産業革命時の劣悪な労働環境の正統な継承者、日本

 について、ちょっと昨日の話題でメモ程度に。
 実はちょっと前に、
 死ぬほど大切な仕事ってなんですか―リストラ・職場いじめ時代に過労死を考える
 を読んで、衝撃を受けていた。過重労働で過労死した労働者たちの遺族が、労災判定を求めて斗った事例集なのだが、過労死後、会社が掌を返して労災判定を拒否したとか、労働基準監督署が労災判定に抵抗して遺族を痛めつけたとか、内容的には経営者や役所などがクズであるといういつものことではあるのだ。何に驚いたのかというと、本の紹介には

内容(「BOOK」データベースより)
バブル崩壊とリストラによって労働状況は大きく変わり、職場いじめや過重労働のはての過労死が後を絶たない。働く者の体と心を押し潰す現代企業社会を問う『日本は幸福か』第2弾!全国48人の過労死遺・家族たちの手記。

 と書いてあるものゝ、バブル崩壊後とその直後から蔓延したリストラでの事例が数えるほどしかないのだ。事例が集中しているのは1980年代、そう、バブル時期そのもの*1だ。で、吉永&ひまわりっ - カタログ落ちでも述べたとおり、1960年代の高度経済成長期と呼ばれていた時代も過重労働が多かった。オヤ?と思わざるを得ない。結局日本って、過重労働のなかった時期そのものが無いのではないのか?と思い至ったワケだ。
 イギリスで産業革命が起こり、その余波は周辺国に及んだ。彼の地では児童を利用した長時間労働でバタバタ労働者が死んでいった。その惨劇をもとにマルクスは「資本論」を書いたと言われる。自分が驚いたのが、この時期の貧民街における平均寿命だ。産業革命時代のイギリス労働者の平均寿命は? - 探訪・日本の心と精神世界魚拓にあるとおり、15歳と書いてある資料が多い。イギリス工業都市の貧民街では、中学を卒業する年齢に死ぬ*2という過酷な運命が待っていたワケだ。結局欧州ではその資本主義のやりすぎの反省から、労働法制の整備がなされていく。
 で、明治以降の日本はその西欧の産業革命を受け入れ、それこそ女工は12時間労働もあたりまえという環境に放り込まれていく。そして二度の大戦を通じて*3、過重労働は連綿と続いていった。そして終戦後の日本は復興とともに労働法制が整備されるも、上で述べたとおり高度成長期にもバブル期にも過重労働が横行。そしてバブル崩壊後もそれが改められるどころか、社員の切り詰めなどによって正規・非正規に拘わらず過重労働は深刻化していったのはご存知の通り。要するに、ほとんど過重労働からまとまって逃れた時期ってのはほとんどないことがわかる。
 もちろん、世界大恐慌時、終戦直後などの中断時期はあった。が、その時期はたしかに仕事の総量が少ないから過重労働が目立たなかっただけで、忙しいところは大変だったのだ。要するに、失業者は仕事が無いから暇だったかもしれないが、残った社員は過重労働をしていたと推測されるのは、リストラ後の残留社員の過重労働を思い浮かべるとよい。
 ということは、近代を西欧から取り入れた日本は、その過酷な労働慣行を現在までほゞ一貫して継続してきたということになる。そして過重労働の陰にはいつも大企業の搾取が存在した。子鼠・ケケ中が派遣を拡大して正社員を減らす手助けをしたし、舛添が残業を減らすどころか、残業代ゼロ法案を家族だんらん法と言い換えてゴリ押ししようとしたのも記憶に新しい。すべて政財界が日本人をイジメ続けてきた。人間の生活時間を労働に駆り立てゝカネに換え、時間を奪えないとわかると労働単価を切り下げる。柳沢強制労働大臣が「女は生む機械」、即ち「男は働く機械」ってことを述べたワケだが、人間らしい生き方というのは政財界などの一部にしか許されない贅沢でしかないのか?。

*1:「24時間タタカエマスカ」のCMがあったので、驚くに価しないと言われゝば、そうなんだが。

*2:もちろん、死んでいった彼らはもとから学校へなんて行ってない。

*3:蟹工船なんかいい例だろう」