ラスエグ銀ファムを見終わって。

 やっぱ大作としての風格はあったと思うんだが、そのおかげか余韻は大きいな。が、ふと考えてみたんだけど、この中途半端さは脚本分担制にあるんじゃないか?と思いついた。ハリウッド映画はよく単調な、フォーマットが透けて見えるような脚本って評判だと思うが、まぁでもその時々のホットな話題を取り入れているし、エンターテインメントとテーマのバランスもよい作品が多くなっているような気がする。正直人間が感動する物語のフォーマットって大体決まっているようにも見えるので、あとは素材と切れ込みの良さだろうな。
 で、話は元に戻るんだが、ちょっとした考証の粗は許容するとして、やっぱ一人の脚本家が担当するって形のほうが良かったんじゃないか?とも思うのである。いっそのこと吉村清子あたりに任せてあとはバグ潰しとか。結局戦闘でリアリティを求めないんだったら鈴木貴昭を入れ込む必要*1は無かったんじゃないかという気がする。いくら吉村清子がシリーズ構成を担当しているからと言って、話ごとの関連性や流れってのが今一掴み難かったというか、大きな流れが作れていないんだよ。なんかエピソードが散発的というか。視聴者にわかりやすいように工夫しているつもりが、その工夫のおかげで台無しになっていやしないだろうかね?。
 雑破業起用だと大抵任されるし、揺れてもちゃんと後で回収されるんだよね。2クールぐらいだと1人でやれる量だと思うしな。
 しかし、自分も視聴した印象で勝手に述べているだけであって、脚本複数人数制のほうがマシな作品であるって可能性もありはするんだよね。

*1:指揮官の鼓舞台詞はなかなかのものがあるんだけど