がくえんゆーとぴあ まなびストレート! 第8話「たたかえ聖桜生徒会!」

 しもじぃにあたってもイカンだろう。
 何から書いていいのか迷う。学園祭が中止となるのは先週で判っていたので、正直展開の幅が狭まったことは予測できたことではある。ただ、自分がファンタジーを見続けたかったという想いが強かったせいなのか、どことなく陳腐さを感じてしまった。学生運動バリの描写を見て、そういう年代でもないだろう?と思って今調べてみたら私と大きく離れてないじゃないですか。どこ大学卒よ?と気にはなるところである。京都?。
 30年後の少年少女たちが、働くことと学ぶことの選択が自由に行える上でなぜ学校を選択するのか?を考えてみると、金月龍之介が現代の延長線上で想像したときに、やはり学習に魅力を感じてとか可能性を伸ばすという線はなくて、まぁモラトリアムなんじゃない?というのはリアリティはあると思う。とにかく考えるのがめんどいから、じっとしてれば選択肢を与えてくれるという楽な方法としての学校ということなのであれば、聖桜学園の生徒が単にお祭りの一種としてしか文化祭をとらえていないというのは非常に納得で、生徒会の思い込みという愛洸学園長の指摘は極々まっとう。
 ただ、そういう聖桜学園生徒のあり方を変えようと奮闘していたのも事実。はじめから生徒の自主性に任せた文化祭設計をせず、むしろ自主性を持たせる一歩としての文化祭を企画していたのは生徒とは思えないほどの立案なのです。かといって生徒会がなんでもかんでもやってしまうのでもないし、ダメそうな企画は生徒会が切るようであったから抑制も利いている。手助けはするけど手出しはしない、ウソくさいけど、2ヶ月でよくも生徒会を立て直してここまでやってきたなぁと褒めたい気分なのです。そして実はまんざら不可能な時間でもない。物事がすべて上手くいったらこのぐらいはかゝるだろうと思わされる。
 しかしありえないことだけど、本当に奇跡の積み重ねをしてきて成果をあげても、やはり学園の経営統合という時間切れ制限ってのは、これはまなびたちにとって辛いところだろうと思う。外から眺めていてもまなびたちは最善手だけ打っているように見えるので、盤をひっくり返されたらそりゃ怒るだろうと思うのだ。ただ、学園ドラマといえば不条理は教員が担っていたもんだが、今その役を教員に担わせるとリアリティが途端に無くなるので経営状況の悪化というのはなるほどとは思う。なぜ9月に?という点はあるが。
 ミスリードなのかもしれないが、みかんが泣いていたので目標数値の達成はできないんだろう。それより気になるのはまなびの転校の回数の凄さ。ほとんど外国だし。それも狙ったように紛争の絶えないとこばっか。親の都合とはいえ、今回は兄が同居してもう転校の心配はないのでは?とも思ってしまうんだけど、今こういう設定を明かしてきたということは、まなび転校エンドということなんだろうか?。私たちの中を駆け抜けて行ったまなびという一条の風エンド?。たしかにそのほうがリアリティはあるが。もしかすると生徒の盛り上げにゲッベルス桃ちゃんが一役買うのか?とも途中思ったのだけれど、どうかなぁ?。生徒会の努力で目標を達成できましたという展開はあまりにウソ臭い…というか出来過ぎで気味が悪くもなるのでね。迷走とは思わないんだけど、平凡な展開なら見て損したと言うことにも(いや、ここまででも十分楽しませてはもらったので文句を言うつもりはないんですけどね)なりかねんので、あっと驚かせて欲しいものである。まぁもう最終回はつくってあるんだろうけど。

早いよ。

 まなびストレートについてもうちょっとうだうだ書いてみたい気はする。が今は日曜深夜に注文した部品が届いたというメモをしておく。一つは電源Cと真空管5670Wの予備、(基盤用真空管ソケット)。もう一つは秋月に注文していた電源コード類にダイオードRCA端子に小さ目の基板。基板は138x95mmで、155x114mmより小さめなのだが、こっちのほうがケースも小さくできるしなぁとも思った。が電源Cの直径が3㌢強もあるので、もしかすると物理的に155のほうじゃないと載らないかもしんない。138のほうは紙エボナイトでガラスエポキシより強度の面でも劣るしなぁ。たった数㌢の違いなんだが悩んでしまう。
 ま、それより他の部品も取り揃えなきゃなんないんですけどね。

