束てんこ盛りなのがウケてたんだから、そのオールドファンが期待しているものを届けるのはむしろ当然でしょということになる。そうであるならば正直なんであかほりを降板させたのか判断に苦しむところではあるが、まぁ全くの焼き直しだとそれはそれでブーイングを受けるだろうし、そのへんの微妙なさじ加減は大人の事情あたりもあって一個人がどうこう言えるものでもないんだろう。そのへん先行したゲームにしても、こうやってようやく幕を閉じることのできたこのアニメも、どういう評判なのか目にしていないが、個人的には成功したのか、鳴かず飛ばずだったのか知りたいところではある。
 しかしなんだな、これは初回から視聴して思ってたことなのだが、やはり周辺は結構凝ってる印象がある。音楽あたり、これはシリーズ一貫して同じ作曲家を採用してるということなのだが、劇伴も結構聴き応えある。あとなんといっても声優の歌唱力で、こう、シリーズのお約束であるヅカの雰囲気を押さえながらも決して音を外さず歌いきってるのは、視聴者としては嬉しいところなんだけど、今ドキの声優、このレベルまで要求されんのかよと結構やるせなさすら感じてしまう。OPなんか、こう他の声優がメインパートを歌ってるのにあやねるがハイトーンから被せてくるところなんか、よーやるわって感じで、まぁそこまでやれるからこそ配役に選ばれたんだろうが、生き残りのため大変ですなぁといった感じ。マクロスFでも最初遠藤綾も地で歌ってんのか?と数話ぐらいは勘違いしてたので、まぁ中島愛はそれで売ってるからまだしも、別にMay'nと遠藤綾なら雰囲気も合ってる*1し、別に文句はなかったからそれでも構わないじゃんとは思っていた。
 レビューシーンも、昨今のアイドルものの流行からするともっとあるんじゃないかと思ってたのだが、それも抑制的だったのはありがたかった。他の作品感想でも述べてるが、戦闘シーンに力を入れられても所詮自分にとっては時間稼ぎでしかなかったりするので、ステージで踊るのもその範疇だと思ってる。ただ、よく考えてみたら、アイドルが歌って踊るジャンルとして考えると、サクラ大戦シリーズはむしろ元祖とでもいうべき存在で、ゲームが出たときは実用的な3Dモーションなんて無かったからあんまりその印象がないが、今となってみればあーなるほど、これが先行作品だったのねとちょっと感慨深いものがある。
 というわけで、シナリオとしては確かにみるべきところは無いと言ってもよいのだが、ただ、自分の場合早々にその部分は切り捨てて、現シナリオスタッフがどのような要素を選択しそれをどのように構成するかその判断を意識して視聴してたので、あんまり問題はなかった。新規顧客の獲得よりは、オールドファンの支持の維持が目的だったんだろうと考えると、これはこれで正しい気はする。なんか最後のヒキはまだ続編が作れそうな感じではあるが、結局の所そのオールドファンがどれだけ板を買ってくれるかに依存しているだろうし、ダメならダメでそれであきらめも付く程度の投資額だったんだと思う。

