ハチナイ、ラス前

 この作品を視聴して中盤以降思い出すのは小学校時代の草野球。あの頃は放課になると手頃な公園に集まって野球をやるのが自然な流れだった。自分昔から運動は得意でなかったのだが、だからといって野球に誘われなかったということはないし、プレイが下手だからといってそれで遊んでいるときに非難されたり喧嘩になったこともないし、ホント都合がつくものはだれでも楽しんでたと思う。チームも固定じゃなくてその都度チーム決めしてたような気がする。
 もう遠い昔の記憶になってしまったので、いろいろ忘れていることも多く勘違いもあるだろう。しかし不思議なのは自分、野球を特定の誰かに教えてもらったという記憶がない。仕事から帰ってきた父親とキャッチボールをした記憶があるが、野球の仕方を父親からこうなんだよと教えてもらってはいない。当時は遊びでするスポーツと言えば野球が第一人気であって、男の子なら大抵誰でも自然にできるようになっていたと思う。
 この作品、うまくなるために努力するシーンはあるんだけど、いわゆるスポ根とは違っていて、そのような自然発生的なスポーツの楽しさが根底に語られていると思う。今回の対戦相手、名門校の復活のために勝つことが目的化しているが、里ヶ浜最初っからそういうチームではない。野球にかける思いは部員それぞれであり、しかし楽しんで野球をしてる。でも試合になれば真剣であって負ければ悔しくて勝ちたい気持ちがないわけでもない。有原がそういうチーム作りをしてきたのは今までに丁寧な描写の積み重ねがある。
 今回は前半でその今までの積み重ねに万感の思いがあるという描写で区切りをつけ、後半は試合描写になる。割と気持ちの切り替えができて、後半はむしろあっさりした感じを受ける。まぁ4ヶ月程度でチームがアレほど成長するのはさすがにフィクションだとは思うが、そのへん野球は野球でも女子野球はマイナースポーツであるというところが救いになってる。
 前回ちょっと気になって実況サイトのレスをまとめたページを目にしていたが、なんか自分が視聴してるときはテキストに集中しているせいか全然気になっていなかったのだが、作画を残念がる人たくさんいるんだな。まぁ最終的には円盤の売上にもつながるからわかるのはわかるんだけど、逆に作画があんまり気にならない自分がヘンなんだなと気付かされてしまうという。動画の枚数少ないのは明らかなんだが、描写がおかしいとはっきりわかるところがある反面、枚数少なくても割と野球に関してやけにリアリティを意識していると思われるところもあって、カネがないからしかたのないところはどうしても形になって現れてくるのだけども、カネかけずにやれる努力はできるだけやろうとしてるんだなというのは伝わってくる感じ。


 さて、次回だが、

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ぼく勉とこの音とりあえず最新話

 なんかどちらも続編あるのワロタ。ぼく勉のほうはキャラの見かけからして古橋が正統派ヒロインなのに関係性を深めるエピソードが直球で用意されてないのどうなんだろ?と思っていたし、この音はこの第1期終盤、新キャラ続々登場でどうするんだコレ?と思っていたから、まぁ続編ありなのを目にして納得。


 ぼく勉に関してはどう考えてもラストにメインキャラの受験結果までやらんと意味ないと思うし、いまのところそういう学校のお勉強がテーマとしては弱すぎで、ラブコメディしかやってないから判断する段階にないというか。で、そのラブコメ部分楽しめるかというと、個人的には手垢のついたフォーマットであってもなんのかんのいって十分楽しんでしまった感じ。そういや先生キャラ、人気投票で上位というのをどっかで目にしてハァ?と思ったが、いざ1クール完走してしまうと、なるほど彼女ぐぬぬくっころ姫騎士ポジションなんだなと思ったら妙に納得してしまった。




