カンニング犯が未成年だということで。

 該当記事のブコメを見ると、どうやら落ち着いてきたようだ。たゞ、
 http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/107865 魚拓
 なんかを読むと、大体この人の主張は感覚として自分のとほゞ同じではあるんだけど、なんか違和感がある。なんつーか、法律ってのがとても胡散臭く感じる。確かにこの人によって、如何にカンニングが法律に照らし合わせると犯罪になるのかってのは説明されるんだけど、なんか異世界のことのように思えてしまう。が、実はこのことに関しては本題から外れるので置いておく。
 自分がこの事件で気になったのは、未成年の行為ということで寛容性が働いたのかな?と思われること。二浪だったら20歳以上なんだろうが、一浪の予備校生だったらまだ19歳であるだろう。が、この事件に言及しているサイトさんが全員そうだとは言わないんだけど、どうも「子供のやることだから許してやれ」という雰囲気が感じられてしまう。
 まぁ一時期少年法による未成年の保護について、世論を騒がせた時期があった。マスゴミが未成年者による凶悪犯罪の増加という捏造を行って、少年法を改正するとかしないとか騒いでたあの時期だ。あの時もゝう時代は変わったんだなというのが感じられたが、あれからしばらく経って、自分の考えもなんか方向性が出てきたような気がする。
 それは、やはり大人の側の不用心ってのが主要因にはなっているわけなんだが、現在は子供であっても、社会的影響力の大きい行為を働くことが容易になっているんだなという現象だ。別に犯罪などの悪い行為だけでなく、例えば中学生であっても投資などを行って何億と稼ぐのが現れたり、数は少なくともネットで大きくヒット数を稼ぐサイトの管理人を年端も行かない子供がやってたりと、成果だけを見て、年齢を推測できない時期になってきたことを感じる。いや経験がモノをいう世界はごまんとあるので、やはり年少者が大人顔負けの成果を上げるって事例は今後も割合自体は少ないであろうけども。
 子供がちょっとした悪さをしても「子供のすることだから」といって、将来を鑑みて許されていたのは、やはり昔は子供ってのは社会に対して影響力をほとんどもたなかったせいであろうと思われる。体力的にも判断力にしても大人より劣るだろうから、悪さをしても大きな被害に繋がることがなかった。そして何より社会的に影響を与えるような事柄には子供は関与が許されていなかったことが大きいと思う。関与という段階で、大人には許されるけども子供には許されない事柄が多かったのだ。
 それが、まぁこれはあまり深く検討していないんだけども、数としてそういう傾向が崩れ始めたのが経済的に裕福になったときからであろうと思う。自分の感覚では、まだバブルが最盛期を迎えていた頃はそれほどでもなかったように思われる。問題はその後だ。バブルが弾けて、庶民の購買力が低下した時に、子供向けの商売が盛んになったわけなんだが、そのときから顕著に子供の権利が不当に高くなったと思われる。大人は自分でカネを稼いで、その中で生活するためにやりくりしなければならないから、カネの重要性はわりとわかるほうだ。が、子供はそうではない。自分なんかはファミコンなどのコンシューマーゲームが大きなきっかけの一つと考えている。アレの商売がうまかったのは、当時本体だけで13万ほどしていたマイコン(ディスプレイなどの周辺機器を揃えれば、8ビット機ですら20万とかそんな値段だった)にくらべて、ファミコンは一万強という値段設定だった。その代わりゲームカセットが高くて、8千円とか1万越えとかあったように思う。ヤリコミは可能だが、当時は単純なゲームが多く、すぐに飽きるので、カセットを何個も買うことになる。あれで子供の金銭感覚が狂ったのでは?と、今でも思う。あゝいう商売は、基本顧客は子供だが、金づるは親だ。子供を通じて親からカネを奪うという基本線があの時定まったのだと思う。ポケベルから携帯電話という流れもその延長線上にある。あとは、子供が消費をすることを妨げないように世の中を再構成することだ。
 子供の欲望を妨げないよう、政財界で色々取り組まれた。その最たるものが学校の弱体化だ。バブル崩壊後の学習指導要領のキモが「興味・関心重視の教育」とされ、それまで容認されていた学校での体罰が許されなくなったのもこの時期だ。学校は子供のニーズに従え、子供はお客さまで、学校教育はサーヴィス業だとされたのもこの時期だ。だからこの流れの結果として学級崩壊もしくは学力低下が起こる。なにせ子供の購買意欲を減退させる学校の指導力は削いでおかなくてはならないワケだ。援助交際という売春も、売る側ではなく、買う側が厳しく処罰される。供給を断たないのになくなるわけがない。これを推し進めてきたのが自民盗だ。もともと途上国の悲惨な状況のためのものゝ筈の、子供の権利条約ってのに批准して、それを拡大解釈して子供の我儘を助長したのもこの時期だ。
