仙狐さん終わった。

 仙狐自身はちょっとした補給のために帰っただけなのに、それが今生の別れになるかもという仕立てにして最終回用の盛り上げにしたのは正直どうなんかなと思わなくもない。そうはいってもそもそも全体的にドラマ的なメリハリは最初っからなかったわけで、とりあえずの〆の形を作んないとというのはわかる。まぁどないな作りにしたところでこの作品の位置づけが変わることもないし、この程度ならデメリットにもなりはしないんで、どうでもいいことではある。
 ちょっとだけ気になってニコ動静画のリムコロの枝を見てみたが、仙狐さんは最初の数話と最新?話が公開されていてちょっと公開最新話を読んでみたが、なんのかんのいってストーリー仕立てになっている模様。でもアニメ版は大幅な組み直しがされているのかどうかわかんないが、個人的にはオタクM1層向けの癒やし&新婚啓蒙モノという気がした。癒やしについては明らかだと思うが、啓蒙の部分は、こう午後に再放送されている?た?…の水戸黄門のような立ち位置。ずっと前にも述べたと思うが夕方の水戸黄門はどう考えても老人向けなので、その中で典型的な老人介護のシーンを入れて「いつもすまねいねぇ」「それは言わない約束」などの、介護する側される側にどんな気遣いが必要なのかを番組を通じて啓蒙していたってやつ。これも将来結婚するであろうオタク向けに、結婚したら自分の価値観を押し付けるんじゃなくて相手を神と思って尊重しろとかそんな感じのものなんだろうと思って視聴してた。今どきは恋愛結婚が主流だということなので、好きあって結婚したのだから相手は自分のことをわかってくれるだろうだとかその他、所詮相手は他人であるということを念頭に置かない「甘え」が’あったりするのだろう。そういうのを戒めるために、やはり結局最終まで主人公中野と仙狐の間に馴れ合いはなかった。
 但し、ここで示されるケースが昭和期の専業主婦核家族なのはどーなのよ?と思わなくもない。今どきだと共働きが当たり前だと思うが、あんまターゲット層が専業主婦家庭を持てるとも思えない。もしM1層がターゲットだという自分の見立てが正しいのであれば、ギリギリ母親が専業主婦だったかそうでなかったかの境目に当たるぐらいで、少なくともターゲット層本人はやはり専業主婦を持てないと思う。自分視聴の初期には専業主婦を持っていたもうちょっと年齢が高めのターゲット層も考えているのかなと思ったりもしたが、仮にそうだとしてもとても数稼げるとも思えない。
 だからといって現代風の新婚核家族を出せばそれでオッケーなのかと言われるとそれも微妙で、たとえば中野どう考えても勤務先はブラック企業で帰宅もいつも深夜であるが、これで家事育児分担とか言われても鬼かと思われるだけなんで、会社でボロ雑巾のようにこき使われ、家でも気を遣わないといけないとなると、そこに何の癒やしが入る余地があるのかということになる。だからこそ押しかけ女房モノであっても決して相手は人間の嫁ではないというのはまぁよく考えていると言わざるを得ない。ターゲット層をむしろ男に絞って、だからこそ世界観を男のドリーム全開にしたという割り切りは正しいと言われたらそうだと思う。もちろん男→女に変えて読み替えても成り立ちはするのであって、そう考えてもいいんですよという手引きがジャスコだとも思うので、そういう考えだと別に主人公の性別は関係ないとも言える。
 原作者がこの作品にどういうストーリー上のミッションを設けて、物語として成立させようとしているのかどうかはわかんないが、少なくともこの1クール視聴した限り、アニメ版スタッフはむしろ「癒やし」をメインテーマに構成してると思う。そういった意味で本作は即物的。あんまりメッセージ性が高いとも思えないし、そういう作品だと初期の頃から判断ついたので、そういうのを承知で視聴した自分にとってはまぁこんなもんじゃねといったところ。テキストを読み込んでいろいろ推測するのも楽しいが、そういうのから距離をとって頭を空っぽにして視聴するのも悪くなかったというところかな。