 この音に関しては、あとは続編とはいえ、ここで切りますか…といったところ。主人公が手を痛めるの筋が悪いという気がしてたが、顛末が、途中具合が悪くて入賞すら出来なかったが、危機を乗り越えることが出来て組織としては成長できてよかったねというものだったら十分納得。しかし顧問終始悪者という立ち位置でなんだかなぁといったところ。割と選択肢どれも間違えずにスイッチ見事に切り分けてると思うが。部長もキレイ事いう割には空回りさせているようなんで、そのへんのバランス、意図的に不安定にしているように思うが、そうだとしたら納得といった感じだ。しかし、ブラスバンドのように顧問が指揮者をやるのなら楽器演奏者との相互理解が必要になるが、この琴の演奏シーンを見る限り指揮者はいないようなので、部員の自立を重視して深く関わらず、むしろ部員たちの目標のために壁になるというのはむしろ教育者としては正しいあり方なんだが、かといって顧問の態度を肯定的に見せる描写はあまり見当たらない。
 こうダイジェスト風味なのはいつも通りではあるが、矛盾やすれ違いを錯綜させて調和に持ってくる展開は第1クール最終話としてふさわしい重みを持っていたように思う。

 あと、自分割と琴には興味があって、それ目的で視聴してた部分もある。最初は視聴対象にしてなかったぐらい。で、その琴の部分、琴にそれなりに踏み込んではいるが、あまり初心者向け講座みたいな部分が多くないの不思議な感覚。それでも琴の複雑さとか難しさというのは伝わってくるし、アニメになって音が出るのは良いことだと思う。個人的には琴に興味があっても琴用の現代曲を耳にすることがほとんどないので、それが聞けたのは収穫だった。しかし作品の内容関係ないが、その琴の現代曲、ちょうどブラスバンド専門の器楽曲っぽくて草。ポピュラー音楽がブラスバンドやオーケストラ用にアレンジされたり、逆にクラシック曲がポピュラー音楽に*1編曲し直されて数々のアーティストにカバーされるのはよくあることだが、コンクール用ブラスバンド専門曲がポピュラー音楽に編曲し直されて一般人が耳にすることが無い。旋律に魅力がないわけでもないんだけど、結局の所楽器の鳴りを重視して、一般人に耳慣れすることを念頭に置いてないからそこに断絶があるんだよな。今回この作品を通じて耳にした琴の現代曲もそんな感じ。大衆に媚びろとまではいわないけど、そういう態度だったら衰退するのは必至なんだがなぁといったところ。


 しかし、この音、どうやら第2期はちはやふると放映時期が被っているようでなんかそういう意図があるのかなといった感じ。

*1:まぁクラシック音楽は昔のポピュラー音楽だったので当然といえば当然だが

ゴーンとりあえずなんここ終わった。

 なんここについては、まぁこんなものかといったところ。いわゆる実用モノってやつかねぇ。女が男を喰う話ではあったが、データベース消費からすると女にバリエーションがあるので、やはりどう考えてもおとこのこ向け。個人的には女の子がタイプではなかったし、シチュも強引なのであまりフックしなかった。


 ゴーン、いちおう数日前に書いたので流そうと思ったのだが、あれからまほよめを思い出してしまい、しばらくいろいろ考えてしまった。今思うとまほよめよくできていて、割と文学よりだったなあと。背景に気合い入れてるのはこの作品も一緒で、ゴーン普通に考えるとWWⅠ直後だと思うが、そうだとしてもちょっと都合良過ぎはしませんかね?といった感じ。まほよめは持って来たい伝承やフィクションがあったというのもあろうが、なるほど腹黒紳士の国ということを考えるとぴったり。
 まほよめ、作品の感想でも書いたが、あれ薄幸の少女と思わせて終盤でひっくり返し、勘違い地雷女が周囲を振り回していたんですよという提示にしていて、終盤が始まるまではひたすらミスリードというなんともひねくれた構成だった。なるほど自分で自分を競りにかけるというところを一番最初っから示しているわけで、冷静に考えると主人公のチセは地雷女であるという提示は最初っからなされているのであって、これはやられたって感じ。途中挿入されたリャナンシーのエピソードも、リャナンシーが名声と短命とのバーターであることを示して、ではチセとエリアスの関係は?と問うため*1の比較対象になっているのであって、あれ決して独立してるんじゃない。まほよめ、テキストとしてよくできているからといって、では自分好きか嫌いかと言われると、決して好みではないんだけど、改めてこう振り返ってみると確かによく出来ている物語だったと思う。


