それなりに、川柳少女、よかったわ

 最終回ということで、俺達の戦いはまだまだ続くENDかと思ったら、馴れ初めのエピソード。自分、もうかなり初期の段階で、この作品のテーマは川柳ではなく、唖の少女とのありうべき共生だと断じて頭が切り替わっていたから、今回も最初っからその視点だったんだけど、まぁやっぱり当たらずとも遠からずなんじゃねとは思った。主人公が作った川柳とともに、その川柳だけはちゃんと声に出していたのかもしれないと思っていたのだが、そのへんはまだ判断がつかない。つかないんだけど、今回や前回ちょっとそういう場面もあって、やはりこれ全くしゃべれないということを描写しているかもとも思う。声優がセリフをかぶせているのはそれはひとえに視聴者の便宜のためであって、前も述べたがやはりリアリティを重視してセリフ無しでの描写だとかなり違和感を与えてしまうからだと思う。なぜなら主人公以外のキャラは全員声を出して語りかけているのであり、そこに主人公からの応答のセリフがなければ視聴者は一方的に語りかけている場面を目のあたりにすることになり、そこにはやはり一般的なコミュニケーションが成り立っている画にならないからであって。
 だからといって主人公が台詞を発しない場面の描写から一切合切放り出して逃げようとしていないようで、そこはやはり間欠的に無音を入れてきてる感じ。で、視聴者にほんの少し違和感があるようにバランスを調整してる。今までだと気がついてみたら通り過ぎていて、あ、ちょっとまって今サラッと流したけど本当はその違和感を描写したかったんだよねということだったが、この最終回では意図的にその場面にフォーカスしようとしているように感じた。現実をありのまま描写して視聴者にダイレクトに伝えるってことと比較したらそりゃ物足りないんだろうが、あくまでこれは共生の物語ということなのだったら、そこから極力ストレス要素を取り除いて、両者のハードルを低くすることが重要なのだろう。そのへんの問題、スタッフは結構センシティブに扱ってるんだろうなという気はする。
 あと、川柳というサブテーマなのだが、自分最終回になってようやっとエイジにそれが体現されていることに気づいた。彼の作っている川柳、どう考えても句会にだして見栄えのするものではない。川柳もそういうところはあるだろうが、もっと文学性の高い俳句なんかだと特に、他人からどう思われるかを意識して作句する。これが転じて、見栄えのする川柳なり俳句なりを作って自分を大きく見せようとすることにつながる。ところがエイジにはその飾りっ気がまったくない。誰にどう思われるとかそういうところをすっとばして、純粋に自分が楽しむために作句してる。これはまさしく川柳の理想的なあり方。
 自分が中高生の頃なんかは特に「不良」と呼ばれる人たちは、やたら「社会の枠組み」に自分が圧殺されるのを嫌っていた。あの時代のほうが今より因習陋習虚礼は多かったのだが、今考えると実は生き方は現代よりよっぽど自由さが担保されてたと思う。が、それは今おいとくとして、その枠組を嫌ってるはずの「不良」が五七五の制約で自分を縛り、気持を表現するという構造がなんとも面白い。特に次号予告ではいくら不自然であってもサブタイを無理やり五七五に切断していたわけで、そのへんも今となってはスタッフ意図的にやってると考えるしか無い。
 実は前回まで、確かに目の付け所は変わっていてそれなりに面白いのだが全体的に凡庸な作品だなぁと思っていただけに、この最終回の最初のシーンからちょっと衝撃に近いものを感じたので認識が変わった。おそらく原作もっとほわほわしたものだと思うが、それを念頭に置いた上でもちょっと思わぬ拾い物をしたって感じ。


ラタトゥイユを作ってみる

 なんちゃってブイヤベースを作ってエントリUPしたのでメモ代わりに。実はラタトゥイユ、昨年結構作ってる。夏場になると規格外の野菜が安く出回るので、それを入手してバンバン作ってた。省力モードで料理を作っているとどうしても栄養が偏る。普段なんかはめんどくさいと大抵ペペロンチーノを作って終わることも多い。なによりスパゲッティを入れた鍋が沸騰したら火からおろし予熱で茹で上がるのを期待、その間に油でニンニクなり唐辛子なりベーコンを炒め、塩振って混ぜ合わせるだけなので、ものの10分もあれば完成する。ところがこれでは炭水化物ばっか。なので意図的に野菜を取り入れる料理をということで昨年ラタトゥイユを作ってみたら、これが案外自分に合ってた。



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 材料の野菜共。自分はたいてい玉ねぎとナスがデフォルトで、ほぼ欠かさないが次点扱いでピーマン、それと画像にはズッキーニが写っている。ズッキーニ、レシピサイトでは大抵載っているが、流通量が少なくて入手はちょっと難しい。昨年も見かけたことがあったが、ナスとセットで売られている機会を逃していた。それがようやっと入手できたというワケ。
 ナスは乱切りにしてあるが、これは輪切りやいちょう切りにしてある所も多い。自分は輪切りは今一と考えていて、かといっていちょう切りはめんどくさい。水に漬けてあるがこれも本来めんどくさいからやりたくない。のだが、水を吸わせてないと炒めるときに盛大に油を吸って、油の消費量が多くなりがちなので仕方なく漬けてる。水に長く漬けていると水が紫色になってしまい萎えることこの上ない。皮の色素がぬけるぐらいだから身の栄養分も流れているだろう。


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 ズッキーニはさすがにいちょう切り。身の部分はきゅうりよりは柔らかくないが南瓜ほど固くはない感じ。


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 切った野菜をおもむろに中華鍋に放り込んで炒める。本当なら火の通り方が千差万別なので別々に炒めたほうがよいらしいが、めんどくさいのでいっぺんに炒める。ピーマンなんかは時間を置いて放り込む。



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 しんなりするまで炒める。少々硬い段階でやめてもどうせ煮込むのでオッケー。体積が減っているが画像からはわかりにくい。


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 別に中華鍋ワンポットで調理してもよいのだが、いちおう鍋に移して缶詰トマトを放り込む。塩を適当に入れて水も増やしてひたひたになるまでにする。あとは煮込むだけ。


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 完成。ラタトゥイユのよいところは別に調味料が塩だけでも良いこと。コンソメだとか肉などの旨味成分を加えたらそれなりにコクのある味わいになるのだろうが、なんといってもめんどくさいしコスト増。塩だけでもそれなりに味が整うのがミソだと思ってる。ペペロンチーノより手間はかかるが、思ったよりは調理の手間は少ない感じ。



 あ、そうそう、ペペロンチーノ、上ではニンニクと書いてあるが、実は自分ニンニクはそんなに好きではなくて代わりにネギを使ってる。コクっぽいのはニンニクのほうが上なのだが、ネギを食べ慣れた身としてはそのコクあんまりコレだというほどのものに今は感じてない。それよりネギのほうが香りが高くて個人的にはこちらのほうが好み。ただしネギは足が早くて、保存性は断然ニンニクのほうが上ではある。