リスナーズ#12

 耳なしと和解してEND。開始早々#12とあり、Bパート?というか終盤エピローグ部分は#13とあったのだが、これどういうこと?。最初っからそういうギミックにしてたのか、それともコロナ禍で予算ショートか人員確保できずに切り上げたってことなのか、どっちかわからんがおそらく前者かな。
 うーん、よーわからん。耳無しがなんのメタファーかによるんだが、共存しようとする勢力があるのにその意見を無視してジミを抱き込んで耳なし殲滅戦をやって対立が決定化してたわけでしょ。和解してみて結局耳なしが人の形をして目の色が黒地になって、これでおそらくミュウは耳無し側だったんだろうなと思うわけだが、最後の思わせぶりなジミの顔見せを見たら、ジミは最終決戦で攻撃側の意図を悟り耳無し側に寝返った、で和解の道を探っていたわけだが、その方法の1つとして耳なしの一人を自分(ジミ)の姿を参考にして、人間側の理解してくれそうな一人、つまりエコヲにミュウを使者として送ったという風に自分には思えた。呉越同舟という故事にもある通り、一緒に旅をして相互理解を深め、もしかしたらなんとかなりそうかもと思った、その旅の最終到達点ロンディニウムでミュウは人間の耳なし殲滅論者にジミの再来と目をつけられ、耳なし殲滅戦の切り札として利用されるところが、もともとミュウは人間側に差し向けられた使者なのだから、人間側の意図を知ってそれみたことかとなって返り討ちに遭わそうとするのだが…というのが前回までのあらすじってワケ?。やっぱよくわからん。ただ、全体を見渡して、あれほど怒り狂ってたミュウや耳なし達が、エコヲの登場とあのポエムのやりとりがあったあと、いきなり共存しましたっていうふうに事態が急変してるんで(もちろんそうなるまでに諸々あったことは以下(ryなのだろうが)、自分にはそうとしか考えられないというか。ただ、ミュウは散々ロンディニウム側の、いわば政府側の意図を見聞きしているわけで、いくら個人的に相互理解を深めたとはいえ、エコヲを人間側の総意を代表した人物としてみなすのは無理があるのではとは思う。
 あと音楽要素本当に必要だったの?というのも不思議なところ。なんつーか、日本の音楽業界、洋楽を導入するときも割とメロディーなどの音楽性だけを取り出そうとするんで、その音楽が生まれた背景、例えばもう20世紀に生まれた音楽ジャンルのほとんどが被差別者がメッセージを込めるプロテストソングという意味合いが強いのだが、どうも日本だとリスナーあたりも、そのへんの文脈全く無視して「海外の音楽をまっさきに知ってる俺カッケー」が跋扈するんで、なんつーか、目も当てられないというか。そういう事情を知らないはずはないんだが、それでもなお、音楽をファッションとしてアニメの演出に使うとかなんべん同じことを繰り返したら気が済むんだろ…って感じ。USAの音楽は、それこそジャズからラップまで、ほぼアメリカ発の音楽としてブームを巻き起こしたのは黒人音楽だったりするし、当然音楽なんて互いに影響しあって進化するたぐいのものだから、どの音楽も黒人音楽と混血してるようなもんで、じゃぁ、白人が黒人差別をしても黒人音楽まで排斥してるか?と言われるとそんなことはおそらくなくて、さらに言えばプアホワイトが自分の惨めな境遇を、むしろ黒人音楽に共感して慰めてもらっていることすらありうるわけで。ただ、これが音楽アニメか?と言われたら、それもちょっと違うのであって、例えばキャロチューのように、劇中にミュージカルのようなあからさまな導入歌は一切なかった。真空管にしろソリッドステートにしろ、それは「増幅するもの」なのであって音楽そのものではない。で、この作品で、それらはおそらくメッセージとか「思い」などを増幅する記号として使われている*2のだろう。今までのアニメだとそれはロボットがその役割を単体で担っていたわけだが、ロボットの部品としてわざわざその部分を強調してる…と、そういうわけだ。
 で、耳なしの姿がぼんやりした得体のしれないものという描かれ方をされてたのも、結局対立する相手をマトモに見ようとしてないから、ああいうデザインにされてたのだろうし、和解後あのように人間の姿になったのも、別にそう変化したというわけではなく、耳無しも人格を持った一人の人間と認識したから、ちゃんと相手の姿がハッキリ見えるようになったということなのではと思っている。で、つらつら考えてみると、耳なしは結局の所対立する二勢力の片方、それも多数側に対置する少数側というふうにかなり抽象化してるように思う。正直作中でのり弁や庶民を攻撃する政府軍を描いているわけで、そのへん当然にして搾取側と非搾取側というのが念頭にあるんだろうけど、分断化の流れは世界的潮流なのであって、そのへん敷衍したれみたいな判断なのだろう。個人的にそれは「逃げ」なんじゃねとしか思えないわけで、そのためにわざわざわかりにくいシナリオにしてアンタら本当にメッセージ性をそれで込めてるという気になってるのかと思わなくもないが、鋭い刃は得てして万人を傷つけて得るものがなかったりするので、あんま責めても仕方がないだろう。
 ただね、やっぱりこう対象を特定されないようぼやかして、わかりにくくわかりにくくシナリオを組み立てて、その末に提示されたのが使い古された相違論と相互理解とか、個人的にはがっかり。重要なことなので二回言いました…どころではなく何度も繰り返す必要があると思ったのかもしれないが、個人的にはもうそういう段階をとっくに過ぎてるというか、無駄なんじゃね?と思ってる。アベが政権に復帰した直後、割と左寄りの友人がアベの政策に対して是々非々の態度とかいっていて、話してる最中はさすがに態度に出さなかったけど、アベが仮病で政権を放り出す前にはそれこそ散々オトモダチ内閣と呼ばれてたわけで、どこに同意する余地があるのかと半ば呆れていたわけだが、もう政権末期となった今、疫病で日本全体が苦しんでるときにも電通パソナというオトモダチに国富を横流ししてるわけで、自分に言わせりゃほら見たことかでしかない。そういう相手と相互理解と言っても、そもそも相手は「分断して支配せよ」を狡猾に仕掛けてきてるんで、相手は最初っから相互理解なんて考えておらず、そもそも話し合おうという態度ですらアベが政権に復帰して以来一切ない。そういう相手に歩み寄るという態度はすなわち足元を見られてづかづか踏み込まれるだけなんで、こういうぼんやりした相互理解賛美とか、一体何を考えてるのやらといったところ。ただ、これは視聴直後、現時点での自分の浅い理解でしかないので、もうちょっと時間がたって、上記のような自分の単純な理解が恥ずかしくなるような深いものが込められているのだとしたらそれはそれでまた考えを改めなければならないだろう。
 あと、上記新サクラでも言及したのだが、毎回違うED歌わされて@高橋李依ゴクローサンといったところ。やっぱどの楽曲も音外さないの凄いわ。

ついに中華フレーム日本着

 本日までに一昨日ポチったペダル、ホイール、ベルが発送されたのだが、ようやく午後に確認したところ、懸案のフレームが日本での税関処理に回されましたよというメールアラートをハケーン。


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 これは17trackのもの。


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 これは日本郵便のもの。

 まだ川崎東に受け渡されてないが、この分だと来週には届くはず、なのだが、


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 菜鸟のトラッキングだと税関処理で放出失敗なんてあるのが不気味。あと、これら5月10日受付ってなってるが、


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 もともとは3月に注文したもの。塗装などで一~二週間ぐらいかかってるが、4月7日には送ったよというメッセージをチャットページで受け取ったので、もう二ヶ月以上運送で手間取ってることがわかる。
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 なんつーか、ホイールやペダルなど、もうそれを揃えたら一台組めるという段階になって届くことが確定するの、なんかの因縁らしきものを感じる。どうせ届いてもすぐは組まないんだけど。というか、フレームより後に注文した分がことごとくフレームより先に届くってどーなのよ。

*1:っつーか、おそらく声優が雰囲気を合わせられる

*2:殿下の白衣のバックの記号、アレは差動増幅器の等価回路。差動増幅器とは、プラスとマイナスの記号で表されてる2つの端子から入力された信号の「差分」だけ増幅する回路。人間と耳なしの違い云々言ってたからある意味それを象徴してると言える