 さて、ゴーンだが、まほよめのチセが自分は悪くない悪いのは環境だみたいなのに対し、マーリヤちゃんは自分こそが不幸をもたらす元凶だと思ってる。まぁ二期でそうであるということが示されるのかもしれないが、少なくともこの第一期を見る限り、世の中が乱れているから単に不幸が多くなっているだけの話であってマーリヤが元凶だということはない。彼女もまた不幸に巻き込まれている一般人の一人であり、組織内でもどこにでもいそうな典型的な新人であって、彼女のやる気も仕事の出来無さも平均そのものといった感じ。だからこそ彼女に深みはもたせられていないし、今の所物語そのものも底の浅いものという形式になってる。但し、ルーキーをメインに据えているからにはターゲット層もM1F1程度までを想定されており、そんなに年齢層高めにも満足行くような深い物語に(やれるけども)してないのかもと感じてる。
 なんかこの作品意気込みは凄いけど物語そのものはつまらんな~(ハナほじー)って感じてたのだが、そもそもこれが分割2クールものだというのをあらかじめ調べておかなかった自分が悪かったのかなと思わなくもない。第2期つまらなかったらまぁやっぱりといったといった感じだが、そのへんは見てみんとね。
 
 

キッチンクリップとやらが壊れたので買い直し

 昨日だったか、袋の口を簡易的に閉じるキッチンクリップなるものが壊れたので百均に買いに行った。
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 これが新しく買い直したもの
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 自分、コーヒーを飲むことがあるのだが、毎日飲むわけでもなく、大抵一杯飲むと次また飲むまで時間がかかる。なので、保存を考えないといけないのだが、わざわざ保存容器まで買うのは馬鹿らしいと思っていた。なので、こういうものが欲しかったのだ。機能的には水枕のゴムの口を止める金具と同じ構造。包装袋を流用するし密封度は大したことがないのであまり期待してもアレなのだが、今どきの焙煎方法がよくなっているのか、昔と比べてこんな簡易的な方法で長期保存してもそれほど香りが飛ばないのが不思議。
 さて、数年前に買っていた製品がいきなり壊れた。力のかかる所こんなに細いので壊れてもさもありなんって感じ。
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 横から見ても、なんで素材をケチるのかと思ってしまう。
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 かといって本当に素材をケチっているのかというとそうではなく、飾りの部分がある。これダイヤル式になっていて見える数字を切り替えることができる。何日前に開封したのかとかそんなのを表示するためらしい。こういう主要でないところにコストをかけて本体の耐久を損なってしまうのまさしく日本的。
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 これは今日買った製品の、止めておく部分。長尺部分の構造が連続していて強度的にも今まで使っていたのとは違ってる。もちろん余計な機能は省略されてる。
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 これはヒンジの部分。何度も折り曲げたりして破断してしまうと、それ以降一切使えない構造。
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 これが本日買った製品のヒンジの部分。あまり強すぎる力がかかって壊れてしまったらアレだが、少々無理をしたぐらいだとはめ込みの部分が外れて、もう一度はめこめば再度利用できる余地を残してる。
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 両製品の比較。どちらの製品も2つ1セットだったが、本日買ったほうは挟み込む部分が長くなってる。ながければ長いほどいろんな製品に対応できるので使い勝手は良くなるのだが、逆に挟み込む部分が長ければ長いほど挟み込む力は分散して弱くなってしまうのでそのへんはバランスが難しいのだろう。