まなびストレート! 鏡子学園長について

 うーん、お茶目な部分が他のサイトさんで言及されていましたが、まぁあれは危機迫りギスギスした展開を和ませるための調味料なのでおいといてですね…。まなびの兄の8歳上だということなのだが、公式ではまなびの兄の年齢が記載されていなかった。まぁ学会にでるくらいだから、B4以上ってことなんだろう。院生かな?。そうなるとまなびが転校することはもうなさそうということになってしまうが…。まぁB4だとして鏡子は最低30歳、まぁ40ではないが30台という線は間違いないだろう。となると学園長職は世襲?。そうでもなければ、あんま教育畑という風でもないように見えたから、もしかするとヤンエグ*1で学校法人を買い取ったとか?。
 まぁこううだうだと言及するのは、あれほど文化祭を取りやめにするといった鏡子がなぜ話を聞く気になったのか?、そしてチャンスをまなびに与えたのか?が結構面白いからなのだ。長らく仕事をやっているとわかるのだが、逆境を逆転させる人間はかなり貴重なのですよ。聖桜学園の生徒会役員以外の指示待ち生徒みたいに、上からの仕事を何の疑問も持たずにホイホイと引き受け、そつなくこなすというのは確かに大切なことなんだけど、仕事の行く末を見据えてむしろやってはいけない仕事を断らないと、職場が荒れたり職場そのものを失う可能性があるからなのだ。管理職が出世ばかりを気にしてモラルなしに業務をやらせてしまうようだと、素直に仕事をこなす人間はむしろ害にしかならない。デスマでかなりのIT土方がたがいみじくも経験されたように、営業やその統括がもらえる仕事を何の疑問もなくしたにおろすようなクソだと仕事はキツくて職場は荒れるわ、過労死はでるわ、挙句の果てに取引先の罠に嵌って、報酬をもらうどころか違約金を払わされて経営者が夜逃げ、労働者は給料未払いで無駄骨みたいなことにもなるのだ。だから、害になる仕事をスルーしたりはねのけたり、逆にめんどいように思える仕事でもメリットがあれば引き受けてむしろ組織成長のきっかけにしてしまうという目先の利く労働者はすごく得がたいのだ。というかそれをするのが管理職でしょうに。
 鏡子学園長が聖桜側に文化祭の中止を伝えた時には、たぶん反対意見がくるとは予想していなかったのだろう。むしろ反応すらないというのが正確なところか。たぶん鏡子は文化祭の詳細を聞こうともしなかったと思うのだが、まず自分トコの生徒会長がわざわざ他校の文化祭風情に肩を持つのはおかしいと思ったに違いない。ただ、今までのたかちゃんの描写だとただのお人よしという見かけなので、案件によって意見するのではなく、誰であっても助けるということに喜びを感じる性格と判断されていた可能性は高い。そしてまなびは聖桜学園には歯向かっていたが、あくまで聖桜学園内部で処理してしまっていた可能性が大きく、視聴者にはまなび達が一生懸命なのは一目瞭然であっても、彼女たちのバイタリティは鏡子には伝わっていなかったのだろう。
 それがたまたま恋人の自宅訪問中に偶然まなびを見てしまうわけだ。あれでまなびを見抜けないはずがないだろうというわけだ。ただ、見ただけでは判断できない。やっぱり仕事をやらせてみた上で本当に処理能力があるのかどうかは確かめてみなくちゃという段階なのだろう。もしかするとただのお楽しみのためにわがまゝを言っているのかもしれないし。
 まぁ鏡子が指示待ち人間ではない生徒を育てる組織作りをやっているとはとても思えないわけなんだが、ただ生徒を単なる商材と見なして学校法人の拡大経営という視点で見れば、たしかに他校を合併するぐらいだから優秀なのだと思う。もしかすると噛みつかんばかりのまなびに自分と重なる部分があると鏡子は思ったのかもしれない。ただ、拡大経営の視点でなぜ文化祭を中止することに意義があるのかは不明ではある。鏡子が聖桜学園をどのように変えていきたいのかがわかんないんだよね。文化祭を止めさせた代わりに授業の充実とか部活の振興なんてものを考えていたんだろうか?。愛洸学園にも文化祭はあったし、それと同じような文化祭をやるというのでもないわけだろう?。
 文化祭中止命令は強権発動なわけで、それが70%を目指しての署名獲得運動の際に鏡子の考えのあやふやさが見えてしまうわけで、それは今後の強権発動に障害とならないのか?。もし運動が成功してしまったら学園長の命令は署名で覆るという前例を作ってしまうわけで、それこそロボット的生徒を作っているようにみえる愛洸学園の方針とはズれはしないか?とも思うのだ。もし失敗しても「どうせできはしないのに」という意図が透けて見えてしまうわけで、ちょっと賢い生徒ならバカにされたととるだろう。その上手のひらで踊らされたというかいたぶられたということにもなりかねない。いったん口にしたことを変更するということは、よっぽどの処理をうまくやらないかぎりどうしても後味が悪いものになってしまうので、昔から「男ならいったん口にしたことは」とか言われてきたことなのだ。まず人に指示する立場のものはやってはいけないことだったりする。
 かといって物語的にはこうせざるを得ないってとこはあるよね。当然吸収する側がされる側に擦り寄っていく描写なんてできないし、かといって今までどおりにまずやらせてみるってとこだったら、生徒会に対する「乗り越えるべき大きな壁」にならないわけで盛り上がりに欠ける。十分物語にはなっているから、視聴者の側としては様子見ってとこですかね。