 そうして、大人しか許されていなかった領域に子供が入ってくるようになる。なにせカネさえ払えば子供もお客さま=神様なのである。同じカネを払うのであれば、大人も子供も区別がつかないし、実際に政財界は区別をつけなくした。振り返ってみれば、自分が中高生の頃は、生徒がアルバイトをするといったら、家計を助けるために貧乏人がやるとか、どうしても欲しいものがある時に臨時でやるもので、普通はしないものといった感覚だったと思うのだが、今ではあまり中高生がアルバイトをするのにそんなに抵抗があるようにも思えない。子供が自分が成長するために勉強する時間を削ってまで、企業が儲けるための経済活動に協力してくれるワケだから、ありがたいことだろう。まぁはやいうちに勤労体験をするのは悪いことでもないわけなんだが、いずれほゞ全員社会に出るわけで、別にすぐやる必要もない。それが今や学校では就業体験がカリキュラム化されているぐらいだから、政財界は笑いが止まらないだろう。
 で、ネットなんかは大人子供の区別がほとんどつかないボーダレスなものだ。まぁ大人でも分別がつかない御仁はたくさん居るわけなんだが、某巨大掲示板でも夏厨・冬厨・春厨などゝいう言葉があり、実際その時期になるとスレが荒れることが多いわけで、まぁそういうわけだ。で、自由になる時間が多い子供のほうがネットに順応して、(今ではネットが飽きられているっぽいので数は少なそうだが)熟達することも多い。そうなると、限られた領域では子供が大人を凌駕することも出てくる*1わけで、そうなると子供が大人顔負けの影響力を発揮することが珍しくなくなるワケだ。そりゃ資本力を要するものは、大人…というよりはやはり法人…には勝てないワケだが。が、純粋に大人と同じ権利が与えられている分野で大人より能力が秀でたり、子供だからといってやんちゃが許されている領域で子供にアドヴァンテージが与えられたりすると、そこでは子供に対するコントロールが効かないということになる。そうなると、社会を支えている大人がないがしろにされ、子供の我儘が横行することになると、社会は壊れてしまう。
 つまり、大人の領域に子供が侵入することを許してしまったため、その部分でどう処理するか、時代的に対応に困っている段階なんだろう。子供の行為が制限され、そのために子供のやった行為がそう大きな影響を社会に与えない範囲では、従来通り子供を保護すべきだと考える。が、そうではなく、大人と同じ権利が与えられ、そこで行われた行為が大人と同様社会に影響を与える分野では、やはり子供は大人と同様責任をとらねばならないのではないかと思うのである。それともなんかね?、そもそも子供を排除しておかなくてはならない分野から子供を締め出していなかった大人の責任を問うべきなんだろうかね?。なんかもうそういうのは現実問題として不可能に近くなっていると思うんだけどな。もう是非を問う段階は過ぎているというか。いや、不断の努力を惜しまなければ決して不可能ではないんだけどね。しかし、それをするための親の側の子供に対するコントロールが効くかね?。カミナリ親父もいなくなっているだろうし、学校に怒鳴り込むモンペは母親が多いだろうから、もう親の側の能力が昔に比べて低くなっているから、やはり不可能といわざるを得ないんだけど。で、子供のやったことだと許してしまって、いや、この場合は大学という組織なんだけど、個人が甚大な被害を受けるようになって何の補償も受けられないとなったら、あなた許せる?ってことになると思うんだが。その行為は決して子供のやったことってレヴェルの可愛げのあるものではないんだぜ?。
 まぁあたりを見回してみた所で、例えばこゝ2〜3年のうちに暴走族って激減したように思う*2し、なんか最近の若者って活気が無いというかおとなしくなっているようには感じるので、そうそう信用がならないってわけでもないんだけど。

*1:ゲーセン全盛期のスーパープレーヤーなんて社会人は少なかったと思うんだが。まぁ時間の多さと知能の高さで高校生とか大学生が多かったような気はするが。

*2:最近夜出歩かないので不確かだとは思うが、暴走族を見かけなくなっただけでなく、コンビニの前でウンコ座りするにーちゃんねーちゃんも見かけない。カネが無いから外に出ないだけなんかもしれんが。