 さて、百均の面白いところ、このように製品のダメなところが改良されていくというところがある。しかし今回は良かったのだが、便利な商品が出ても人気がなければあっという間に無くなってしまうのでそのへんは残念な感じ。ヘタするとネットで見かけた製品いいなと思ってさらに調べてみる→どうやら百均で売っていたらしい→しかし現在はディスコンティニューということもあって侮れない。時代の流れが早いというのも良いのやら悪いのやら、改良も素早ければ、不人気商品消え去るのも早いってのはなんか変な感じがするねぇ。自分にとって便利な製品、なくなると思って買いだめしてしまうと改良されてショボンヌということもあるだろうし、なくなることはないだろうと油断すると販売停止って可能性もあって複雑な感じ。悩んでもどうしようもないことなんだけどね。

*1:もちろんエリアス、地雷女を引き受けさせられたトホホな存在

さらざんまい終わった。

 まぁいつものイクニ節。少年三人組のストーリーがわかりやすいせいかそれほど外したという感じもしないが、視聴へのハードルが個人的に高いのはあいかわらずで、どうにも手を付けにくい。画はくっきりはっきり系の色使いでいかにもという感じだが、個人的にはバンク多用がどうにも受け付けない。テキスト含め総じてクォリティは高いのだが奇を衒いすぎという感じはいつもぬぐえない。
 「愛」も欲望の一つなんで、最終の〆は意外性はなかったんだけど、これそういう心の準備ができていなかった人には刺さったのかな?。資本主義の本質が欲望の搾取なので、これまた直球で攻めてきたなとも思うが、あんまりそれ自体にフォーカスを当てているようにも思えず、大半の視聴者はあ、なんかいってら程度だったのではなかろうか。まぁそれ自体良いとも悪いとも言わないんだけど。
 秘密漏洩は最初面食らったのだが、これおそらく現実では人の秘密を聞き出すときにはまず自分の秘密を明かして信用を勝ち取るって感じのものを構成し直したのかなと思った。そもそも敵を倒す局面なんで、そのまま使うことが出来ないし、敵を倒すという面だけでなく、秘密の共有が少年三人組どうしのつながりを強くするって役割もあって、そのへん単純に考えてもアレだろう。
 社会問題をいろいろ織り込んでいて、本作のメインテーマであるつながりに関してもそれなりにやりきった感はあるが、やはりなんでこういう形でしか提示できないんだろというのは残る。かといってわかりやすい描写を求めてるわけでもないし、作風は人それぞれでいいとは思っているが、視聴者を選別して防衛線でも張っているのか。ギャグ自体は滑っているように感じるし、ブラックジョークとして笑えるわけでもないので、ホント個人的な趣向で申し訳ないが、どうにも取っ掛かり悪い感じがいつもしてる。こういう悪ノリが好みの視聴者もいると思うので、やっぱ人それぞれなんだろうなとは思うが。あと、今回特に顕著だったが、男向けというよりは女向けなので、視聴者との対話においては女向け言語を使ってるんだろうなという気もする。

