で、後半なのだが。

 これが面白かった。といっても、深く考えさせられるものがあるとか、単純に新しい知識が増えただのということではない。お題は「ゆとり教育世代は社会を変えるか」で、わざわざ早稲田大学の就活で話題になっているらしい学生二人をゲストに招いて、いわば“晒し上げ”という構成で番組をつくっていたからだ。正直ゆとり教育を施されるとここまでバカになれるのか!とまで思ってしまったわけで、その意味ではんHKの狙いは成功したのだといえると思う。出演していた学生も、ラジオに出れば自分の価値が少しは高まるかも?と皮算用をしたに違いない。ゆとり世代だから仕方がないのだろうが、この学生たちも「もしかするとんHKは自分たちを笑いものにして話題作りをしようとしているのかも」と少しは考えなかったのだろうか?。
 アナウンサーも紹介の折には二人がスーツをビシッと決めてきたと言っていた。いや、なんというかねぇ。映像が見えないから、おかしな格好をしていたとしても、きちんとしているという台詞を吐けば、聴取者はそうだと思わざるを得ないんで、なんか、苦笑が漏れるだけである。もちろんきちんとしていたという可能性もあるのだが、いや、もう、んHKもあまりに聴取者をバカにしていやしませんか?と。
 序盤はこの二人の学生に、弁明をさせていたわけなんだけど、まぁやっぱ傍で聞いている分にはいいわけにしか聞こえなかった。んHKも晒し上げという目的がはっきりしていたせいか、やはり聴取者が一番聴きたがっていると思われる毒のある質問「ゆとり世代は学力が低下していると言われていますが、実際にはどう思うか?」というのをしていて、もう笑うしか。あやふやな答えをしていたが、なんというか、もうゲストの学生には気の毒でしかないのだが、この質問は彼らにはキツいだろう?。たまたまこの学生が上手く答えられなかったから、「あぁ、やっぱりゆとりは」で済むのだけれど、ゆとり教育を粛々と受け入れて、自民党の思惑通りバカに育ったゆとり世代もいれば、そういうのを横目で見て、他山の石としながらこつこつと頑張り、基礎学力も応用力も身につけた学生もいるわけだから、ちょっと世論誘導が激しいような気はする。素直に考えても「ゆとり教育を受けたとしても学力低下はしていない」と答えたとしても世間はウソを言っているとしか思えないだろうし、「ゆとり教育のおかげでバカになっちゃいました」と答えたとしても世間はじゃぁ自助努力しろよとしか思わないわけで、この質問はまともな人間に対してする質問ではない、大いに失礼なものではあるのだ。
 で、キモは、電話で有識者(笑)と学生とを対談させたことだ。その有識者がなんと渡邉美樹。教育再生会議のメムバーだった人だ。教育再生会議があまりに酷いので、福田内閣では速攻廃止され、つい最近も教育再生担当の山谷えり子首相補佐官、退任へと、黒歴史を消そうと方針が決まったばかりだ。で、今Wikiを参照してみたが、これまた酷いことを言っているねぇ。

・大学入試廃止論者。「現在の高校生は受験を至上目標としている。大学入試は不要な競争を煽っており、子供が夢を持つことができない。好きな大学に全員が入れるようにする必要がある。」と主張している。「子どもの夢をはぐくむ学び方」対談記事
・しかし「現行の大学入試=夢がない」、「受験競争の結果に待っているものは堕落だ」といった意見に対し、現実的でないという声もある。また、「夢」というものを先行させるあまり、このような教育論を単なる理想論、机上の空論だとする声もある。
教育再生会議では現在の公立学校の常勤教員を大幅に削減し、「半分」(コマ数の半分なのか教員数の半分なのかは曖昧)を非常勤講師でまかなえば教育の質が向上すると主張。

