プランダラ

 今回テキスト的にはお遊び要素多かったせいか拍子抜けなのだが、そういやプランダラとか耳慣れない言葉を使ってるけど、どんな意味なんだろ?と調べてみたら略奪者。ワロタ。
 こうつらつら考えていたんだけど、例えばレヴィ・ストロースマリノフスキーあたりが南洋の島々に飛んで、いわゆる未開文化を調べた成果が、おそらく原始社会は「贈与」が主体であったということ。というか、人類の歴史は略奪との戦いであって、人々の移動が容易だった大陸では、それはもう略奪が盛んに行われていたとみるしかない。だから西洋文化で育ったレヴィ・ストロースマリノフスキーが贈与社会を見てビックリしたわけだが、南洋の島々だってもとから贈与社会だったかどうかなんてわからないわけで、ただ、島といってもかなり面積が小さくて、そんな環境で略奪を行ったらそりゃ早々に行き詰まるでしょ、その反省が太古の昔にすでに行われていて、早い時期から贈与社会で安定していたという可能性は大きい。
 ただ、大陸にしたって略奪の連続だとどの部族社会も早晩行き詰まるわけで、そこで略奪によらない方式として発展してきたのが交換経済なんだと思う。あちらでやたら契約が重視されるのもその名残だろう。なるほど、人が生きていくためには生存に必要なモノを移動させあう必要があるが、起こってる現象は一緒なのに、贈与(およびそれに伴う返礼)、交換、略奪の3モードがあるということになる。共同体内の閉鎖した環境では贈与経済が発達しやすいし、共同体同士では交換経済が発達しやすい。もちろん不相応な収益を期待したり、生存できるかどうかまで追い詰められるとどの場合でも略奪がいつも身を潜めて待ってるという構造。
 それが特に貨幣経済の発達によって、モノの移動に対面が必要でなくなってくると、交換経済を置き換えるように略奪経済が侵食してくるようになる。特に大航海時代に新大陸で略奪で手軽に富を収奪したのに味をしめて、以来西欧は基本的に略奪経済を積極的に発達させてきた。
 そういう経緯をふまえて、ではこの作品を見てみると、なるほど軍人を露出させているのも、歴史的に軍隊は略奪の実行部隊であったし、あ~なるほどといった感じ。どう考えても軍隊は何も生産しない組織だから、組織を維持させようとすれば略奪が基本モードになるのはまぁそうだよなと。今回の女曹長がやはり何も生産する(別に屯田兵であっても構わないのに)ことなく、暇な時間をすべてボランティアなのもまぁ納得。
 そう考えると、軍隊がリヒトーを目の敵にするのも、軍を超越する力を持つ彼がいては、軍隊が好き勝手することが出来ないから納得だし、でも伝説の撃墜王なんだから目の敵にしたところで返り討ちにされるのがオチでは?とも思うし、ではリヒトー自身が略奪者である可能性はないのか(おそらく過去に反省してるとか、力を抑制する決意をしたエピソードが用意されてそうだが)、前回助けられた陽菜とかリヒトーに無償で助けられ(=贈与)てるのに、恩を仇で返しちゃったんだねとか、いろいろ構造的に投げられてるのが腑に落ちる感じはする。
 しかしなんだね、ナナの店でいつも飲んだくれてるじーちゃん、彼が伝説の撃墜王で、リヒトーはその弟子とかそういう仕込みがあるんかなとかいろいろ想像たくましくして視聴してるけど、まだまだ序盤だよね。

防振り

 やっぱこれはゲーム世界を来たるべき世界像として示しているんかなという印象。ただ、かなり一般的なゲーム描写ではあるので、原作者にその意図はないのかなとも思ってしまう。主人公のスキルがナーフされてしまうのも、現実社会だと既得権益が権力構造によって温存されてしまうのに対して、公平であるということの提示だろうし、早い段階でナーフが描かれるのはゲーム世界を舞台とする作品ではなかなか見ないので、やはり理想の社会像が念頭にあるんかなという気がする。キャラが取り組むミッションやイベントは現実社会でこなす仕事のメタファーという見方も十分できるし、それに団体で取り組んだり、個人や少数のパーティーで取り組むというのもいろんな組織のあり方っぽい。さしずめ主人公たちのあり方は企業のスタートアップみたいな感じなのかな。
 やっぱ難しいところで、ほかのゲーム世界を舞台とした作品とぱっと見変わらないので本当にそれを意識してるのか自分でも半信半疑ではある。数見てないからアレではあるが、やはりSAOだとかオーバーロードなど、ゲーム世界でキャラがあたふたする作品の大部分が、主人公が突然巻き込まれるトラブルあたりが大体あまり人為的にコントロールされない、いわば神によって与えられた試練かのようなものが多いのに対し、今の所この作品ではすべて人間の営みによってコントロールされているように思えるところが違うのかなと感じてる。現実社会もやはり予測不能なところはあれどすべて人間の行動の集積によっているわけで、そういう類似性かな。まぁ以後この作品でも運営がアンコンできない事態が起こるのかもしれないが。とはいえ、やはり自分の直感によるところが大きいというか、今までこういう作品を見てもそういう見方をしてなかったのに、なんでかこの作品でそう感じてしまったというところが大きい。
 しかしなんだな、そうであったとしても結局これからの社会はこうあるべきという形が、ゲーム世界という舞台でしか語れなくて、決して現実社会に即して描かれないのがなかなか日本オワットルなという感じではある。まぁ現実の日本、かなり閉塞しており、ちょっとやそっとの変化圧力ではビクともしない権力構造ができあがってるし、そのへんゲーム世界だと予算なんて気にしなくてよいから気楽にモノを語れるって大きな違いはありはするんだけどねぇ。
 でもまぁNew World Onlineとデカデカ表示されてるし、しかもNew WorldとOnlineでは段落分けされていてNew Worldが上位に来てるところなどアニメスタッフは意識していてもおかしくないがなぁ。
 話は逸れるがNWOと言えば個人的にはNew World Orderのほうがどうしても頭に浮かんでしまう…。