仙狐さん終わった。

 仙狐自身はちょっとした補給のために帰っただけなのに、それが今生の別れになるかもという仕立てにして最終回用の盛り上げにしたのは正直どうなんかなと思わなくもない。そうはいってもそもそも全体的にドラマ的なメリハリは最初っからなかったわけで、とりあえずの〆の形を作んないとというのはわかる。まぁどないな作りにしたところでこの作品の位置づけが変わることもないし、この程度ならデメリットにもなりはしないんで、どうでもいいことではある。
 ちょっとだけ気になってニコ動静画のリムコロの枝を見てみたが、仙狐さんは最初の数話と最新?話が公開されていてちょっと公開最新話を読んでみたが、なんのかんのいってストーリー仕立てになっている模様。でもアニメ版は大幅な組み直しがされているのかどうかわかんないが、個人的にはオタクM1層向けの癒やし&新婚啓蒙モノという気がした。癒やしについては明らかだと思うが、啓蒙の部分は、こう午後に再放送されている?た?…の水戸黄門のような立ち位置。ずっと前にも述べたと思うが夕方の水戸黄門はどう考えても老人向けなので、その中で典型的な老人介護のシーンを入れて「いつもすまねいねぇ」「それは言わない約束」などの、介護する側される側にどんな気遣いが必要なのかを番組を通じて啓蒙していたってやつ。これも将来結婚するであろうオタク向けに、結婚したら自分の価値観を押し付けるんじゃなくて相手を神と思って尊重しろとかそんな感じのものなんだろうと思って視聴してた。今どきは恋愛結婚が主流だということなので、好きあって結婚したのだから相手は自分のことをわかってくれるだろうだとかその他、所詮相手は他人であるということを念頭に置かない「甘え」が’あったりするのだろう。そういうのを戒めるために、やはり結局最終まで主人公中野と仙狐の間に馴れ合いはなかった。
 但し、ここで示されるケースが昭和期の専業主婦核家族なのはどーなのよ?と思わなくもない。今どきだと共働きが当たり前だと思うが、あんまターゲット層が専業主婦家庭を持てるとも思えない。もしM1層がターゲットだという自分の見立てが正しいのであれば、ギリギリ母親が専業主婦だったかそうでなかったかの境目に当たるぐらいで、少なくともターゲット層本人はやはり専業主婦を持てないと思う。自分視聴の初期には専業主婦を持っていたもうちょっと年齢が高めのターゲット層も考えているのかなと思ったりもしたが、仮にそうだとしてもとても数稼げるとも思えない。
 だからといって現代風の新婚核家族を出せばそれでオッケーなのかと言われるとそれも微妙で、たとえば中野どう考えても勤務先はブラック企業で帰宅もいつも深夜であるが、これで家事育児分担とか言われても鬼かと思われるだけなんで、会社でボロ雑巾のようにこき使われ、家でも気を遣わないといけないとなると、そこに何の癒やしが入る余地があるのかということになる。だからこそ押しかけ女房モノであっても決して相手は人間の嫁ではないというのはまぁよく考えていると言わざるを得ない。ターゲット層をむしろ男に絞って、だからこそ世界観を男のドリーム全開にしたという割り切りは正しいと言われたらそうだと思う。もちろん男→女に変えて読み替えても成り立ちはするのであって、そう考えてもいいんですよという手引きがジャスコだとも思うので、そういう考えだと別に主人公の性別は関係ないとも言える。
 原作者がこの作品にどういうストーリー上のミッションを設けて、物語として成立させようとしているのかどうかはわかんないが、少なくともこの1クール視聴した限り、アニメ版スタッフはむしろ「癒やし」をメインテーマに構成してると思う。そういった意味で本作は即物的。あんまりメッセージ性が高いとも思えないし、そういう作品だと初期の頃から判断ついたので、そういうのを承知で視聴した自分にとってはまぁこんなもんじゃねといったところ。テキストを読み込んでいろいろ推測するのも楽しいが、そういうのから距離をとって頭を空っぽにして視聴するのも悪くなかったというところかな。