 教育再生というより、小学校から大学までの公教育の盛大な破壊をここまであけっぴろげに主張しますか。で、こういう主張をする人間を、公教育再生をタテマエにした組織に入れちゃいますか。さすが安倍のバカっぷりには拍車がかゝっているわな。いや、安部にしてみりゃワタミがどれだけ賄賂をくれるかにしか興味がなくて、その後どうなろうと知ったこっちゃないってところだろうが。
 まぁ今日も学生に質問されて、本人は大学ではまったく勉強せずに、商売のネタとコネ作りに精を出していましたと言っていたから、この人的には主張が一貫していて清々しくさえある。父親が社長だったというから、カネには困っていなかったんだろう。悪人ばっかり輩出しているわけでもないと思うんだが、やっぱ明治大学潰したほうがいいんじゃね?。
 さて、渡邉に言わせると、ゆとり世代は現実と折り合う能力はあるが、夢がない*1とか言っていた。えーっと、それって褒め言葉ではないでしょうか?。本人は憤懣やるかたないという口調でしたが。若者が現実を直視せず、勢いと思い込みだけで突っ走って仕事をガタガタにするってありがちな話だと思うんですがね。で、それは金を受け取って仕事をやる以上、許されないことなのでは?。もし本当にゆとりが現実に対処する能力があるのなら、それは評価すべきなのでは?。まぁこれ以外にも渡邉はかなり斜め上の発言をしていて、多分本人は間違ったことを言っていないと思っているのだろうが、とにかく上から目線が鼻につくばかりであった。
 さて、ゆとりの総括に入る前にいろいろ考えてみたいのだが、学生たちも言っていたとおり、タテマエでも総合的な学習の時間などに代表される、応用力は果たして身についたのか?という点が気になった。本人たちも上からあれやれと頭ごなしに言われるのが嫌であるらしく、また今まで自分で考えていろいろ解決を図ってきたので、単純作業や決め付けは拒否反応が働くらしい。今の世の中、クレーマーが多くて、もちろんそれは改善していかなくてはならないとは思うのだが、それを差し引いても彼らの主張の中には「自分たちが働きやすいよう、周囲は十分な配慮をしてくれるべき」という態度がありありと窺えた。もちろん、実際に仕事をしていけば、「きちんとした仕事には時間的余裕とコストは配分されるべき」というのは正しいのだが、現実には十分な余裕が与えられないことが多い。不十分な装備で戦わなければならないことを、特にそれをなんとかするのがプロというクレーマーが日本にはあまりにも多くて、それを是とすべきではない。が、ゆとり世代は他人が配慮するのはまだしも、自分が配慮されるべきと主張するのはずうずうしいというのがわかっていないらしい。詰め込み教育・応用教育云々以前に、人と人とが協力、もしくは競争しあって暮らしていく上で、お互い気を遣わなければならないことという、共同生活の根幹の部分がわかっていないことに驚愕した。たぶん、彼らは商売というか働く上での前提条件というのが全く身についていないだろう。で、多分、彼らが入社した時の教育担当は、そこから叩き込まなければならないと思う。
 詰め込み世代が「指示待ち人間」と揶揄された反省が、ゆとり教育だったと思うが、多分、ゆとり世代は「指示しても動かない人間」になっている。指示しても具体的な方法を示してやらなくてはならず、運が悪ければ、業務上必要なことだと説明しても本人が納得しなければ働かない人間が多数発生すると思う。正直「生きる力」はゆとり教育が目指したのとは反対に、大幅に低下していると思う。例えば、昔の部活動では先輩の荷物持ちやボール拾いなどの雑用は、本人の実力に関係なく後輩はやるものというところが多かったと思う。もちろん、イジメをはじめ、必要が無いことまで後輩に押し付けられることはあったわけだが、そういうことを抜きにしても、後輩の時に尽くせば、いざ自分が先輩になった時には奉仕を受ける立場になり、在部中の全体の期間を見渡してみれば、だれもが雑用をやり、奉仕を受け、トータルで貸し借りなしで、いろんな立場で経験ができるということになっていた。それが、実力のあるものは後輩でも雑用はやらずともよく、プレーに関することだけ集中してトレーニングできるという環境になっていった。もちろん強豪校のすべてがそうであるわけではないと思うのだが、酷いところだと生徒が大人を雑用にこき使って、とにかく試合での結果に繋がる技術面だけを強化するところもあるわけで、そういうところではモノカルチャー経済よろしく、社会の成り立ちを習う機会が奪われているとすらいえる。それで立派な成果を残せれば、まだそれ一本で喰っていけるのだろうが、そもそも同じ種目で頭角をあらわすのは一人か二人、スポーツによっては例え素晴らしい結果を残しても、マイナーであるが為に、そのスポーツにしがみついても喰っていくことすら出来ないことだってある。非常にハイリスクな賭け、それも圧倒的に負け組になる確率の高い博打で、遺伝的な身体能力がないと、ほぼ挽回は不可能な人間がたくさんいるのが、スポーツの世界だったりする。ドロップアウトしてしまえば…というか、ほとんどドロップアウトするのだが…周辺情報が全く身についていないから、その分野以外では全く使いものにならない人間の出来上がりだ。そういう宝クジに期待するような無駄な労力を国民に強いたのがゆとり教育であったといえるのではないだろうか。たぶん、ゆとり世代は文明の恩恵に浴していながら、その文明の維持方法を知らない世代なんだと思う。何が生きる力だ。とはいえ、ゆとり教育自体は三浦朱門がいみじくも述べたとおり、エリート以外はバカに据え置き、バカはバカなりに実直な精神、即ち特権階級に文句を言わずにこきつかわれる、従順な奴隷を養成するのが目的ではあったので、半分は彼らの意図通り成功したのだとは思う。ただ、日本の国力は大幅に減退したわな。
