はめふら#8

 お遊び回ではあるんだけど、それなりに凝った趣向だった。欲望を充足すると閉じ込められていた人が解放される魔法の本で、男性攻略キャラとカタリナ、ソフィアが閉じ込められてしまう話。まぁ最初っからミスリードであるんだろうけど、これおそらく閉じ込められていた人の欲望を充足するのが解放条件じゃなくて、読者、今回の場合はメアリの欲望が充足されたらが答えだよね。一番顕著なのはニコルで、まさか彼が自分のことを魔性の伯爵と思ってるはずはないのであって、こう、解放されてから居ても立ってもいられず逃走したキャラは、たしかに願望としてそのような傾向を持ってはいたけど、そこまでやりたいとは思っていなかったから逃げ出したと考えるのが自然。ならばそこまでやる…というのはメアリの妄想=欲望なのであって、続きを読まれなかったせいで事態が進展しなかったアランが逃げ出さなかったというのもそれで説明がつく。閉じ込められていたキャラ全員についてこうであってほしいというメアリの思いが完遂されたから解放されたというのもなるほど。で、それが裏打ちされるのがエピローグで、視点が違うと風景の見え方も違うというセリフで答え合わせ。というか、そのエピローグで初めてそういうことかと悟らされたというのが正確なところ。
 そもそもカタリナが転生したこのフォーチュンラバーという世界そのものが妄想世界のようなものなので、これもまた凝ったメタ構造*1だったなという。


アルテ#8

 ベニス行きの道中と、出先での顔合わせ。主人公が男だったら決して悩まないところの、アルテの恋愛脳には苦笑。しかし朴念仁という設定は便利だねぇ。アンジェロという噛ませ犬に、ユーリというイケメンという擾乱要因を出してきてはいるものの、結局レオとくっつく流れになるんだろうけど、やっぱそういうメロドラマ展開がないと読者ウケしないんだろうか。
 カタリーナといういかにも貴族の悪ガキが出てきて、今まで八男の分別あるエリーゼやはめふらの改心した?カタリナみてるせいか、こういう貴族のいや~な部分をあからさまに出してるのを見るとなんか昔はこんなのありふれていたよねと懐かしくさえ思ってしまう。まぁどうせアルテに調伏されるんだろうけど。
 しかし#3までイライラしながら視聴してたのウソみたい。ストーリーテリングとしてはありふれてるし、そこそこ時代考証が整ってるといっても、見て感動するというほどでもないし。やっぱきっかけとなったヴェロニカの回のように、明確な見どころが有るのと無いのとでは違って見えるわな。

司書#22

 ついに現代の製本技術に基礎レベルで追いつくという話。巻物の段階はすっ飛ばしたよね?。まぁそれやる必要もないんだが。しかし、前クールで豚を潰すというのをやっていたという気がするんだが、それでも子豚を知らないんだろうか?。狼あたり、今まで出てこなかったとはいえ、街を出たら獣もいるってセリフがあったから、そこに狼がいても不思議はないしいなくても他の獣で代用可能なのでは?。そのへんチェックしてれば誰でも気のつくことだと思うのに、よくわからん。孤児だから孤児院から外に出たことが今までなくてそういう知識がなかったってこと?。
 まぁそのへん実はあまり重要ではなく、グーテンベルクが最初に出版したのが聖書だからそれにつなげるためのミソつけなんだろう。しかし、アレだな、神官長が理解あるからよかったものの、聖典の複製とかよく許したなという。そもそもプロテスタントが発生したのは、名目上聖書を教会が独占し、その意味を教会に都合よく解釈してることに対する抗議も要素としてあったはずなので、この理解っぷりからすると、そういうことがなさそう。
 しかし、図書館まで作るっていってるから、この分だと学校までつくって識字率を上げるのだろうし、原価云々言ってるから、大量生産だかコストダウンだかしらないが、一般人まで手の届くところに近いレベルまで本の単価を下げるのかも。まぁ下げなくても図書館あれば済む話ではあるのだが、とはいえ、一冊の本を出版するのにあんなスタートアップだと何冊作ればベイするのか考えるだに恐ろしい。庶民の経済力を上げるって方法もあるけど、それはさすがに世界観ぶち壊しのような気がする。時代区分だと近代というより現代になってしまうだろうし。
 印刷技術も原始的な凸版からいきなり謄写版まで発展しててワロタ。絵の複製なら凹版でいいじゃんとか思ってたのだけども、あれ版木に耐久力がいるし、圧力かける機械もいるんで、金属のコスト高いと言ってるしそのへんいちおう考慮には上がったけど棄却したんだろうなという感じはする。
 あと、ヴィルマの扱いだが、性被害者という立ち位置はそうなんだろうけど、おそらく引きこもりも重ねてそう。

*1:現実の出版業界でも、読者の欲望をちっとも充足しない本が売れるはずもないという多重のメタ構造