式姫の庭、残り一ヶ月。

 メンテ終了で、最終討伐地「氷神柱の祠」に出撃。
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 道中玉藻前の影などの強敵も出てくるのだがスキル発動率が高まってるのか割とバンバン倒してラスボスはしゅてっち。正直庭ではあまり酒呑童子に対する思い入れはないんだけど、舞台には「決戦!酒呑童子」なるものがあって、それなりに運営思い入れがある模様。ちなみに初回到着時のこれは全滅してやり直しだった。
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 二回目で銅クリア。酒呑童子本体結構攻撃がキツいのでかなり運頼み。この二回目も京九尾がスキルを二回連発し、一回目は向かって右側の酒呑童子・真(左腕)を倒し、二回目で本体のHPを削ってくれたおかげで勝てた。弓槍がキモかも。
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 討伐報酬はコレ。
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 試練報酬がコレ。これでかけあいラストエピソード「小烏丸の巻物・参」が入手できる。
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 今回追加されたエピソードには「小烏丸の巻物・弐」があり、ユニット化されたこうめがかけあいで〆を飾る。いちおう次の旅立ちだとかまた帰ってこれるなんてことが言われていて、もしかして庭の続編があるのかもという可能性を疑うが、まぁ素直に考えて俺達の戦いはまだまだ続くENDだろう。


 サ終一ヶ月前ということで、今回のメンテから虹チケ大盤振る舞い、討伐地回数10回となかなかのもんだが、残り少ない時間堪能しつくしたいものである。

アニメ新番チェックらしきものとその他。

 正直来期はあまり視聴したいという作品なかった。数話チェックしとくかという程度。それほど意欲はわかないが手品ソウナンダンベルあたりと、おそらく新しい驚きはないけど安定目的で高木さんあたり。シンフォギアがこれだけ続くと思わなかったんで最初なんでチェックしとかなかったんだろというのはちょっと感じた。



 ゴーン、まだ最新話見てないが、変則2クールモノらしくてある意味納得。おそらく1クールかけてキャラ紹介と世界観説明をやったんだろう。ベロニカと主人公の絡みが中途半端すぎたし、そもそも妖精の位置づけが全くされてない。そもそも道具だとかアイテムだとかそういうものなのか、被差別民だとか弱者そのものとかそういうなんのメタファーなのかすら不明だった。おそらく後半はそれなりに面白くなるのだろうが、第1クールにこれだけ見どころがないのも珍しい。とはいえ、第2クールを視聴してこの第1クールを見返したら、そのときになって初めて意味がわかるというものになっているんだろう。


 ストパンショートアニメはまぁこんなものかという感じでフツーに楽屋ウケぐらいのものだった。が、メインキャラ主体の第3期が放映されるので、時間が空きすぎたからおさらいの意味もあったのだろう。
 正直あまりストパンシリーズにそれほど思い入れはないのだが、第3期で敵の正体にそれなりに切り込むらしいのでどうまとめるのか気になっている。そもそもこの作品、キャラありきで敵の設定は後付なんで、しかたなくでっち上げた敵をどう壮大に処理するのかというのはちょっと興味がある。あとJ隊の勧誘ポスターに採用されてフェミに攻撃されてたから話題性も十分。



 かるてっとは、ちょっとひねくれた興味があった。リクリエーターズでコラボの意味付けを考えたことがあったが、ソシャゲのゲームあたりは別に複合的な面白さ云々より、顧客を融通し合うのが目的なんじゃね?と思った。が、違うテキストベースのコンテンツを融合させるのなら、今までは総花的な出来っぷりのものばっかだが、もしかして1+1が2ではなく、3でも4にでも質的に飛躍を示す部分があるのかもという期待が少しだけあったという。特にとりあげられている4作品に、主人公みんな日本人の転生モノという共通点があって、そのポイントをうまく処理してくるのかな?という期待もあった。
 が、結果としてはやはりソシャゲの顧客融通効果ぐらいしかなかったんじゃね?というのが個人的な感想。自分幼女戦記だけは積読状態で未視聴だったが、他の作品は1クールは目にしているわけで、いちおうキャラの関係性はぼんやり把握している。が、異なる世界観やキャラの相関関係はなかなか元作品のイメージを壊さず消化するのは難しいだろうし、そのへんこの作品は処理自体は失敗してない。元作単体に注目したらストパンショートアニメと同等だし、1+1がせいぜい1.2か1.5程度になっているだけで、相乗効果の部分を作り出せているかと言われたらやはり個人的にはNOと感じる。1+1=2にまでならないのは、もうこれは仕方がないのであって、そこまで自分も期待していたわけではない。但し、2期があるそうなので、その相乗効果の有り無しを判断するのはやはりこの第1期だけでは判断できないと思う。4作品も主要キャラをこれだけ処理する試みは正直あまり見かけないし難しいと思う。第1期はまずその違和感を取り除くことだけに注力したというのであれば納得もする。映像の部分はもうパーツの平行移動だけなのでそこに注目しても的外れだし、テキストや構造に注目して評価すべきだと思う。が、なんというかラスト2話分の体育祭エピソードが個人的にはモーレツにつまらなかったから、正直やはり最初期のようにそれほど期待してもなとは思う。

