はるかなレシーブ 第3話

 インプリンティングとは罪なもの。
 こう、なんかビーチバレーをやり始めているキャラ、誰もがあまり深く考えずにいろいろ決断しているように見えてワロタ。まぁ普通に考えてそのへんに尺を割くだけの余裕がないから手短に済ませたってところだろうな。
 しかしなんだな、かなたは小学生の時にインドアやらずにいきなりビーチバレーの練習を始めたように見えてしまうが、現実にありうることなんだろうか?。マイナースポーツだと学校教育に依存せずに、親(や地域の好事家)のてほどきで独自にスキルを磨くとかよくあることなんだけど、正直ビーチバレーの発生的にもインドアやってるものが個人的に興味を持って臨時に試合に出場とか、それもビーチバレー振興のためにインドアのチームが頼まれてやるだの、競技人口が少ないから上位に入りやすいだとか、そういう要素が強いと思う。たゞ、今この瞬間がそういう状態というつもりもないが、少子化が進んで一つの学校でインドアバレーチームを維持するのが難しいとかそういう理由で、それでもバレーなるものに触れていたい生徒がビーチバレーを選択したりすることも多々あるわけで、そのへん過渡期ではあるという気はする。とはいえ、仮に学校に通う生徒がやりたいといっても練習場を確保するのはかなりハードルが高いし、インドアの強豪校はビーチバレーに見向きもしないので、競技人口の維持は厳しいことに変わりがない。なので、よっぽど強い動機がないと難しいと思わざるを得ない。そのへん、近くに練習場が確保しやすいと思われる沖縄を舞台にし、そして高校でもインドアの一部門という形でいちおう独立した形にしてるのは精一杯のところだという感じ。
 

 今回違和感があったのは、こうポンポンスパイクを打ってるのに、相手の空きにボールをゆるやかに打つポーキー?ってのをわざわざ持ってきてるところ。インドアでも初心者がスパイクを打つのは結構難しいと思うんだが、足元が不安定で高さも出ないビーチバレーでスパイクが当たり前のように打てるようになってるという流れで敢えてこういう順番にしたのはどうなんだろ?といった感じ。遥はスポーツセンスが良いという設定で、こうスポーツ漫画によくある、試合を通じてリアルタイムに成長できるってアレを臆面もなく使っているのもはぁといった感じで、しかしそれは上述の通り尺の関係で基礎からのたのたやるわけにもいかんわな。で、今はかなたの精神的リハビリ展開のようで、その人間ドラマ部分に見るべきところがあるのかと言われたら微妙。かなたがビーチバレーに対する自分の能力に限界を感じて逃げたということだが、それが前回のレシーブ恐怖症とか今回のスパイク不発症とかにしても、なんでそれで解決してしまうの?と思ってしまうほど雑。いやぁ、人間得てして心の傷は時間が癒やしてくれるのであって、自分の中で無意識にいろいろ整理できてしまって、ストレスフリーな状態で環境を整えられたらあっさりと復帰できてしまうということはあるんだが、ならことさら昔の事柄を回復困難なトラウマっぽく視聴者に提示する必要はなくない?ってなもんで、果たしてこの作品が、ビーチバレーの競技としての楽しさを描くのがメインなのか、それとも人間関係や成長がメインなのか、どちらに絞らなきゃならないもんでもないけど、やっぱどちらも雑な感じがしてしまう。
 まぁ大きな物語としてアニメ化するには原作に奥深さが足りないという気がするが、とはいえ、元が四コマ誌連載なわけで、そりゃ暑苦しいシナリオにするわけにもいかんだろとも思うわけで、そもそもいろいろ難しいものを内包しているとは思う。原作からの再構成能力は高いけど、個人的には今一着地点が見えづらい。まぁ別にけいおんほど日常性は強くないが、かわいゞ女の子が努力しながっらキャッキャウフヽっていう萌えアニメを作ってるっていうのなら、はぁそうですかというしかないが。