 投書にもあったわけだが、ゆとり教育を子供に施された親は、「自分の子供を失敗するのがわかっている実験に使いやがって」と憤慨していた。もちろん、抜け目無くアナウンサーも学生たちに「あなたも国の実験道具にされたと思いますか」という意地の悪い質問をしていた。彼らは否定はしていたものの、内心こんなことまで言われるのかと追いつめられた気分だったろう。今までも言いつづけてきたことだが、そもそもゆとり教育は臨教審以来の教育の民営化、すなわち公教育の破壊が目的であり、きょうの放送で、その効果をアリアリと見せ付けられたという気がする。まぁ早稲田なんて裏口入学が昔から絶えなかった大学で、ヴァイタリティ溢れた教養人から、本当のバカまで、数広く揃っている大学というイメージはそのまゝ変わっていない。出演した学生も、勉学に励むというよりは、ヴォランティアに近いサークル活動に熱心そうな雰囲気、わかりやすく言えば宗教の勧誘サークルに近い雰囲気で、実直そうではあるが賢そうではないように感じた。そういう例外を代表にゆとり世代全体を断ずるのは非常に危険であるといえよう。
 ただ、企業の採用担当は今までより下手は打てないと思う。当りを引けば、むしろ団塊のクズ経営者より有能な人材を引き当てることが昔より多くなっている反面、大部分はハズレであるという、まさにハイリスクハイリターンの時代になっていると思う。ハズレを引いてしまうと、企業内教育に大幅なコストを強いられるか、もしくは使い捨て前提でアタリが出るまで三ヶ月の試用期間をフル回転させて、とにかく使えそうな新人に数当たる必要があるだろう。昔だったら標準以上の能力を持っており、教育コストはかかるがやがて全員が使いものになる新人ばかり*2だったのが、今は標準にかなり満たない新人が多く、標準もしくは能力がずば抜けて高い新人がまばらにいるといったところだろう。現実に適用できるかどうかは別にして、ネットを使った情報収集能力*3ゆとり世代のほうがあるわけで、まぁなにをもって進歩とするか?という部分は常に頭に入れておかないといけないとは思う。
 でも、やはり前提条件とかには弱いんだろうなと考えると、ゆとりのやり方が一時有効になったとしても、崩壊は早く、しかも激しいだろう。今ちょっとばかり新規採用が回復しているが、ブラフだと思う。政府がニート支援も掛け声だけで決して本気になろうとしないことを考えると、世界規模かどうかはともかく、日本国という範囲で見た時に、産業の本格的な崩壊は近いのであり、ゆとり世代は今30代の就職氷河期世代よりもっと酷い状況になる可能性はある。団塊の子供世代の団塊ジュニアを最後に少子化社会が確定したように、初めて学習内容が削減された原ゆとり世代が今40代の中盤で、それらの子供が本格的ゆとり世代になっているわけで、あと20年後には公教育の完全な崩壊が起こっている可能性は高い。揺り戻しは成功するのかね?。福田も教育再生会議を速攻で潰したのはいい判断なんだけど、自民党や文部省の役人が公教育をダメにして、その責任を現場に負わせている状態は続いており、別に学校や教師への信頼が回復したわけでも、生徒や保護者の意識が改善したわけでもないんだしな。実際問題ゆとり世代は上澄みだけ社会に組み込んで、学力低下層は切り捨てたほうが日本全体の回復には有効なんだがね。まぁ学力低下層も在学中は王様気分を味わえたわけで、別に切り捨てられたとしてもそれは若い頃のつけを大人になって払うってだけのことなんだけどな。それを自民党が国家的犯罪として行ったわけで、まぁ文句は彼らに言ってもらうということでいいとは思うんだよな。

*1:ハングリー精神が無いとかぼやいていた。しかし、今の景気の悪い時に若者に夢を持てって言うほうがどうかしていると思うが。叶わない夢に向かって無駄な努力をするより、実現できる範囲で無理をせず地に足のついた行動をするほうがよっぽど偉いとおもうのだが、そのへん就職してバブルを迎えた渡邉にはわからない話なのだろう。ハングリー精神を剥き出しにして成果を出したとしても、どうせ特権階級が掠め取っていくわけだし、骨折り損のくたびれもうけだよ。

*2:まぁ強調しすぎですけどね。使いものになるっていったって、作業部分の業務ができるようになるというだけで、歳を取り、管理職に全員がレヴェルアップできる能力があるかどうかといわれると、こちらは実はからっきしなのが団塊〜バブルの特徴だったりする。もちろんゆとり世代に管理職の能力があるとも思えないが

*3:本当に有用な情報はそうやすやすとネットに落ちていたりしないわけで、やはり足を使って情報を手に入れることが依然大切ではあるのだが