PCハングアップでついに自分のPCから庭画面消える。

 だいぶ精神的に落ち着いてきた。昨日まで、他のゲームをやって一息ついたら、「そういや行動力が溜まったろうからデイリー周回なんかやらなきゃな」と、庭を起動していたタブにカーソルが行こうとしてたのだ。うっかり庭画面の維持ができなくなってしまっていたが、置物や式姫は変化しなくても、ときどき思い出したようにBGMが流れてくるので、それを聞くのが辛かった。


 さて、庭だが、運営として開始一週間で登録1万、一年で8万とは、艦これなどと比べたら少ないが、ブラウザゲームとしてはまずまずの確保数らしい。しかし登録者数が少なければ当然課金額も少ないわけで、よっぽど根強い人気を保てなければやはり寿命は来てた、というかサービスの限界がすでに決まったと言ってよいのだろう。初期のころのメンテ情報を見てみると、レアリティの低い姫のガチャで課金を促していて時代の変化を感じる。その後レアリティの高い姫をインフレさせていくのだが、基本虹チケ一回800円のガチャで3%ほどの確率で、改前提とはいわないまでも、やはり二枚引いて改にしたほうが使い勝手が良い。どうしてもほしい札に関してはそれなりに課金が必要だと思うと、そのへん艦これのインベントリ課金のほうが薄く広く負担させることになるので、艦これうまい回収方法*1ではある。


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 庭の不思議なところは、そもそもトップバナーに箱庭&式姫育成とあり、箱庭という地味なジャンルでこれだけサービスを継続できた所。討伐地で戦闘するのも本筋ではないし、手持ちの充実度と相談してやれる討伐地までやればあとは自分のできることをしていけば良い。こういう敷居の低さは自分にとってもメリットだと思うのだが、とっつきやすいということは離れやすいということでもあって、それがDAUが減少していく原因にもなったのだろう。が、別にとっつきにくいゲームが離れにくいというわけでもないので、そのへんのバランスは難しいところだったのではなかろうか。


 討伐も、いわゆるゲームとして面白みがあるというほどのものでもない。というか、他のサービスでも戦闘がゲームとして面白いというものはあまり見当たらないから平均的といってもよいだろう。初期状態から討伐地をクリアしていく過程とか、手持ちが充実したら黄泉平坂などで腕試しはそれなりにゲームとして楽しめるのだが、これは他のゲームでもそうなのであって、やはり庭の特徴は箱庭であることだと思う。


 箱庭でユニットがなんかアクションをするといっても定型的であってバリエーションが豊富というわけでもない。庭における置物も全体で120だし、七福神や薬屋や盆栽などの実用的な置物を置いてしまうとさらに庭における数は減る。結局庭コンに応募するときも、庭全体を飾るということが土台無理なので、SSを撮る範囲内だけで配置を考えることになる。しかも置物の数が増えると動作が重くなるわけで、庭コンに応募しないときは基本置物の数は少なめに自分の庭をデザインすることになる。


 しかし、それは逆にプレイ時間のほとんどをユーザーが目にする、日常の庭の状態があまりごちゃごちゃしないということでもあって、落ち着きが現れることにもなる。本当に季節感にあったデザインを際どく実現したいのなら、それはむしろ艦これの家具のように、ユーザーの自由度が下がることにはなるが、配置できる余地を少なくして、そのかわり置物そのもののデザインに凝ることにしたほうがかえってユーザーが喜ぶような気はする。


 が、サービスが継続していき、庭に愛着を持つユーザーが濃縮されていったわけだが、自分も含め彼らが何に価値を見出していたのかをつらつら考えてみると、結局それは「見慣れた風景がそこにあること」なんじゃないかとふと思ってしまった。サービスの後半は、特別な式姫を確保するためのキャンペーンが周年行事になっていたわけだが、今年確保しきれなくてもまた来年あるという要素が大きかった。すなわち、キャンペーンからして年中行事のようになっていて、春になれば花見をし、秋になれば月見でもし、年末になったらそういや正月のために餅つきでもしとこうかというあの感覚だったのでは?と思うのだ。そこは同じことの繰り返しであっても、それほど「飽き」は感じさせない。変化自体はちょっとでよいのだ。庭の置物についてもそうで、見栄えのある置物がとっかえひっかえしていなくても、ちょうど家に帰ればいつものところにいつものモノが置いてある、そういうものでよいということなのではなかろうか。せいぜい飾ってある花が季節によって変わるその程度の変化でよくて、ユーザーによってその変化も必要なければ別に一度デザインした庭をそのまま眺めているだけで、それが自分にとっての「居場所」になっていたのだと思う。
 なので、サ終になるとそれまでの庭がある日常が壊れるから精神的に不安定になるのだろうし、逆に、庭がないのが日常になるとそれが当たり前になっていくのだろうと思う。


 アピリッツの運営している他のゲームが、アルフヘイムやゴエティアであり、式姫モノも結局残ったのはかくりよだったわけで、ゲーム人口を俯瞰して何をユーザーが求めているのかを考えると、やはりあまり毛色の変わったジャンルでは収益につながらないんだろう。それを考えるとこんなマイナージャンルがこれだけ持ちこたえたのは個人的にそれなりに価値があったんじゃないかと思う。所詮PCゲーなんてサブカルに過ぎないわけだが、しかし上記の通り一定数のユーザーにちょっとした居場所としての価値を提供できたというところから、なにか文化的とはいわないまでも、「欲望実現のためになにか追い立てられるような状態になる」というところから一線を画すものとしてそれなりに存在感を示せたんじゃなかろうか。他のサービスもそういう側面がなければなかなか生き残れないし、事実多かれ少なかれ取り入れられているとは思うんだが。

*1:もちろん艦これのメインの収益源は母港課金ではない