それなりに、川柳少女、よかったわ

 最終回ということで、俺達の戦いはまだまだ続くENDかと思ったら、馴れ初めのエピソード。自分、もうかなり初期の段階で、この作品のテーマは川柳ではなく、唖の少女とのありうべき共生だと断じて頭が切り替わっていたから、今回も最初っからその視点だったんだけど、まぁやっぱり当たらずとも遠からずなんじゃねとは思った。主人公が作った川柳とともに、その川柳だけはちゃんと声に出していたのかもしれないと思っていたのだが、そのへんはまだ判断がつかない。つかないんだけど、今回や前回ちょっとそういう場面もあって、やはりこれ全くしゃべれないということを描写しているかもとも思う。声優がセリフをかぶせているのはそれはひとえに視聴者の便宜のためであって、前も述べたがやはりリアリティを重視してセリフ無しでの描写だとかなり違和感を与えてしまうからだと思う。なぜなら主人公以外のキャラは全員声を出して語りかけているのであり、そこに主人公からの応答のセリフがなければ視聴者は一方的に語りかけている場面を目のあたりにすることになり、そこにはやはり一般的なコミュニケーションが成り立っている画にならないからであって。
 だからといって主人公が台詞を発しない場面の描写から一切合切放り出して逃げようとしていないようで、そこはやはり間欠的に無音を入れてきてる感じ。で、視聴者にほんの少し違和感があるようにバランスを調整してる。今までだと気がついてみたら通り過ぎていて、あ、ちょっとまって今サラッと流したけど本当はその違和感を描写したかったんだよねということだったが、この最終回では意図的にその場面にフォーカスしようとしているように感じた。現実をありのまま描写して視聴者にダイレクトに伝えるってことと比較したらそりゃ物足りないんだろうが、あくまでこれは共生の物語ということなのだったら、そこから極力ストレス要素を取り除いて、両者のハードルを低くすることが重要なのだろう。そのへんの問題、スタッフは結構センシティブに扱ってるんだろうなという気はする。
 あと、川柳というサブテーマなのだが、自分最終回になってようやっとエイジにそれが体現されていることに気づいた。彼の作っている川柳、どう考えても句会にだして見栄えのするものではない。川柳もそういうところはあるだろうが、もっと文学性の高い俳句なんかだと特に、他人からどう思われるかを意識して作句する。これが転じて、見栄えのする川柳なり俳句なりを作って自分を大きく見せようとすることにつながる。ところがエイジにはその飾りっ気がまったくない。誰にどう思われるとかそういうところをすっとばして、純粋に自分が楽しむために作句してる。これはまさしく川柳の理想的なあり方。
 自分が中高生の頃なんかは特に「不良」と呼ばれる人たちは、やたら「社会の枠組み」に自分が圧殺されるのを嫌っていた。あの時代のほうが今より因習陋習虚礼は多かったのだが、今考えると実は生き方は現代よりよっぽど自由さが担保されてたと思う。が、それは今おいとくとして、その枠組を嫌ってるはずの「不良」が五七五の制約で自分を縛り、気持を表現するという構造がなんとも面白い。特に次号予告ではいくら不自然であってもサブタイを無理やり五七五に切断していたわけで、そのへんも今となってはスタッフ意図的にやってると考えるしか無い。
 実は前回まで、確かに目の付け所は変わっていてそれなりに面白いのだが全体的に凡庸な作品だなぁと思っていただけに、この最終回の最初のシーンからちょっと衝撃に近いものを感じたので認識が変わった。おそらく原作もっとほわほわしたものだと思うが、それを念頭に置いた上でもちょっと思わぬ拾い物をしたって感じ。