*1:'80年代のかほりがするだろうが、ヤングエグゼクティブの略。まぁホリエもんなどが出てくるご時世だから描写としてそんなに極端でもないと思う。

いきいきホットライン

 今日のゲストは飲食店経営の人。物をわかっている人なんだろうなぁとは思ったが、落ち着きがちょっとないようにも感じた。

▼フードジャーナリスト 園山真希絵さん

 自分の飲食店(店側のミス)で人を待たすようなことがあったら、タダにするとか言っていた。まぁ飲食店の原価は3割未満と言われているから、それで好感を持ってもらってもう一度来てくれれば元は十分取れるし、リピーターになってくれれば優良顧客化というわけなんで、そこらへん消費者視点で聞いちゃうと見失うものが大きいと思う。行列ができる店になってしまえば、そういうサーヴィスをするかというところが分かれ目なんだろう。店側の論理をうまくとりつくろって消費者に紹介という視点で見ればなかなかに賢いと思った。
 つーか、んHKがなんでこの時期にこういうテーマを取り上げるのか邪推してしまう。待つ待たないの問題でもそうだが、復讐するしないの問題もダマしの構造があって、もちろんこれは手続きの点で考えるところはある。つまり、ある程度情報を明らかにした上で相手に選択してもらい、合意がなされた上でのことなら待つ待たないの件はそもそも起こらないのだ。番組中でもあった通り、初めから待たせることを知らせておけば、客はその時点で自分の都合と突き合わせて判断ができるのであり、その結果待つのを選択したのなら問題にならないだろうということなのだ。
 これが法律のことになるととたんにギスギスする。特に最近話題になっている加害者過保護の問題なのだが、加害者は犯罪であることをわかって罪を犯しているわけで、裁判所からして量刑を軽くしたりするという本末転倒なことをやっており、被害者はそれでも納得がいかないのに復讐は何も生まないからと説得されてしまうのだ。実はこれが曲者で、犯罪に関していえば、犯罪者は刑を終えてもまた同じ過ちを繰り返す、つまり再犯率が高いというのだ。結局復讐を思いとどまらせることは再犯を防ぐどころか、犯罪を犯しても量刑が軽いということを学習させて犯罪の拡大再生産を促す恐れがあるのだ。
 前首相は調べてみると面白い噂がどんどん出てくるもんで、そもそも地元では素行が悪くて初めは落選しているというのだ。そして当選の折には8クザの手助けを借りたというのだ。大学在学中のスーパーフリー紛いの噂や、海外逃亡の噂も本当かどうか、まぁ本当のことだったとしても本人が認めるわけもないんだが、もしかするとヤ9ザとの癒着構造で当選を重ねてきた疑いもあるわけだ。彼の祖父は刺青をした任侠者だったらしくて、それでも議員に当選するのは時代のおおらかさを感じないわけでもないんだが、そりゃヤク3からの指示もあろうというもんだ。しかし祖父のほうは戦争責任を追及されて公職追放されており、その子もその孫もなんの恥ずかしげもなく国会議員に立候補しているというのがなんだかなぁですよ。それで結局国民に負担をおしつけて自己責任、本人は私腹を肥やしていつでもトンズラできる体制にある。いやぁ、こんな羽目になるのなら、公職追放なんて生ぬるいことなどせず、一族根絶やしにしとけよ!と思うわけなんですよ。国家がそうしないから8ク3も勘違いするだろう。恩義を感じた人の孫なんだから、何十年も前ということならまだ忠義立ても残っていただろうし。
