Coppelion 第9話

 梶井五次郎は、今でいう盗電社員という立ち位置だったのかな。
 出産シーンを引っ張るねぇ。コッペリオンと対比させるために祝福されて生まれてくるって筋書きなのかな。あと突っ込んどくとノーセンスの感じ方、ロボットの設計のときに外部情報の取り込みをどのように評価するのか、そのプログラムセンスだよな。どうしてもロボットにも人の心を植え付けることができると考えたいんだけど、思考プログラムが自律・独自的システムになっていないと、所詮人間がプログラムした判断を取り続けるという風にしかならない。それが如何に人間に似通っていたからといっても、ロボットそのものではなく、プログラムした人間の人間性が現れているだけという風になっちゃうよね。
 小津姉妹も見ていて痛々しくてちょっと物語的にも後ろ向きな感じであまり気分の良いものではないんだけど、あのようなキャラ設定というのも「被害者なのに悪」という構造を示すためのものではあるので、その意図は分かるんだよな。たゞ、原発問題とかは基本的に大きな構造が問題なのであって、この作品のスタンスがどうやら問題を個々の卑小性に還元しているような見せ方なんでちょっと物足りない。いや、もちろん、原発問題を一人一人がどう考えたらよいのか?という構成だとは思うんで、そういうやり方が悪いとかというわけでもないんだけど。
 まぁその巨悪については結構時々明示的にトピックを提供してくれているし、大上段に問いかけられても一視聴者にどうとできる問題でもなし、でも巨悪の尻拭いを現にフクイチ被害者が受けていることを考えると(しかも安倍政権は掛け声だけでほったらかし)、「コレジャナイ」感は大きい。
 しかし、今シリーズ半分を過ぎて思うに、この作品の放映時期をずらしたというのもなんかわかるような気がしないでもない。基本原発災害後の世界を描いており、生命賛歌とも言うべきものなんで、被災直後に放映していたとしてもそう問題はない作りだと思うんだよね。でも、被災者にとっては被災のショックでさぁ復興だ、盗電の尻拭いだという気力が湧く時期でもない。まぁ放映中止でなく延期にしたことで、結構配慮した部分もあるんだろうけど、被害を受けなかった自分は時間が経って却ってインパクトが薄れたんじゃないかという感じを受けた。まぁ難しいよね。