つぐもも2#7

 なんかなし崩し的に共闘が成立してしまうお話。なんか萌えアニメのテンプレのようなお話だったんだが、なんでか割と楽しんで視聴してた。折り返し地点のこの時期だと確かに水着回だとか温泉回のお遊びを挟んでくるタイミングなのだが、そのへん温泉はしょっちゅうやってるし、ちと独自路線を走ってみましたってところか。桐葉と主人公の性交渉なしだとか、主人公の理想は自分だとか、あーそういうことにしたいのねといった感じでニヤニヤ。
 こう、主人を持たなくて困ってる付喪神あたり、特技を持ってるところからすると今の困窮状態にある日本のサラリーマンだとか職人だとかそのへんのメタファーだろうし、ならばこのエピソードでなんらかの居場所を確保するとかそのへんの落とし所が用意されるんだろうなと思うと、まぁ先が見えたようなもんで。なら楽しみどころはむしろキャラの馴れ合いなんかなとか。

エスタデイ#7

 主人公新しいバイト先で奮闘するとかそんなの。カメラは趣味程度の素人なのに、コネで地道に経験を積んでいくのは、まぁそういうこともあるわな程度で、バブル崩壊後とはいえ、当時は急速に生産からサービスへの産業転換が起きていた時期なんでそう不思議でもないというか。主人公の将来設計の上でもなんかいい方向にいってるのはご都合主義のように思わなくもないが、まぁフィクションだしな。そのぐらいの脚色はあって当然かもといった感じ。ヒロイン二人に挟まれて揺れ動くのはそういう釣り針なんだろうし、こうお願いもしてないのに都合よく追っかけてくれる晴と、こうなんだか守ってやりたいと思わせるウェットな榀子との間で綱引きは、まぁそういうやり方なんだろうしで。晴は晴でうざったそうだし、榀子は榀子でこれまためんどくさい女だなぁで、長所も短所も用意してるのもそういうバランスなんだろうしで、それが好きな人にはたまらないんだろうけど、主人公が誰を選ぶのかにやきもきするのは正直あんまり益はないんだろうなといった感じ。せわしないとは思ったのだが、なるほど登場してすぐ去っていくにせよ、新しいキャラを数出してくるのは、あの時代あんな人もいたこんな人もいたといったその時代の感覚を捉えるということではかなり意味のあることなんだなと、今回踊り場になって今更のように気づいてしまったというか。

シャチバト#7

 ガイドさん、アカリとそれぞれデートする話。実は前回からぼんやりずっと思っていたのだが、こうサラリーマンへの応援歌的アニメって結構難しいんだなと。ブラック企業への批判要素がちょっと前のトレンドだったような気がするが、今だと非正規雇用、セクハラ、パワハラの個別の案件に配慮しなくちゃならないようで、そういやアフリカのサラリーマンは非正規雇用に配慮したのか、正社員のメチャクチャな行動を揶揄するような作品だったし、今回のこの作品のエピソードでいえば、デートとはいえ、恋愛要素を丁寧に取り除いてセクハラと取られかねないよう配慮してると思われる。チラ見せ程度だったが、社長の幼少時の行動で入社を決定したのも、こうなんというか、管理職が顧客の無茶な要望に応えて出世のネタにするために部下を平気で売るような職場にいた自分としてはもうわかりすぎるほどわかるのであって、そりゃ子供があんな態度を取るほどなんだったら会社全体の雰囲気もそうだろうと推測するのも無理はない。
 アフリカのサラリーマンがこうブラックジョーク風味ではあったのだが、正直、現実にあのような職場に勤めている視聴者にとってはストレスにしかならず、なんで家に帰ってまで辛い思いをせにゃならんのということになったのではとも’思うんで、そりゃ後発作品としてはその轍を踏むことなくヌルい雰囲気になっちゃうのはそうなんだろうなと。現状だと社会人に必要なのは癒やしなのであって、とはいえどこにもないような好待遇の職場を描こうもんなら、そんな絵に描いた餅見せられてもとなるわけで、匙加減が難しいのだろう。そんながんじがらめの条件でよーやるわと思うが、企画を立てたプロデューサーとしてはそれでもサラリーマンもの売れる!と踏んだのだろうか。それとも売れなくても構わないから精神的にサラリーマンを応援したいとかそんなの?。それにコロナ禍で瞬間的に失業者が大量に出たようなんで、これまた状況が変化して大変なことになってるとも思うんだが。

文豪#5

 萩原朔太郎の回。これ、視聴してどうにもならんので、ついに観念して元ネタの月に吠えるを青空で読んだ。のだが、これがいけない。アニメを解釈するとか、感想のネタにするという事が念頭にあるので、純粋に詩を楽しめないのだ。リズムも特徴で、五七調からちょっとズレているので、あの時代の流行知らない自分としてはどうにも語呂が悪く感じてしまう。ただ、こう文字面を追ってるだけでも情景は浮かんでくるのでそのへんはさすがだなとは思った。あと序文みたいなのが付属していて、萩原自身による詩とは何たるかみたいなものが書いてあるのだが、これは結構読み応えある。
 まぁそれでも一通り目を通したのだが、今回の話に出てくる椅子やカエルや腐った蛤あたりは月に吠えるにしっかりありはするのだが、アニメに翻訳するときにはモチーフとして利用するだけであって、それらが詩の中でどのように扱われているかの文脈は一切無視してる。まぁでも確かに元ネタに当たっただけのことはあって、確かにアニメは、概略だけでも月に吠えるを知っている人向けのテキストではあって、自分がそうであったように、前知識無かったらなんで蛙や蛤なのかまったく意味がわからないということになる。
 アニメ中であれだけ萩原朔太郎室生犀星をベタ褒めしてるから、詩の一節ぐらい読んだら良さそうなもんだが、さすがにそれだけの気力は残ってなかった*1という。アニメのテキストの出来不出来?、ん~、本当ならモチーフを詩の内容に寄せたらと思わなくもないんだが、それやるとアニメのシナリオに強烈な縛りがかかって動きが取れないというのが分かるので、こんなもんじゃね?といった感じ。文豪の交友関係も重要な要素だし、そこまで深く切れ込めないでしょ物理的に…みたいな。まぁこの回視聴して萩原朔太郎や月に吠えるに興味を持って実際に手にとって読んでみたら苦笑モノだとは思うけど、そこで原詩の良さに触れて何か得るものがあったということになれば、それだけでも十分な成果でしょ。

*1:まぁ「ふるさとは遠きにありて思ふもの」ぐらいは目にしたことはあるが