 大本営の頓珍漢な命令で特攻した、本当に国に殉じた英霊は死んでいるから彼らの忠義は国政に反映されることが今の今までなかったわけ…というか不可能なわけだが、安全地帯に座り込んで人を死に追いやった挙句、その責任をとらず戦後のどさくさで国家財産を私物化したような連中が政界に舞い戻ってきてまた日本を喰い荒らしている。日本を破滅に追いやった時点で復讐というか死をもって償わせとけばいいのに、なまじっか情けをかけるもんだからしぶとくはびこって日本をダメにするのだ。日本から謙譲の美徳がなくなったと言われて久しいが、そりゃそうだろう。我欲の強い人間が罪も償わずに権力闘争で善人を指導的立場から追いやったり、自殺に追い込んだりしてその気風が国民に届かないようになっているだけなんで。
 というわけで、もう負けるとわかっているのにアメリカに戦争を仕掛けて領土を失った挙句、アメリカの属国にまでなっているというのに、そのときの責任者が孫子の代まで国を喰い散らかしているというあきらかな結果が出ているわけなんで、復讐は何も生まないというのは、権力者が失敗しても下々のものは文句を言わずに忘れて奴隷のごとく働きなさいというミスリードにしかならないので、もうそろそろお花畑から帰りましょうということなのですよ。たぶん中国・韓国も日本の戦争責任のことをいろいろとやかく言ってもいるし、当然国内事情を日本非難で政治不信から国民の目を逸らせようとする意図はマンマンだと思う。しかし、彼らを納得させるには日本自身が日本をだめにした張本人たちを自分自身の手で処罰すれば文句をいわなくなるんじゃないか?。そしてそれはなにより日本国のために犠牲になった人たちへのなによりの責任の果たし方になるわけであって。そりゃ靖国神社という、終戦記念日には国家が金を盛大に使って祀り上げる式典におイタをした張本人を一緒に供養してしまっているわけなんで、反発しないわけがないだろう?と思うのだ。ここはきっかり大本営とか戦争指導者をきっちり一族郎党根絶やしにするぐらいに処罰をしないと、中国や韓国からいつまでも非難されつづけると思うよ。そしてそれはけっして「復讐は何も生まない」のではなく、復讐(きっちり処罰)しないと次の段階に進めないということになるんだと思うのだが。
 というわけで長々と書き連ねたが、社会情勢が人を忙がせる状況であるというのもわかるし、待つということを我慢したほうがその場をやり過ごすことができるわけなんだが、だから待つことに慣れましょうと結論を急いではいけないのではなかろうか。当然待たせてはいけないところでは手際よく、また相手に選択肢を与えてストレスを感じさせないようにしないといけないだろう。番組でもスリランカの食堂の話があったが、そもそも人が急がなくてもすむような、常に何かに急き立てられるような社会自身を変えるという視点なしに短絡的に結論を出しては、人々は我慢するだけ我慢させられて、耐え切れなくなって大崩壊ということになる。そりゃ政権はそうやって自分への追求が甘くもなり、追及される前に国民自身がストレスでダメになってくれたら願ったりなんだろうけど、それが幸せな社会かねぇ?。しなくてもいい我慢はあると思うよ。