ラタトゥイユを作ってみる

 なんちゃってブイヤベースを作ってエントリUPしたのでメモ代わりに。実はラタトゥイユ、昨年結構作ってる。夏場になると規格外の野菜が安く出回るので、それを入手してバンバン作ってた。省力モードで料理を作っているとどうしても栄養が偏る。普段なんかはめんどくさいと大抵ペペロンチーノを作って終わることも多い。なによりスパゲッティを入れた鍋が沸騰したら火からおろし予熱で茹で上がるのを期待、その間に油でニンニクなり唐辛子なりベーコンを炒め、塩振って混ぜ合わせるだけなので、ものの10分もあれば完成する。ところがこれでは炭水化物ばっか。なので意図的に野菜を取り入れる料理をということで昨年ラタトゥイユを作ってみたら、これが案外自分に合ってた。



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 材料の野菜共。自分はたいてい玉ねぎとナスがデフォルトで、ほぼ欠かさないが次点扱いでピーマン、それと画像にはズッキーニが写っている。ズッキーニ、レシピサイトでは大抵載っているが、流通量が少なくて入手はちょっと難しい。昨年も見かけたことがあったが、ナスとセットで売られている機会を逃していた。それがようやっと入手できたというワケ。
 ナスは乱切りにしてあるが、これは輪切りやいちょう切りにしてある所も多い。自分は輪切りは今一と考えていて、かといっていちょう切りはめんどくさい。水に漬けてあるがこれも本来めんどくさいからやりたくない。のだが、水を吸わせてないと炒めるときに盛大に油を吸って、油の消費量が多くなりがちなので仕方なく漬けてる。水に長く漬けていると水が紫色になってしまい萎えることこの上ない。皮の色素がぬけるぐらいだから身の栄養分も流れているだろう。


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 ズッキーニはさすがにいちょう切り。身の部分はきゅうりよりは柔らかくないが南瓜ほど固くはない感じ。


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 切った野菜をおもむろに中華鍋に放り込んで炒める。本当なら火の通り方が千差万別なので別々に炒めたほうがよいらしいが、めんどくさいのでいっぺんに炒める。ピーマンなんかは時間を置いて放り込む。



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 しんなりするまで炒める。少々硬い段階でやめてもどうせ煮込むのでオッケー。体積が減っているが画像からはわかりにくい。


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 別に中華鍋ワンポットで調理してもよいのだが、いちおう鍋に移して缶詰トマトを放り込む。塩を適当に入れて水も増やしてひたひたになるまでにする。あとは煮込むだけ。


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 完成。ラタトゥイユのよいところは別に調味料が塩だけでも良いこと。コンソメだとか肉などの旨味成分を加えたらそれなりにコクのある味わいになるのだろうが、なんといってもめんどくさいしコスト増。塩だけでもそれなりに味が整うのがミソだと思ってる。ペペロンチーノより手間はかかるが、思ったよりは調理の手間は少ない感じ。



 あ、そうそう、ペペロンチーノ、上ではニンニクと書いてあるが、実は自分ニンニクはそんなに好きではなくて代わりにネギを使ってる。コクっぽいのはニンニクのほうが上なのだが、ネギを食べ慣れた身としてはそのコクあんまりコレだというほどのものに今は感じてない。それよりネギのほうが香りが高くて個人的にはこちらのほうが好み。ただしネギは足が早くて、保存性は断然ニンニクのほうが上ではある。